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 たてつくヤツはいなかった。
 どんなやつもあたしの魅力に恐れをなすかあたしの威力に屈服するかだ。たまにネチネチと逆らってくるヤツもいたが、そんなのはカやハエみたいなもの。ちょっとうっとおしいだけのつまらいあのもので、たてつくなんて表現するほどではない。
 そんなわけで、あたしの認識の中に「たてつくヤツ」はいなかった。
 前の学校では優等生だったのだから、そもそも逆らってくるヤツなんていない。完璧な優等生というものはその完璧さ故に敵さえも作らないものなのだ。
 だから、この挑むような瞳は久しぶり。真っ向からハリセンを向けられるのも珍しい経験だし、なによりこの不快感はほんとうに久しぶりで……。
 
 ムカついた。


ストレンジのーまるデイズ 外伝

神無月愛奈の華麗なる転校
中編




「なによ、あんた?」

 こちらもにらみ返してやる。
 目に映るのは鮮やかな紅。わりと綺麗な赤い髪を白いリボンでポニーテールにまとめたそいつは、あたしの視線に怯むことなく真っ直ぐに見つめてくる。
 ひたむきで、迷いが無いまっすぐな瞳。それは誰かを思い出させて、余計にあたしをいらつかせる。
 
「わたしは……柳瀬 聖(やなせ ひじり)。二組の学級委員よ」

 そいつはそう、名乗った。
 二組――ここは一組だったから、隣のクラス、か。
 見た目を裏切らない意志のある通りの良い声。相変わらず突きつけられているハリセンもまたその意志の強さを主張している。
 そんな真っ直ぐな思いを、あたしはどう受け止めるべきだろう?
 決まっている。真っ正面からひるむことなく迎え撃つのだ。
 教壇にいるあたしの方が物理的に高い。授業をしているのだから精神的にも一般生徒より上。しかし、そんなことは些末なこと。
 あたしは神無月愛奈だ。
 相手が誰であろうと、上も下も関係なく真っ正面から受け止める。
 だから、告げる。
 
「あたしは神無月 愛奈! 元優等生の転校生よ!」

 自信と意志を込め、言い放つ。
 その声にほんのわずかだがハリセンが揺らぐ。あたしの声量に震えたというだけではない。柳瀬聖は気圧されたのだ。このあたしがあたしの存在を叫んだのだから、それは当然必然当たり前。それでも体そのものは一ミリも下がっていないのは、ちょっとだけ誉めてやってもいいかもしれない。

「それで、何をしにきたのよ? はっきり言って授業妨害よ」

 あたしが教壇に立つ者らしく聞いてやる。すると、
 
「授業妨害はあんたでしょっ!」

 ツッコミを返された。さっき圧されたのもなんのその、という絶妙なタイミングだった。
 なるほど、ツッコミキャラね。それでハリセンか。なんてわかりやすい。
 だがタイミングはいいとして、その言葉は聞き捨てならない。
 
「授業妨害……? これ以上ないぐらい完全無欠に授業しているあたし! このあたしのどこをさして授業妨害なんて言葉が出てくるのよっ!?」
「全部よ全部っ!」
「全部ってどこがよっ!?」
「生徒が授業することっ! それがそもそもおかしいでしょっ!」

 テンポよく続いた言い合いは唐突に終わった。静寂が場を占め、そしてその静けさが言葉以上に雄弁にみんなの考えていることを語る。

 『生徒が授業をするのはおかしい』

 それは確かに、もっともな主張ではある、と。

「……なるほど、一理あるかもしれないわね」

 聡明なあたしは誰の意見でもちゃんと理解して吟味して、認めるときは認める。
 しかしこの目の前のハリセン女はそんなあたしの偉大さがわからないらしい。挑むような瞳のままにつっかかってくる。

「一理もなにも……どっちかって言うと百害あって一利なしって感じよ!」
「へえ!? ずいぶん言ってくれることねっ! その百害ってなにかしら? 確かに生徒が授業を行うのはおかしいかもしれない。でもこのあたしが授業をやってるのよ? 完全理解は当たり前! 究極効率の至高授業! 百害どころか千利ありってものよ!」

 あたしの言葉に教室中がうなずく。そう、あたしはそれだけのことをしたのだ。あたしの正しさは明白だと言うのに、柳瀬はなぜか深く深くため息を吐く。
 
「……このあたしの目の前でため息を吐くとはずいぶん失礼なことね。最低限の礼儀はわきまえなさいよ」
「さっきからずいぶんな物言いね。……あなた何様のつもり?」

 何様? 面白い。あたしにあたしがなんであるか問うたわね?
 だったら答えてやるわ。
 
「神無月愛奈様よ」

 胸を張って言ってやった。さすがの柳瀬も鼻白む。その表情が面白く、あたしはさらに言葉を言い募る。
 
「この神無月愛奈の下につく”様”は、ただの”様”じゃないわよっ! 王様とか神様とか、そういうのと同じぐらい価値のある尊称よ。呼びたければ呼べばいいわ、許してあげる! 声高らかに、敬意を込めて、名を呼べる栄誉に震えながら! か・ん・な・づ・き・あ・い・な、様! と! さあ、呼んでみるといいわ」

 このあたしがしゃべっているというのに、柳瀬はいつのまにかうつむいていた。しかもぶるぶると肩を震わせている。なんだこいつ、調子悪いんだろうか?
 首を傾げるとそのタイミングに合わせたかのように柳瀬は顔を跳ね上げる。その顔には、にっこりとまるで作り物のような笑顔が張り付いていた。なんだ、こいつ。いぶかしく思う中、柳瀬は景気良く語り出す。
 
「ええ、そうね! あなたは様づけがふさわしいかもしれないわね。でも……王様は王様でも百獣の王ならぬ百害の王! 神様は神様でも死神がいいところよ!」
「……なんですって……?」
「あなたねえ……このクラスで授業を終えた先生がどうなるか知ってる? なんだか死にそうなぐらい落ち込んでるのよ! いつもはお経みたいにぶつぶつした授業の声が、成仏できない幽霊みたいな暗い声! そんな声で教科書読み上げるたら、聞いてるほうは死にそうで、読んでる本人はそもそも死にかけ! そんなんで勉強どころじゃないわよ! 気を抜いたら魂飛んでくわよ!」

 そこで柳瀬は言葉を切る。荒い息を吐き、その瞳に壮絶な光をたたえ言葉を続ける。いや、確かにその表情だけ見るとちょっと安物のホラー程度には恐いかも知れない。
 
「……今日の時間割だとこの一組で自信をなくした先生がぜんぶうちのクラスにくるのよ。2時間目以降、もう死にそうよ引きずり込まれそう! なんで授業が終わって先生がでてく度に生きてることのありがたみをかみしめなくちゃいけないのよっ!? だから言ってるのよ! あなたが授業することは百害あって一利なし! 他のクラスにまで影響を及ぼす、立派な授業妨害なのよ!」

 右手のハリセンを左手に移し、ハリセンではなく人差し指を不遜にもこのあたしにつきつけ、柳瀬は言い切った。
 そうか。あたしのしていたことは授業妨害。愚かで能力のない教師があたしのちからでもって自信を失って、それでよそ様に迷惑をかけている、と。それはしかたないわね。ああ、なんていうか……コノヤロウ。

「やっかましいわねっ! この学校の教師のレベルがあまりにも低いからでしょう!? このあたしに非なんてないのよっ!! 能力のないやつが敗北にまみれて勝手に落ち込むなんて、このあたしだって面倒見切れないわよ!」」
「ああそう! あくまで非を認めないのね! いいわ! そういことなら……!」

 柳瀬は再び、ハリセンを向け直す。向き先はあたし。さらに言えばあたしの顔。もっと厳密に言えばあたしの眼。
 燃えるように紅い髪。それと同じぐらい燃えさかる瞳が、ハリセンをカタパルトにしたみたいに迫ってくる。
 
「わたしがコレで、わからせてあげるわっ!」

 瞬間、柳瀬の姿が消えた。
 たぶんこの教室にいる普通のやつにはそう見えたんだと思う。至近距離での身を低くした突進は、爆発のような速度と地を這う低さ故に遠目でも見失ってもおかしくない。
 まあ、でも、それは。普通のバカだったらそうだろうという話。
 あたしは神無月愛奈なのだ。
 ハリセンが繰り出される前にその軌道を見切り、そして放たれる最中の動きも見逃さない。故に回避は最小限にして最低限の無駄なく隙なく済ます。
 轟音を伴う疾風の一撃が至近距離を通り過ぎるのを、触感と聴覚で風を感じ、目で味わう。風に、髪が揺れる。うん、風を感じるならやはり自分の髪ね。カツラではなかなかこうはいかなかった。ひさしぶりの爽快な緊迫感。
 そして。
 その一撃の後に予想外のものを見た。
 それはハリセンだった。

「!?」

 一撃目は確かにかわした。だからこれはもう一本のハリセンによる二撃目ということになる。そんな馬鹿な、もう一本持っていた!?
 驚く間にも間近に迫るそれは、もはやかわせるタイミングでもよけられる軌道にもなく、なによりそんな甘いものではない。
 
 だから……拳を放った。
 
 響いたのは破裂音と言うより爆発音と表現した方が適切な派手な音。その音に相応しく、ハリセンの大部分はコナゴナに砕け散る。
 
「!」

 音に弾かれるように、柳瀬はたたらを踏む。その顔は驚愕に染まっている。あたしはそれを憎々しげに見る。目と目が合い、視線が絡み合う。
 悔しい。そう、あたしは悔しいと思っている。口惜しくおもっている。余裕でかわせるはずだった柳瀬の攻撃に、不意をつかれてしまったあたしは拳を出さざるを得なかったのだ。
 なんて無様なことだ。このあたしとしたことが。この神無月愛奈としたことがっ……!
 相手は驚いている。しかしその瞳の奥には挑むような意思が見え隠れしている。このあたしの不意をついた柳瀬は、驚きながらもこの戦いに燃えている。いい気になっている。それがなおさら悔しさを増させる。
 
 しかしその視線の交錯も、瞬きにも満たない刹那に終わる。

 柳瀬は口元を結び表情を緊と引き締め後ろへと跳ぶ。開けたままの教室の出入り口を抜け、廊下へと出る。ああ、認めよう。ためらいのないその動きは、このあたしをして素早いと評価してやっていい。
 それを追うためにあたしは踏み出す。
 歩む最中、頭の中にこびりつく悔しさを追い出す。そんなものはこのあとの勝利で軽く埋め合わせのつくものだ。意味もなく、邪魔にしかならない。だから考える。今度こそ完璧に勝つために考えを巡らせる。
 あの二撃目はなんだったのか?
 柳瀬が迫ってきた瞬間、間違いなくハリセン一本しか持っていないはずだった。二本目を、例えば懐から出したのならこのあたしが見逃すはずはない。
 ないはずのものがあった。その理不尽。理不尽を理屈として理解するためには想像が必要だが、今はまだ情報が足りず妄想にしかなりそうにない。
 答えが出ないまま出た廊下は、授業中のためかシンと静まり返っている。ちらりと視線を出てきたばかりの教室に返せば、そこには扉も窓も埋め尽くす顔、顔、顔。固唾をのんで見守るその顔に苦笑。これではまるで見せ物だ。
 いいだろう。今日はこのあたしの転校した日なのだ。あたしの凄さをせいぜい見せてやることにしよう。
 まだ疑問に答えは出ないけれど、だったらこれからの行動の中、勝利と共に答えもつかみとることにしよう。
 だからあたしは悠然と歩みで、そして相手の前に姿をさらす。
 そして向ける視線の先、廊下の奥。立つのは紅のポニーテール。
 
「やるわね……」

 柳瀬は右にハリセン、そして左手には柄だけになってしまったハリセンの残骸を持っていた。あたしが砕いた二撃目は、左手による一撃だったらしい。
 柳瀬は残骸に成り果てたハリセンを捨てると、そのまま髪を結うリボンに手をかける。
 
「どうやらわたしも本気にならないといけないようね……」
「本気……?」

 ずいぶんとなめたことを言ってくれた。
 じゃあこの紅ポニテハリセン女はこのあたし相手に手を抜いてくれたとでも言うのか?
 さもなければ……。
 
「つまらないハッタリね」

 鼻で笑ってやる。先ほどの一撃は加減などまったく感じられなかった。当たり前だ。あたしの不意をつくほどの一撃を放ったのだ。どこの誰が手加減の上でそんな芸当ができるだろう。少しは評価してやろうと思っていたのに、くだらないバカだ。
 しかし柳瀬はこのあたしの的確な指摘にゆらぐことはない。
 
「ハッタリかどうか……」

 迷いない動きでリボンを引く。片手のみのその動作だけでリボンはほどけて抜けた。
 その下から現れたのは……!
 
「見せてあげるわっ!」

 柳瀬の目つきが変わる。
 そしたまた、爆発するかのような突進。紅いポニーテールを後ろに引いてのまっすぐな踏み込み。そう、ポニーテール。白いリボンがほどけたあとには、黄色いリボンのポニーテール! なによそれ!?
 踏み込む柳瀬は一瞬にして肉薄する。
 その速度は鋭く速い。しかし先ほどとそれほど変わるものではない。
 やはりハッタリか……?
 疑問に思いつつ、しかしもう一つの疑問は解く。
 二度目だ。見る余裕は十分にあった。地をはうように進む柳瀬の、床をこする左手。
 そこに忽然と、ハリセンが現れたのだ。
 子細までは確認できなかった。理屈も理由もよくわからない。しかしあのハリセン女はその動作によってハリセンを取り出したらしい。
 動きは前と大して変わらず、そしてタネも一応はわかった。
 だったら今度こそ完璧にかわしてやろう。
 下から上への一撃をわずかに身をそらしてかわす。その軌道の影から迫る、今度は横薙ぎの一撃をバックステップで余裕を持ってやりすごす。
 ふむ、やっぱりあたし。パーフェクトだ。
 さてそれならば二撃をぎりぎりでかわされ隙だらけの柳瀬にとどめを刺すこととしよう。
 だが。
 そこでさっきとは違うことが起きた。
 目があった。
 それは一瞬と呼ぶのにも短すぎる刹那の時間。しかし理解した。
 こいつ、見えてる。柳瀬を確実に上回るあたしの動き。それを確実に視認している。柳瀬を数段上回るはずの、しかも柳瀬の隙の中にあるはずのあたしの動きを、なぜかだ完全に見ている……!
 
「チッ!」

 拳を放つ。
 柳瀬は左の横薙ぎの一撃の回転を継続、一回転の後の体重ののった右のハリセンであたしの拳をそらす。
 その回転のままあたしの右手に回り込む。
 回る動きから予想された横の振りではなく斜めに上から下への一撃。
 それも拳ではじく。
 しかし柳瀬は止まらない。止められない……!
 上から下から。右から左から。柳瀬のハリセンが迫る。それはあたしからすれば決して反応できないほど速くはなく、止められないほど重くもない。しかしあまりにも的確。まるでこのあたしの動きを完全に見切っているかのような、ぎりぎりあたしがさばききれない攻撃を絶えることなく続ける! なんでそんなことができるのよ!
 柳瀬の止まらない連撃。短いスカートが翻り、見たくもない中が見えまくるのも気にしていないくらいとめどなく激しい円舞。
 その、一瞬。
 目が合った。
 ギラギラと輝いていた。
 口元が見えた。
 笑みを刻んでいた。
 笑ってる? 笑ってやがりますか? このあたしを相手に、この女は笑ってるのかっ!?
 
「いいかげんにしなさいっ!」

 叫びと共に放つのは、わりと本気の拳を二発。両手のハリセンを同時に砕き散らす。
 武器を失い、柳瀬も連撃を止めて引く。その引き際はむかつくほどに鮮やかで、追撃の隙はない。しかも距離を離すその動きの中、壁をなぞり再びハリセンを取り出しやがった。
 
「あんた……!」
「よくうけきったわね……」

 教室からどよめきがわく。それは騒がしいものではなく、深く重い感嘆の響きだ。戦いの緊迫感に、観客達も圧倒されているのだ。
 これでは本当に見せ物だ。いや、それ自体はいい。むしろ望むところとさえ言える。問題なのは圧倒的な実力差を見せつけての「神無月愛奈の華麗な大勝利」ではないことだ。
 そしてそれ以上にむかつくのは柳瀬の表情。
 汗が輝いている。真剣な瞳もまた情熱にきらきらと輝いている。口元は相変わらず笑みを刻んでいる。
 まるでライバルを見つけたような、好戦的な笑顔だ。
 ああ、むかつく。あんたごときがあたしを……この! 神無月愛奈を! 勝手にそんなものにするな!
 だいたいあたしに並ぼうとバカみたいに努力していた竜ヶ崎のバカだって、結局のところあたしについてくることすらできなかったのだ。
 ちょっとばっかりあたしと渡り合えたからって、そんな目をするのは百万年は早い!
 
「すごいわ。わたしの第二限界とここまでやり合える人なんて初めてよ」

 親しげに話しかけてくるな。あたしのうっとおしいという視線に気づかないのか、楽しげとすら言える口調で語る。
 だが、その言葉はちょっと気にかかる。
 
「第二限界……?」
「そう。通常の限界を突破した先の領域。”感覚限界の突破”。わたしの場合、リボンを解くことをスイッチにして限界を突破するわ」

 なるほど。速度や技の切れ自体は変わらないのに、ほんの束の間とは言えこのあたしに反撃をさせなかったの的確な連撃。能力が数段劣るはずの柳瀬がそんまねをできたのは、そんなからくりだったのか。
 普通のバカなら受け入れがたい常識外れのことかも知れないが、あたしにとってはそんなに珍しい事じゃない。あたしの中学の頃には破壊力と速度において物理的な限界を突破した黒髪の女の子だっていたし、あたしだってそれに近い領域にたどり着いている。
 しかし……。
 
「べらべら言うわね」
「隠し事なしの全力で戦いたいのよ」

 ああ、本当にうっとおしい。うっとおしいからとっとと終わらせよう。あまり使いたくなかった、あの技。今現在、手っ取り早く破壊力を生み出すには一番の方法。

「仕方ないわね。あたしも見せてあげるわ……!」

 構えをとる。拳を抱くような独特の、小さな構え。そう、これは。最小の動作と最高の加速で最大の破壊力を生み出す、全敵破壊の必殺拳……!
 
「その構えは……!?」

 つぶやきと共に柳瀬の目が変わる。それは先ほどまでの好敵手を見る目ではなく、敵を見る目だ。

「……知っているの? かなりマイナーな流派のはずなんだけど」
「あなた、それを使えるの……?」
「ええ。……まあ、ね」

 曖昧に答えるあたしに、柳瀬はなおさら瞳を燃え上がらせる。まさに烈火。紅いポニーテールもその色のイメージ通り火を噴いていると錯覚しかねないほどの苛烈な熱さだ。暑苦しい、と言ってもいいかもしれない。
 一言でまとめるなら、目の前の相手は今、熱血状態なわけだ。
 
「だったらわたしも本気で相手を……!」
「遅いのよ」

 言葉の間に距離を詰める。この構えの最大の特徴は、最速であること。そして繰り出す打撃は常に最速を越えた神速と呼ぶべき閃撃だ。
 豪、と風すらおいてけぼりにする圧倒的な速度と鋭さでもって柳瀬に迫る。
 二本のハリセンを交差させて防御したのは賞賛に値するかもしれない。
 でも、無駄だった。
 そんなことで防ぎきれる破壊力ではない。
 まるで冗談のように柳瀬は吹き飛んだ。
 うん、さすがの威力。と言うか……。
 
「やりすぎた……?」

 もの凄い勢いで廊下の端まで跳んでいく聖はまるで大砲で打ち出されたかのよう。なんていうかこう、すごくヤバイぐらいによく跳んでいる。爽快感と危機感が背中合わせであたしの背筋をぞくぞくっと駆けめぐる。
 そして柳瀬の身体は廊下の端へと飛び、しかし予想した打撲音はしなかった。
 ただ、ぐにゃり、と言うかべしゃり、というか。そんな液状っぽい音がした。
 
「?」

 不思議に思い廊下の端まで駆ける。
 そこには立ちつくす柳瀬がいた。
 いや、柳瀬は立ってはいない。立たされているというか、ぐったりと誰かにもたれかかっていたのだ。
 その柳瀬を支えている誰かは、にっこりとほほえみあたしを見つめる。
 
「……誰?」
「ひなたなの」

 あたしの誰何の声に、のんびりと答える女生徒。ひなた、というのは名前なんだろうか。その名に相応しく、その笑顔は春の日溜まりを思わせるようなほっとする暖かさ、眠気を誘うような穏やかさがあった。
 穏やかで柔らかな感じ。そしてその胸はその柔らかさをいっそう強調するかのように大きく張り出されている胸。いや、でかい。マジでかい。ひなたに抱きかかえられる柳瀬は、そのまま放っておいたらその胸におぼれてしまうんじゃないかと思えるほどのボリュームだった。
 
「あたしは神無月愛奈よ!」

 目の前の異形というか偉業というか、いっそ淫行とでも言った方が良さそうな大きな胸に対抗すべく、あたしも胸を大きく張り出す。
 今現在のあたしの胸はたまらなくフラットで切ないくらいになだらかで、なにか致命的に悲しいものを感じたが無視。ハーフであるあたしの胸は将来絶対確実に大きくなるのだからこんなことを気にしてはならない。見据えるべきは今ではなく未来なのだ。
 
「あなたの、負けなの」

 不意に、そんなことを言われた。
 負け? なにが? このあたしに敗北なんてありえない。授業は本職の教師を遙かに超えた完璧さでこなしたし、たったいま柳瀬聖を場外ホームランを遙かに越える勢いでぶっ飛ばしたばかりだ。
 この神無月愛奈に敗北というのは想像するのすら難しく、絶対にあり得ないことだがあえてあるものとして無理矢理考えてみるならば!
 ……胸? 胸、か……? 胸なのか!? 胸のことなのかーっ!?
 
「あ、あんた勝ったつもりっ!? 勝ったつもりなのね! でも、でもねえ! あたしはそこの純国産成長絶望型貧乳とは訳も格も大きさも違うのよっ! 巨乳大国アメリカの血を引くあたしは将来絶対確実完璧に巨乳を手にするんだから、あんたが調子に乗っていられるのもいまのうちだけなのよっ!」

 その言葉に、柳瀬はピクリと震えて反応した。どうやら気を失っているらしい。それでも聞き捨てならなかったらしい。
 まあそんなことはどうでもいい。今はあの巨乳が与えてくる不快感を払拭するのが大先決っ!

「あたしのどこが負けだっていうのよっ!?」

 そう、誰であろうとあたしに敗北をあたえられるはずがないっ!
 あたしの魂の叫びを受けながら、ひなたは名前通りの日溜まりのような笑みを崩さず、

「言ってみただけなの」

 なんて言って、てへりと舌を出した。

「……へ?」

 思わずマヌケに漏れる息をうち消すかのように、
 
 キーンコーンカーンコーン

 チャイムが鳴った。


「はっ!? じゅ、授業!?」

 あたしの完璧であったはずの授業。時間進行も当然完璧だったはずの授業が、ちゃんと終了しないままに授業時間は終わってしまった。
 な、なによこれ!? いったいなんなのよっ!? 負けって……このこととか言うんじゃないでしょうねえっ!?
 あたしがいろいろ考えを巡らせているというのに、ひなたはそんなのおかまいなしとばかりに柳瀬をその柔らかな身体で抱き抱え、立ち去ろうとした。
 
「ま、待ちなさいよ……!」

 肩をつかむ。
 ……つかんだはずだ。
 しかしその事実を手応えが否定する。
 
 とても、柔らかかった。
 
 どんなに太った人間でも肩という部位は脂肪の下に確実に筋肉があるはずで、その奥には骨と骨が組み合わさる関節というものがある。あるはずなのだ。それなのに手には筋肉をつかんだ感触も骨の硬さも伝わってこない。
 ただ、やわらかい。
 まるでその、あたしが将来獲得するであろう巨乳にでも触れたかのような比類なき柔らかな感触だけで……。
 そ、そんなバカな。それは肩の感触じゃない。
 あたしはその錯覚を否定して、確かな手応えを得るべくさらに強くひなたの肩をつかむ。
 つかんだ分だげ手はめりこみ、だからなおさら確かなものが欲しくて手を進め……。
 最後には、抜けた。
 どう言っていいかこのあたしですらわからない。ひなたの肩は掴んだ分だけやわらかくめりこんでいき、最後はまるでコンニャクを握りしめたときみたいに手から逃げてしまった。
 なんかこう、期待していた感触がなにひとつ得られなかった虚しさしか手には残っていない。
 そんなあたしにひなたは眉を寄せ、苦笑を見せる。それすらも柔らかだった。
 
「昼休みなの。保険委員のひなたは聖ちゃんを保健室に連れていかないといけないの」

 言いつつ向き直り、ぺこりと一礼。その動きによって抱きかかえられた柳瀬の顔がさらに胸の中に埋まる。なんだかあの柔らかさにおぼれてしまいそうに思えた。微妙に痙攣しているような気がする。アレは窒息しかけている動きにとてもよく似ている。
 深刻にやばそうだ。
 でもあたしにはそんなことを気にする余裕もなかった。
 ただ呆然と、立ち去るひなたの姿を見送るのだった。


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