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ストレンジのーまるデイズ

第二十話 幻想



 恐怖というものは身体に刻まれる。
 動かない身体を意識して頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
 今、目の前にあのメイド学科最強のメイド、支倉 新実。通称、ニィ。
 ツインテールとネコミミと触覚みたいなくせっ毛をその頭に乗せている。正直いろいろ載せ過ぎな気もするメイド。その威力は、空中を自在に舞う空中高速立体機動。コンクリートも切り裂く真空の刃「キャット・スラッシュ」。「人間か?」と問われれば「微妙」と答えるとてつもない力をもつメイド。
 身に纏うのは以前見たメイド服ではなく、ファミレスの制服。肩がふわりと広がったブラウスに首もとにはちょこんとピンクのリボン。フリルで飾られたピンクの吊りスカートはタイトなミニでかわらしいデザインだがそんなことで和らぐような恐怖ではない。
 今日は聖はいない。名土先輩は後ろだ。誰かに、それも女の子に頼ろうとする自分の性根が情けないとも思うが、全力で逃げていたのが実はもてあそばれていただけだったと告げられたときの衝撃は忘れられない。なによりその後の聖とのむちゃくちゃなバトルはあまりにも鮮烈だった。
 だから身体はすでに結論を出してしまっている。
 勝てない。そして逃げることもできない、と。いきなりの出会いは意志で抵抗する時間すらも与えてくれなかった。感じる寒気は店内のクーラーの涼しさだけではありえない。
 だから、身体は動かない。

 でも、それもわずかな間のことだった。

 動かない俺に対して、ニィがあまりにも分かりやすく動いていたからだ。
 ニィは震えていた。
 ガクガク震えていた。その猫のような瞳、その瞳孔を大きく開き、潤ませている。すぐに雫がこぼれ落ちる。涙だ。泣き出した。その身体は震え、今まで涼やかな音しか響かせなかったツインテールの鈴もガチャガチャと不協和音を奏でている。しなやかに揺らいでいたシッポも力無く垂れ下がり、その先端に着いた鈴もまた床にごろんと落ちてしまっている。
 そんな情けないニィの姿を前に、俺の硬直はあっさり解けてしまった。
 しかし、すぐにまた硬直することになる。

「……支倉 新実」

 呼びかけに、ニィはびくんと大きく震える。
 その余分な抑揚もなく感情をまるで感じさせないその声は、とてつもなく冷たく響いた。
 その声は隣から響く。
 それは今日の俺のデートの相手。名土先輩のメイドとしての声。それも俺が一度しか聞いたことのない、毅然としたメイドチャンピオンとしての声だった。

「メイド学科ではメイド活動以外の外部活動を禁止しています。もちろんこうしたお店でのバイトも禁止……それはご存知ですね?」

 それは、ただの確認。しかしその秘めたるとてつもない冷たさに、ニィは動けない。震えることしかできない。俺は震えることもできない。

「知っていますね?」

 もう一度。穏やかな、それこそ優しいとさえ言える声に俺は心底震えそうになる。なんで恐ろしいのかわからない。いや、きっとわかりたくないから理解できない。この場を占めるのは、そんな穏やかに張りつめた、狂おしいまでに恐ろしい何かだった。
 そしてニィは震えさえも止め動かなくなった。本当に凍りついてしまったかのようだ。ただ一つだけ動くのは止めどなく流れる涙。音もなく流れ続けるそれは哀れという言葉しか表現する術がない。
 これが聖を苦しめたニィなのか。そしてこれがメイドチャンピオンである名土先輩の――メイド学科の頂点に立つ者の顔だというのか。
 ニィは動けない。恐怖に脅え動けない。
 名土先輩は動かない。問いを投げかけ待ち続ける先輩は動かない。
 俺は動きようがない。入り込むことができずしかし逃げることもできない。
 誰も動けない。
 どうしようもない止まった空間。
 だからこの状況をうち破る者はまったく別の方向から来た。

「知っているわ。そしてこれはもちろんメイド活動の一環よ」

 その声に呪縛が解ける。自分の身体を自分の意志で動かせるという自由に歓喜しながら声の方を見れば、視界にはいるのは鮮やかな金。豪奢にして、しかし傲岸不遜な金の髪の主は。
 
「神無月……!」

 思わず呟く俺に、薄い胸の前で毅然と腕組みを作り、鷹揚にうなずくのは見間違えるはずもない俺のかつての同級生、神無月愛奈だった。

「ご主人様であるこのあたしが、あたしのメイドに命令して働かせている――問題はないわね?」

 いつも通りの得意満面、自信全開な言葉をぼんやりと聞く。ぼんやりと、と言うのも俺は神無月の言葉よりもその姿に目を奪われてしまったからだ。
 いつもと違い後ろで束ねられた鮮やかな金髪を結うのは金髪以上に鮮やかな赤いリボン。肩のふくらんだ白いブラウスにフリルで飾られたピンクの吊りスカートはあくまでタイトなミニ。
 ニィと同じく、ファミレスの制服に身を包んだその姿。それが、とてもかわいく見えてしまったからだった。





「Sランク以上のメイドはご主人様へのご奉仕活動全てが学業となります。バイトは禁止ですがご主人様の命令で有ればそれもまた学業の一環。問題はまったくありません」

 名土先輩の説明を聞きながらボンヤリと考える。
 あれから「ファミレスでバイト中」である神無月に案内され席について一息吐いたところ。ニィは神無月の命令で裏に回ったらしい。肩を落として去ってゆくのが哀れだった。
 先輩ははニィのバイトについて納得したのかいつもの柔らかな雰囲気だ。
 それにしても神無月がこんな所にいるのが意外だ。
 かつてはどんなに追いつこうとしても追いつけない特上の優等生。校則で禁止されていたし、バイトなんかとは縁遠く思えた。
 今はどんな状況でも自分を無理矢理通してくる問題学生。常識外れで、やっぱりバイトとは縁遠く思えた。
 だから神無月がバイトを、それもファミレスなんかで働いているなんて夢にも思わなかった。
 しかも……。
 チラリ、と辺りを見回す。
 昼過ぎのファミレスは、休日であることもありかなりのにぎわいだった。
 忙しく歩き回るバイトのウエイトレス達。タイトなミニスカートがふとももを眩しく演出。吊りスカートのサスペンダー……というよりフリルで飾られたそれはスカートの一部と言った方がいいかもしれない。肩から腰まで伸びるそれらは左右から胸を挟むようにあり、胸の膨らみを自然と演出する素晴らしいデザインだ。
 制服が有名な店なのだ。ガイドブックを見て来てみたいと思ったのだ。でも一人で来ることに躊躇いがあった。そしてデートという舞台があった。
 だったら組み込んでみてもいいじゃないか。名土先輩の悩みについては真剣に考えている。真っ正面から接しようと思っている。だったら俺だって自分をさらけ出すべきだ。そのためだったらこれは仕方ないというものじゃないか……!
 それにほら、常日頃メイド服という制服に身を包む名土先輩なら制服系のこの店になじめると思ったのだ。
 ほら、大丈夫!
 
「すいません、竜ヶ崎様。せっかくの今日という日に、余計なことをしてしまいまして……」

 だんだん細く暗くなっていく声に慌てて先輩の方を見ると肩を落としシュンとなっている先輩がいた。

「よ、余計な事って?」
「せっかく今日はメイドとしてではなく、その……一人の女の子として、その……デート……にお誘いいただいたのに、メイドとして振舞ってしまって……」
「き、気にしなくていいよっ!」

 あわてて取り繕う。先輩は今日は一日メイドではなく女の子でいるつもりらしい。だからさっきのニィに対してメイドチャンピオンとして振る舞ったことに後ろめたさを感じてしまっているのだ。
 でも後ろめたさについてなら俺の方がずっと後ろめたい。
 ふたりして俯いてしまう。
 なんかつきあい始めのカップルがなにも話すことが無く、照れてしまっている状況に酷似している。いや、実際それに近いものがあるのだが。
 そう、これはデート。
 何度意識したかわからない。それなのにそのたびに胸が高鳴って緊張してしまう言葉。
 いや、俺は意識しすぎた。ちょっと落ち着け。確かに今日は落ち着く暇がないくらいいろんなことがあったし、さっきもニィに神無月がいるなんていうハプニングもあった。
 でも、落ち着け。このまま止まっていてもしかたない。さっきから止まりすぎだ。
 だから、まず顔を上げ名土先輩の方を見た。
 それは失敗だった。
 先輩は俯いている。
 俯いていると言うことは身体が傾いでいると言うことで、そうなると先輩を今までにない角度で見ることができてしまう。
 ワンピースの胸元が見える。豊かな双丘が押し上げる、その間。そこには豊かな胸によってしか存在し得ないものがある。
 胸の谷間。
 深い。奥は暗くなっているため見えない。あのやわらかな深淵はどこまで続くのだろう。そんな思いに囚われて、どうしようもなく目が離せなくなる。
 神様、ありがとう。
 心の中が幸せな気持ちでいっぱいになった。
 ああ、この幸せが……

「ご注文はおきまりですか?」

 ……ずっと続いたらいいのにとか思ったら無遠慮な声に中断された。
 振り向けばそこには神無月が立っていた。
 しかしいつもの傲岸不遜な態度ではなく、ごくごく普通のウエイトレス。浮かべる笑顔もまた値段を付けるなら「サービス料 0円」という感じの営業スマイルだった。

「か、神無月……」

 名を呟けば、さらに神無月はニッコリとさらに微笑む。なぜだか神無月が今まで以上に可愛く感じられた。
 確かに綺麗な金髪を真っ赤なリボンでまとめているのは神無月らしく派手で、しかもかわいらしい。白いブラウスが演出する胸もタイトなスカートで眩しく映えるふとももも良い。しかし、どうしてこんなに……。
 
「スケコマシの竜ヶ崎様。ご注文はおきまりですか?」

 神無月は言った。輝くような笑顔のままで言った。
 
「え?」
「女ったらしの竜ヶ崎様、ご注文はお決まりですか?」
「神無月いやあの……」
「ヒモで甲斐性なしでの竜ヶ崎様……」

 そこで神無月は一旦言葉を止め、いきなり触れるほどの顔を近付け言う。
 
「ご注文はお決まりですか?」

 神無月は、あくまで笑顔だった。
 なんだかうんざりした。女の子の笑顔というものは素晴らしいもののはずだ。笑顔の女の子はかわいいはずなのだ。
 それなのに最近は笑顔の女の子に恐い目にばかり遭わされているような気がする。なんだか泣きそうだ。
 神無月はげんなりとする俺から離れ、フンと見下したように笑う。いつものように胸をピンと張り、腰を手に当てたポーズ。胸を強調したデザインの服のためか、その胸はいつもより大きく見えた。
 
「ご〜めんなさい、お客様。デートするとか言って自分のメイド候補をご主人様権限で連れ回してるなんて、スケコマシでも女ったらしでもヒモでも無いわね」

 笑顔から一転、見下した視線で俺のことを見下ろしてくる。

「最低を突き抜けてるわね。さらに下の下、最下層の床に書かれた落書きよ、あんたはっ!」

 指さして真っ向からそんなことをいい放った。その様子は堂々としていてある意味かっこよかった。言った内容と言われた相手が自分自身だと言うことを考慮しなければ、だが。
 ……さすがにこれはむかついた。
 どうしてこいつはいつもいつも俺の悩みなんか無視して自分勝手なことばっかり言ってくるのか。この学校で再会したときも、名土先輩を捜していたときも。そして、今日。いろいろ悩んだあげくデートという方法を選んだ俺の葛藤を少しも知らないのに、なんでこんな……!
 憤りにまかせ立ち上がろうとしたとき、
 
「それは、違います」

 先に、涼やかな声が響いた。
 それは先ほどまで俯いていた名土先輩だった。さっきまでの照れた様子ではなく、毅然とした顔。

「竜ヶ崎……くん……は、残念ながらまだ私のご主人様ではありません。ゆえに、この身にメイドとしてのご命令を与えることはできません」

 静かに、ただ静かに。騒がしい店内に、しかしはっきりと名土先輩の声は響く。

「その件について、竜ヶ崎……くん……は真摯です。ご主人様になることを条件に私を強制的にデートに連れだしたのではありません。一人の女の子としてデートにお誘いください、私はそれを受けたのです」

 静かだが止まらず一気に先輩は語る。先ほどのニィに対する先輩とも違う迫力に圧倒される。あの神無月ですら驚きに表情をかためなにもせず先輩を見つめる。
 
「ですのでこれは、正真正銘のデートです」

 先輩はそこまで言い切ると、ボッとまるで火の点いたように赤くなってしまい、俯いた。さっきまで毅然としていたのに小さく縮こまり俯く様は妙にかわいく思えて、見ているだけで俺の方も照れてしまう。
 ホントに真面目な人だ。あんな誘い方の、俺みたいなのが相手のデートでそこまで想っていてくれるなんて……。
 
「あんた……やっぱりサイテー……」

 ボソリ、と神無月が呟く。そのことばはなんだかひどく勘にさわった。
 だから俺は結局立ち上がる。
 
「なんだよまだ言うのかよっ! 俺の何処が最低なんだよっ!?」
「うるさいわね竜ヶ崎っ! あたしが決めた以上はあんたは最低なのよ! これは世界の決定事項、決して覆ることはないのよっ!」
「なんだそれっ!?」
「だ・い・た・い! あんたが名土メイなんか連れてくるからニィがまた落ち込んじゃったじゃないっ! せっかく落ち込んでるのを元気づけようとバイトに誘ったのにどうしてくれるのよっ!?」
「知るかっ!? そんなの偶然だろっ!」
「はっ! さっきからなによ、竜ヶ崎のくせにっ! あたしに口答えするなんて、偉くなったものねっ! 何様のつもりよっ!?」

 その問いに、俺はすとんと椅子に座り直す。
 そして、一言。

「……お客様だ」

 静かに、でもはっきりと告げてやる。
 神無月が絶句した。珍しいものを見てちょっとだけ気分が良くなる。
 と、まわりでもなにやらガタガタと音がする。見回してみるとみんななにやら姿勢を崩していた。机に突っ伏していたりひどいのになると椅子から落ちていたり。
 有り体に言えば、コケていた。
 まああれだけ騒いで注目浴びて、それでオチが「お客様」ではそれも仕方ないだろう。
 と言うかこの騒ぎで店長とかでてこないのか。大丈夫なのかこの店。
 などと考えつつ神無月に視線を戻すと、ようやく硬直から解けていた。
 
「あ、あんたねえ……!」
「俺はお客様。で、お前は?」
「世界一可愛い金髪のウエイトレス」

 転んでもただでは起きない、相変わらず自己主張の強い神無月に苦笑する。
 
「で、そのかわいいウエイトレスが何のようだ?」
「お客様、ご注文はお決まりですか?」

 マニュアル通りの対応。ようやく元の流れに戻った。さて、それではと思ったところでこの店に来てからまったくメニューを見ていないことに気がついた。
 
「まだお決まりではありませんか?」

 問いかけてくる神無月の声はあくまで柔らかい。こめかみが微妙に痙攣しているような気もするが、あくまでウエイトレスとしての態度を守る辺りこいつはこいつで普段は真面目にバイトしているのかも知れない。
 
「おすすめメニューとかあるか?」
「今は和風キノコハンバーグがおすすめです」
「夏場にハンバーグか?」
「キノコでトリップして熱さを忘れることができます。超おすすめです」

 ……これもマニュアル通りなのだろうか?
 なんだかこの店に来たのが不安になってきた。いや、制服は良いのだが。
 そこで気がついた。

「なあ神無月?」
「なんでしょう?」
「なんだかいつもより胸、大きくないか?」

 思わず素で聞いてしまった問いに神無月のこめかみがビシリと血管を浮かべる。
 しかし俺はこの疑問を放置できない。そうだ。いくら胸の大きさを強調するデザインとは言えもとから小さければかえって貧相に見えてしまうものだ。しかし今の神無月にはそれがない。あの平らな胸でそれはありえない現象のはずだった。

「当店自慢のデザインのコスチュームですので」

 神無月の答はやはりマニュアル通りのもののようだった。
 しかし、しかしだ。いかにデザインに優れていようと無から有は生み出せない。限界はある。そして神無月の胸はその限界を超えていたはずなのだ。
 
「でも……」
「当店自慢のデザインのコスチュームですので」

 さらなる疑問はまたしてもマニュアル通りのことばに阻まれてしまう。
 しかし、理解してしまった。
 小さな胸が大きく見える。
 そう、それはつまり「そういうデザイン」なのだ。服に何か仕込まれている。あるいは、下着にだろうか。そういうのも含めて「そういうデザイン」なのだ。
 知りたくなかった事実は貧乳の神無月によって知らされてしまった。
 ショックだ。この店の胸のを大きさを強調するデザイン。喜びに満ちたそれを俺は信じることができなくなってしまったのだ。
 気分とともに視線も下降。
 そこにはタイトなスカートがあった。そこから伸びる白い太股があった。その伸びやかさに俺の鼻の下も伸びる思いだった。
 
「竜ヶ崎ってほんとスケベね……」

 呆れてようなため息は、マニュアル通りではない神無月の声。
 
「あんた前の学校では女の子に興味なんてないと思ったのに、違ったのね」

 神無月の言葉がどこか遠い。感覚は既に視覚に集中してしまっている。
 タイトなスカートだった。派手に動いたら中が見えてしまうのではないだろうか。そう思えるほどの絶妙な短さは俺の視線を奪ってやまなかった。

「竜ヶ崎〜、気になるの〜?」

 揶揄するような、むかつく声。
 きっと俺のことを見下しているに違いない。しかしそっちに目を向ける余裕なんてない。まるで吸い込まれるような感覚。それほどまでに目を引きつけられてしまう。目を全く離せない。

「お、お前、そんなのはいていて恥ずかしくないのかよっ」

 負けないと漏らした声は、自分でも恥ずかしくなるぐらいうわずっていた。その声を受け、神無月は一歩退く。そして、ふむ、と一声漏らすと腕を組んだ。……と思う。そんな感じの動きが見えたような気がする。固定された視界ではそんな推測しかできない。その推測すら曖昧。目の前のふとももは、そんな風に目を離させてくれないのだった。

「そうね……こんなスカートじゃ、パンツ見えちゃうかもね」

 余裕に満ちた神無月の声が迎え撃つ。だめだ、勝てない。やはりこいつには勝てないのかも知れない。胸は偽りだった。しかしこのタイトなミニスカートから伸びる足は本物だ。

「でもね。絶対大丈夫なの。こういうスカートは見えそうで見えないようになってるのよ」

 そうだ。知っている。計算しつくされたそのデザインは見えそうに見えるのに、しかし本当に見える事なんてほとんどありえないのだ。

「どうやったって見えないの。それにはもう一つ理由があるのよ。実はね……」

 重ねられる神無月の言葉。
 どうやったって見えない?
 そんなわけはない。この世に完璧なものなどありえない。だから。そのわずかな神の一瞬。それを見逃さぬ為に男は目を凝らすのだ。
 理性はあきらめている。しかし本能は求めている。だから心は幻想を描く。ありえざる奇跡の一瞬を……!

「ぱんつはいてないから」

 全てが、止まった。
 
 おいつかない。理解が追いつかない。
 動け動け動け。思考よ動け。
 いや、動くだけでは追いつかない。
 走れ。
 走れ走れ走れ。思考よ走れ。
 まず何をすればいい? この驚異。胸囲がないやつの驚異。
 驚異。そうだ、まずは驚かなくてはならない。大きく息を吸い、そして、

「なんだってーっ!?」

 叫んだ。しかし、その声は俺一人のものではなかった。周りにいる席中からあがる声。疑問の叫び。そう、当然だ。こんなことを聞いてしまい平気でいられる男なんているはずがない。この叫びは男が男であることの証明だ。
 雄々しい叫びに囲まれ神無月は傲然と胸をはる。
 かつて神無月は自分を世界の中心だと言い切った。そのときはなにをおおげさにいっているのだと思った。
 しかし。
 いま、この瞬間、間違いなく。神無月愛奈は世界の中心だった。このファミレスという小宇宙の中、紛れもなく中心にほかならなかった。
 世界の中心は、周囲の視線を当然と受け止める。
 そして世界が注目する中、厳かに言葉を紡ぐ。

「――なんてことあるわけないでしょ? なに信じたの? あんたバッカじゃないの?」

 壊れた。
 砕けた。
 そして、沈んだ。
 いまあったはずの世界は、確かに沈んで消えた。
 俺も沈んだ。それは俺だけではない。みんな沈んだ。きっと今ここは世界で一番沈んでいる。世界で最も低い場所。つまり、ここは今……最低だ。

「男ってしょうがないわね……」

 神無月の呆れた声。
 だが俺は沈むだけでは終らない。譲れない信念がある。負けたくないと言う意地がある。諦められない夢がある。


「なんだよ、夢を見ちゃいけないのかよっ!?」
「なあにが夢よっ!? そんな小汚い妄想に夢なんて綺麗なコトバ使ってるんじゃないわよっ!」
「いや、違う……違うんだ……俺は純粋に夢みていた。汚くなんてない……!」

 なんだか泣きそうだった。でも途中でやめるわけには行かない。
 だから、俺は。思うままに、言葉を続けた。
 
「夢も理想も、目指すことに意味がある。現実になくてもいい! 心の中にあって輝かせるものだ! ただそれだけで意味がある! ただそれだけで尊いんだ……! お前はそれに泥を塗った!」

 真っ向から神無月に人さし指を突きつけた。

「それが、許せない!」

 その一言に。あの、あの神無月が一歩引いた。
 俺の理想は神無月に通じないかも知れない。しかし、その意志は確かに伝わった。そう思うことができた。

「竜ヶ崎くん……」

 横目にちらりと見ればそこには感動に瞳を揺らす名土先輩。
 確かに今の俺はある意味この上なく男らしい。でもこの過剰な男らしさは大抵の女の子を引かせてしまうものだ。しかし先輩はそんなことはなかった。

「竜ヶ崎くんは正しいっ!」

 立ち上がり名土先輩。そうだ、この人は。メイドになるというひとつの夢を追い続けてきた人だ。その瞳には輝きがある。その奥には輝く夢がある!
 そして、何より。
 立ち上がる動きに揺れる豊かな双丘があった。
 そこにあるのは、偽りではない豊かさ。真実の重さ。かけがえのないやわらかさ。全てがあるのだ。
 だから決まっていた。

「お前の負けだっ!」

 指さし叫ぶ。
 店の中の男達がみんな、同様に指さす。神無月に向けて。神無月の胸に向けて。

「な、なによこの一体感はっ!?」

 もはや神無月は敗北者だ。
 この最低の世界の、もっとも低いところへ押しやられようとしていた。
 しかし、それを受け止める者があった。
 
「みなさん……私はこのファミレスの店長、田島です」

 そう名乗ったのは2メートルを超える巨躯。筋骨隆々、ついでに禿頭、おまけに全身綺麗に日焼けして妙に迫力がある。そんな人が高級ホテルの受付のようなきちんとしたスーツにエプロンをつけているのが滑稽とも言えた。
 しかしその瞳に秘めた輝きは、きっとこの場にいて神無月を糾弾する者と同じものだった。

「この制服のためにこのファミレスをつくりました!」

 なんのためらいもなくそんなことを大声で叫んだ。
 ああ、この人も夢に生きる人なのだ。理解は共感を呼んだ。それだけで、男は分かり合えるのだ。
 
「このたびはバイトが粗相をして、申し訳ありません!」

 言いつつ、凄い勢いで頭を下げる。その剛腕でもってあの神無月にさえも頭を下げさせていた。抵抗する隙も与えぬ圧倒的な力強さだった。
 そして、再び上げた顔は満面の笑顔。

「夢は夢みてこそ夢! 夢をわすれないでくださいっ!」

 唐突な言葉。しかし、この場にいるものの心に刻み込まれただろう、魂の叫びだった。
 そして田島店長は神無月を凄い勢いで店の奥へと連れ去った。
 「おぼえてなさいよ竜ヶ崎〜」なんて声があっという間に遠のき消え去っていった。

「いったいなんだったんだろう……」

 自分の今したことも含めて呆然と呟く。ぱたんと席に着くと、俺を迎えてくれたのは名土先輩の笑顔だった。
 
「竜ヶ崎……くん……は自分を通したんです」

 まるで邪心を感じさせない笑顔、そしてそれ以上にまっすぐな言葉に照れてしまう。

「それはとても大切なことです」

 でも、あれはそんなに良いことだったのだろうか。
 なんだか疑問に思ってしまう。とにかく、今日は暴走しすぎだ。
 
「ですが……」

 ほら、やっぱり。名土先輩もさすがに文句があるだろう。
 
「デート中に……他の女の子をあまり見ないでくださいっ……!」
「え?」

 驚きに見れば、真っ赤になって顔を背ける先輩がいた。
 それはあまりにかわいい顔、かわいい仕草だったので、俺は動けなくなる。頬がとても熱くなった。きっと先輩に負けないくらい、俺も赤くなってしまっていることだろう。
 まだ、ファミレスにはいったばかり。注文すらしていないのに、俺はなんだか満腹感を感じていた。


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