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次のらんち



涼夢らんち
そのいち
「手作り弁当」


「手作り弁当が食べたい」

 昼休み。チャイムと共に喧噪に包まれ始めた教室の中、どこで弁当を食べようかと立ち上がりかけたとき、そんな声がした。

「はて?」

 どこから聞こえたのかと見回す。
 左。林田がいた。今の声は女の子っぽかったが、こいつは男だ。
 右。既に隣の席の女子は向こうできゃあきゃあ騒ぎながら友達と席を囲んで弁当をつついている。
 素早い。あっちからの声でもないだろう。
 上。天井と蛍光灯。あれが声を出していると感じるようになったら俺も一人前だろう。
 ……なんの一人前だ?
 まあ、それはさておき。今のは空耳だろうか。変な内容だったような気がするし、気にせず行くか。既に弁当は鞄から出している。あとは場所を確保するのみ……。
 と、襟首をつかまれた。そのまま下に引かれる。

「お?」

 急速に近づくのは小さな顔。ふっくらした頬はほのかに紅く染まっていて、妙にやわらかそうに見える。
 大きな瞳に、波打つようにたっぷりとウエーブのかかった綺麗な茶の髪。
 それらは引かれ落ちる俺の視界から見てもまだ少し距離がある。
 そう、俺の襟首を掴み下へとひっぱるそいつはクラスでいちばん背が低いのだ。
 そのクラスで一番小さな顔が触れそうなほど近づく。
 ドキドキする。
 そして……それは通り過ぎた。

「へ?」
「ふっ」
「うひゃおう!?」

 耳に触れたあったかい感覚に思わず悲鳴を上げてしまう。
 息を吹きかけられたと気がついたのは、俺の情けない声に周りの視線が集まって「うわ恥ずかし」と思ってからだった。

「い、いきなり何するんだよ、佐倉!」

 俺を引っ張り降ろし耳に息を吹きかけた張本人――佐倉 涼夢(さくら すずむ)に、猛然と抗議する。
 150センチに満たない低身長。ふっくらしたやや丸顔の頬に大きな黒目がちの瞳、腰まで届くウエーブのかかった茶色の髪。
 そのままケースに入れて飾っても違和感ないぐらい、人形のように整ったかわいさをもつ女の子だ。
 ……のわりにはそれほど人気があるわけでもないし、なぜか目立たなかったりもする。
 それはこいつの性格の特殊さゆえだろう。

 いつもなにを考えているかわからず、なんていうか茫洋としている。
 目を向けるといなかったり、かと思うといつのまにか隣にいたり。
 いきなりするどい突っ込みを入れたかと思えば突然脱力系のギャグを言ってみたり。
 「つかみどころがない」という言葉が一番こいつのことを表せる。
 好きになろうにもどこを好きになればいいのかピンと来ない。だから、分かり易い「人気」はない。そんなよくわからないヤツなのだ。
 その佐倉が、俺の文句に表情一つ変えずに答える。

「襟首をつかんで引き落として耳に息を吹きかけた」
「そーじゃなくてっ……! なんでそんなことするんだよっ!?」
「さっき、わたしが呼んだのに気がつかなかったから」

 簡潔な一言だった。
 さっき呼んだ? 空耳だと思ったあの言葉……。

「手作り弁当を食べたい……?」

 こくり、と頷く。

「確かに俺の弁当は手作りだけど……」

 俺は先月から親元を離れ念願の下宿暮らしを始めていたりする。
 もともと学校まで電車で1時間という微妙に嫌な距離がその理由だったりする。最近はせっかく一人暮らしになったのだからと料理に凝っているところだったりする。
 すぐ飽きて外食に逃げてしまいそうな気がするが、それでもやる気のあるうちにこういうことはしておいた方がいい。あとで役に立つかもしれないし。
 それにしてもなんで俺の弁当が手作りだと知っているんだ? それに、

「なんでお前に食べさせなきゃいけないんだ?」
「今までの二人の関係を変えたいの」

 頬を染め、そんなことを言った。え? それってもしかして……告白?
 「手作り弁当を食べたい」……これはつまり、「俺に一生みそしるを食わせてくれ」とかと同系統のもってまわった感じの告白なのか?
 たしかにこいつのことは人混みに紛れるとすぐ見つからなくなるので「どこいったかな〜」とか目で追うことは多かったし、みつかったら見つかったで「ああ、やっぱかわいいよな〜」とか思ってたけど……。
 嫌いじゃないというかむしろ好きだけど、突然こんなことに……。
 え? マジかマジ!?

「二人の関係を……」

 混乱する俺の目の前で佐倉の言葉は続く。

「これからは”たかる関係”と”たかられる関係”にしたいの」
「は?」
「たかる関係と」

 まず自分を指さし、

「たかられる関係」

 そして俺の方を指さす佐倉。

「ちょっとまてなんだその関係っ!? しかも俺”たかられる”方っ!?」
「そういう関係になりたいの」
「”なりたいの”じゃないっ!」

 やっぱりよく分からないヤツだ……。
 あきれてため息を吐く。

「で? なんだよ、弁当忘れたのかよ?」
「弁当を忘れてお金がなく、そしてわたしは今育ち盛り」

 ためらいなく言い切った。

「マテ。育ち盛りというのはウソだろう?」

 佐倉の身体を見る。限りなくフラットだった。背に比例した成長のなさ。
 マニアックな言い方をすると、スク水やブルマがかぎりなく似合いそうなボディラインだった。
 視線を遮るように佐倉は胸を抱き、くねりと身体を捻る。
 それは動きだけが妙にえっちっぽくて、でも凹凸に欠けた身体はちっともやらしくないのが妙な感じだった。
 こう言うのを倒錯というのだろうか?
 そんな俺の微妙な視線を受け止めるように佐倉はまっすぐと目を向け、口を開く。

「堪能した?」
「してない」
「満足したところでそろそろ行く」
「どこに? って満足ってなんのことだーっ!?」

 返答は声でなく手だった。
 佐倉は俺の手を取るとぐいぐいとひっぱっていく。
 意外に力が強い。
 なにより……女の子の柔らかい手の感触にイマイチ積極的な抵抗が出来ず、俺はただただ引っ張られていってしまうのだった。





 たどり着いたのは旧校舎の屋上だった。
 と言うか、うちの学校の旧校舎は昨年閉鎖されてもうじき解体が始まるはずだった。当然閉鎖されているはずだったが、佐倉にひっぱられていくうちに自然に来ることが出来ていた。

「佐倉はすごい裏道知ってるんだな……」
「ふたりっきりの時は涼夢と呼んで」

 小さな足でタタッと屋上に躍り出ながら、いきなりそんなことを言う。相変わらず良くわからないやつだ。

「なにを言ってるんだ佐倉」
「涼夢」

 背を向けたまた、ぴしゃりという。わけがわからない。なんでいきなり名前で呼び捨てなんて恥ずかしいことをしなくちゃいけないんだ? それに二人っきりって……さっきのこともある。ここは注意していこう。

「なんでそう呼ばなくちゃいけない?」
「そうじゃないと……あなたのことを小学生の頃のあだ名で呼ぶ」
「え?」
「たちっ」
「! わかった! やめてくれ、さく……」
「………」
「……涼夢」

 観念して言うと、佐倉――涼夢はにっこりと笑った。
 俺の名前は加賀原 達夫(かがはら たつお)。
 小学生の頃、授業中居眠りしていい感じの夢を見て身体の一部分に血液が過剰集中した。
 それは夕方までおさまらず、それからついたあだ名が「達夫」だけに「たちっぱなし」……。
 女、それも涼夢のような小さな女の子(って同い年なんだけど)に言われるとあまりにダメージの大きいあだ名と言わざるを得ない。
 ……ってなんで知ってるんだ、こいつ?
 やれやれと屋上のへりに腰を下ろし、弁当箱の蓋を開ける。涼夢はちょこん、ととなりに座り、なにが楽しいのか満面の笑顔で俺の開かれようとする弁当を見る。
 そういえばこいつの笑顔、こんなに近くで見るのは初めてかも知れない。なんだかんだでけっこうかわいい。
 ……と。そこでようやく、重要な問題に気がついた。

「涼夢」
「なあに?」
「俺、弁当ひとりぶんしか作ってないんだ。分けてやってもいいけど足りないぞ、きっと」
「大丈夫」

 涼夢は両手を胸に当てて、微笑みながら言う。

「こうしているだけで胸がいっぱいだから」

 よくわからなかった。
 それに俺から見て涼夢の胸はいっぱいというより全然足りてないような気がする。まあ見てのとおり燃費のいい身体なんだろう、とか考えているとむっとした目で睨まれた。

「どうした?」
「えっち」

 なんか変な誤解をされてしまったようだった。

「人の胸をじろじろ見るのはえっち」
「そんなんじゃないって」

 なんだか恥ずかしくなってしまい、目を逸らしながら弁当箱を開く。
 最近始めた料理もレパートリーがやや増え始めてきた。が、量の調整はうまくいかず中途半端にあまったものをいい感じに再調理して、可能な限り詰め込んでみた。
 おかげで見た感じそこそこ豪華。味も平均以上のはずだ。
 中を確認したところで、もう一つの問題点に気がついた。

「俺、ハシ一組しか持ってきてな……」
「あ〜ん」

 口を開いてこっちを見る涼夢。

 図々しい。

 そう思ったのも一瞬だった。
 口を開いて弁当を乞う涼夢が、あんまりかわいかったから、そんなこと考えられなくなった。
 俺の手はそれこそ機械のように自動的かつ正確に動いて、涼夢の口にハシで掴んだものを入れた。
 涼夢は瞬間笑顔になり……その顔が、すぐ歪んだ。
 口が菊の花の形になった。

「おや?」

 弁当箱を覗き込む。
 ごはんの中央に設置してあった梅干しがなくなっていた。
 涼夢はなにやらこっちのことを恨めしそうに睨んでいた。
 まあ弁当の一発目が梅干しというのはちょっときついような気もする。

「あ、あはは」

 ごまかし笑いをしつつ、ごはんをハシで一掴み。こんどは自分で食べようと口に運ぶ。
 そこで気がついた。
 これは間接キッスになるのではあるまいか。
 ……どうしよう。
 でもまあいいか。むしろ望むところ。
 ドキドキしつつごはんを食べようとしたら、

「はむっ」

 阻まれた。
 とつぜん横から接近した涼夢が、いままさに俺の口におさまろうとしていたごはんを食べてしまったのだ。
 唇と唇が、触れそうなほどに近い。

「!」

 驚いて一気に離れる。
 涼夢は不満そうに俺の方を見ていた。

「さ、さっきからいったいなんなんだよっ!?」

 慌ててしまっている。弁当を食われてしまったことではなく、あとちょっとでキスしてしまいそうなほど近づいてしまったことに動揺してしまっている。
 それを自覚していながら、止まることが出来ない。

「なんなんだよ佐倉っ!? 強引にこんなところまで引っ張ってきて、結局なにしたいんだよっ!?」

 言ってから気づいた。つい勢いで、名字で呼んでしまった。
 それが涼夢の顔を暗くする。
 大したことじゃないのに、ひどく罪悪感を感じた。
 そして、嫌な沈黙が場を占める。気まずくなって俺は止まる。右手にハシ、左手に弁当。涼夢との微妙な距離を埋めることも出来ず、ただ立ちつくす。

「手作り弁当が食べたいの」

 沈黙を破ったのは涼夢だった。
 その言葉は昼休み開始と同時に聞いた、涼夢の呼びかけ。

「涼夢……?」
「今までの二人の関係を変えたいの」

 また、聞き覚えのある言葉。
 これは確か……教室で涼夢の言った言葉だ。

「ふたりっきりの時は涼夢と呼んで」

 また、さっき言った言葉だ。そして涼夢はもみじみたいに小さな手を慎ましい胸に当て、

「こうしているだけで胸がいっぱいだから」

 言葉を、続ける。それもまたさっきの言葉だ。
 なにを言いたいんだ、こいつは。
 いや、でも。だんだんわかってきたような気がする。
 そして、涼夢は視線を上げる。

「……わからない……?」

 小首を傾げ、頬を染め。涼夢はそんなことを問いかけた。
 余計な言葉を除いてしまえば。そんなふうに必要な言葉だけを並べられたら。
 そんな風にかわいく訊ねられてしまったら。
 わかった。わかってしまった。俺だってそこまで言われればわかる。
 この、何を考えてるのかよく分からない涼夢がなにを望んでいるのか。
 そして自覚してしまっている。それを嬉しいと思ってしまっている自分を。

「わかんねえよっ!」

 すごくすごく照れ臭くて、俺はぶっきらぼうにそう言うことしかできなかった。
 涼夢は視線を落とす。なんだか泣きそうだと思った。
 俺はどかっ、と屋上の縁に腰を落とした。

「……で、俺の手作り弁当を食べるんだろう?」

 ぱっ、と涼夢が顔を上げる。
 そして現れたのは輝くような笑顔。
 ずるい。そんな顔されたらせっかくの照れ隠しが意味をなくしてしまう。
 涼夢はたたっと俺の隣に駆け寄ると、ちょこんとかわいく座った。そして、

「あ〜ん」

 口を大きく開けた。
 俺はもう、恥ずかしくて、照れ臭くて……でも嬉しくて。
 とっておきの卵焼きを、涼夢の口の中へと運ぶのだった。





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