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ストレンジのーまるデイズ

第十九話 虚構



 考えろ考えろ考えろ。
 俺は今日がデート初めて。それなりに予習はしてきたもののつけた知識は実践の伴わない付け焼き刃。先輩も今までの態度からするとデート初心者であることは間違いないだろう。だから足りない。足りないものが多すぎる。そんな状況なんだから気を抜くな。足りない分は努力で補え。そのために思考を走らせろ。

「りゅ、竜ヶ崎……くん……」

 考えるな考えるな考えるな。
 余計なことは考えるな
 だってそれはいくら想像したって追いつかない。フリルに想いを馳せても意味がない。半透明を心に描くなんて無価値。どの角度が限界か計算することも徒労に過ぎない。
 頭の中から消し去れ。消すべき単語は二つ。
 決戦。
 それと、下着!
 だからだめだその言葉、今は思い浮かべるのも危険だというのに……!

「あの、そろそろ……」

 だめだだめだだめだ。
 考えがちっともまとまらない。アレは本当に決戦に相応しい必殺の破壊力を持っていた。触れたわけではない。それどころか見たわけでもない。それなのに、負けた。きっと負けた。完全敗北だ。
 この疾走はあたかも落ち武者のよう。天下分け目の決戦は、とっくに決着がついてしまって、ただ命が残っているだけの俺はひたすら走るしかできることはなく……。

「止まってくださいませんか?」

 無思考かつ無指向なただ脚を動かすだけの疾走は、その言葉と手を引かれる重さにゆるまり、止まる。
 立ち止まり振り向けば、そこには薄い青のワンピースを纏う少女がいた。いや、年上のそれもこんな美人を少女なんて表現していいものか。でもその清楚な様子は少女と呼ぶに相応しく、しかしそのメリハリあるプロポーションは美女と呼ぶほどに悩ましい。
 名土先輩。
 息をわずかに乱し、頬を染め、わずかに俯く。その視線の向かう先は、俺と先輩を繋ぐ手と手。

「あの……すこし、恥ずかしい……です……」
「わ、わあっ!? ごごごめんっ」

 慌てて手を離す。離した途端、じっとりと汗ばんだ手は涼しいという感覚を得る。その感覚に何故か一抹の寂しさを覚える。
 先輩の方はどうだろうと見れば、先輩は離した手を胸に当てギュッと抱きしめ、一言。

「デートってドキドキするものと聞いていましたが、本当なんですね……」

 ドキドキさせられてるのはこっちの方だ。まだ激しい動悸がおさまらない。これは走り続けたせいもあるか。でも手を大事そうに抱きしめ、そのせいでやわらかに歪む豊かな胸がどうにもこの動悸の勢いを止まらせてくれそうにない。
 視線を別方向に向ける。深く息を吸い、吐く。落ち着こう。状況を知ることは必要だ。今度こそ、思考を切り替える。
 顔を背けることで得た視界の中には、行き交う人、人、人。
 闇雲に走ってきて辿り着いたのは、商店街のアーケードだった。駅から続いているそこはなかなか大きく店も多い。ついでに言えば人通りも多いわけだが、立ち止まった場所は店と店の間、やや寂しい路地に続く一角だ。それほど目立つ場所ではなく、それに駅前からはある程度距離も稼いだ。だったら別に慌てる必要はない。落ち着け、落ち着けよ、俺。
 落ち着いたところでふと、気になることがあった。なにか引っかかる。たった今聞いた先輩の言葉。「聞いていた」と名土先輩は言った。そしてさっきの決戦下着。
 とにかく、どちらも名土先輩独自の発想とは思えなかった。特に後者。いや、そっちはあんまり考えるな。今気にすべきは結果ではなくその原因だ。

「なあ、先輩?」
「……なんでしょうか?」
「今日のこと、誰かにアドバイスとか……受けた?」

 俺の言葉に先輩はこくんと頷く。すこし恥ずかしげな表情とその素直な動作。それらが小動物チックな可愛さで、年上であるはずの先輩を幼く見せる。
 いや、そうじゃなくて気にすべき事は……。

「こんなこと聞くのは変かも知れないだけど……誰に聞いたんだ?」
「……寮のみなさんに」
「寮って……」
「メイド学科の寮です」

 なんでもない一言。冷静に考えると「メイド学科の寮」なんて日常では聞かない特殊な言葉は「なんでもなくない」ような気もするが、それはそれとして今の言葉は聞き捨てならない。背筋を冷たいものが走る。
 聖いわく、メイド学科には名土先輩のファンクラブがあるとのことだった。
 そして現実にニィはファンクラブの会員証を持っていたし、そのつてで神無月のメイドになって俺に襲いかかってきたと言っていた。
 名土先輩がメイド学科の人間に今日のことを相談したというのなら、俺とのデートはそこでは周知の事実と言うことになる。
 ……やばい。やばい? やばいのか? いや、やばいだろう。それはつまるところ今日のデートが安全じゃないと言うことだ。名土先輩に「断絶」とも言える宣告を受けたニィが襲いかかってくる可能性は低いかも知れない。だがメイド学科には他にも常識の通用しない類の強さを持ったメイドがいたっておかしくない。それがファンクラブの会員で俺に襲いかかってこないと言う保証がどこにある?
 どうしよう。今日は聖もいない。あの白いパンツの聖だっていないのだ。いやなんでパンツだ。この期に及んで俺の頭の中からはパンツが離れないと言うのか。だいたい聖は非常識なまでに動きまくるから見えてしまうんだ。戦いなんてない方がいい。決戦なんて下着だけで充分だ。いやそーじゃなくて、俺は、俺は……。

「大丈夫です、竜ヶ崎”様”」

 その声は、町の喧噪の中であるというのにひどく静かに響いた。
 ただそれだけで止まった。恐れも不安も止まった。
 深く静かに染みこむように響き、しかし確かな安堵を覚える声。それは、名土先輩のメイドとしての声、そして言葉だった。
 その表情もまた、真剣でありながら見るもの全てに安らぎを与えるだろう慈愛の微笑み。メイドの微笑みだ。
 しかし今日見るそれは、どこかが違うように思えた。

「竜ヶ崎様との今。今日、一日。メイド学科のものが妨害することはありえません」

 きっぱりと力強く言い切る。
 名土先輩のその言葉は俺を安心させるための一言であるはずなのに、なぜだか戦慄した。そして気づいた。
 違和感を感じさせるのは、目だ。それから受ける印象には覚えがある。ニィが聖に破れ、そこに名土先輩がやってきたとき。倒れ伏すニィに向け言葉を投げた名土先輩の視線。あのときの目はきっとこうだったんだ。
 それは、絶対だ。
 絶対という言葉しか浮かばせない、ただそれだけの強い視線。
 肌が粟立つ。頭よりも心よりも、まず身体が理解した。今の言葉は絶対なのだと。

「ああ、わかった。大丈夫、なんだな……」

 俺が納得したのに満足したか、名土先輩は静かに息を吐きながら表情をゆるめた。いや、表情は微笑みのまま変わらず、視線の強さだけ確実に弱まった。
 それも、わずかな間のこと。再び不安げな、デートに不慣れな感じの名土先輩が顔を出す。

「それで、あの……これからどちらへ行かれるのでしょうか……?」

 もじもじとして、どこか不安げ。いつもの頼りになる空気はどこへいったのか。たった今ここにあった何者も寄せつけない強さはどこへ消えたのか。
 しかし、今ここにある空気はいやじゃない。緊張するけど、でも安らげる。そんな空気。それは俺がデートではこうなるだろうと思い描いていた雰囲気そのものだった。
 予習したことなら焦ることはない。ただ冷静に正確に、学んだとおりにやればいい。現実は机上の勉強とは違うけれど、恐れず進み状況を見てできる限りの対応をすればいい。足を止める必要はない。
 だから俺は予定していた言葉を口に出す。

「ああ、映画館に行こうと思うんだ」

 それは、思った以上に自然に、なにより自信を持って言うことができた。





 昨日の夜に目を通した情報誌とネット検索で、この町についての幾つかの情報を得た。思えば転校先の学校も適当に決めて、アパートにしても家賃と学校からの距離だけで決めてしまった。いいかげんだ。我ながらあのときはどうかしていたんだと思う。
 とにかく。そんな一夜漬けじみた情報収集でわかったことは、ここが思っていた以上に開けた街であると言うことだった。
 駅を中心として、町は開けている。中でも特徴的なのは大きなアーケードを有していること。アーチ上の大きな天井の下、いくつもの商店が軒を並べている。その中の一角に、映画館を見つけた。デートマニュアル「あこがれの彼女もこれでイ・チ・コ・ロ! 完殺デートマニュアル」にもデートでは映画館がおすすめという記述があった。
 そして今。俺は名土先輩とその映画館の前にいる。
 外観はそれほど大きくないそこは、それでも100席程の劇場を三つも擁しているそうだ。

「竜ヶ崎……くん。どの映画を観ましょうか?」

 まだ言い慣れないのか、俺の名を呼ぶ名土先輩はどこかぎこちない。なんでもサクサクこなしていくイメージがあったので、その様子はちょっと新鮮だった。ついでに言うとそんな風に呼ばれるたびに俺の方もなんだがぎこちなくなってしまうわけだが。
 それはさておき。
 現在この映画館で上映しているのは三本。
 一つはホラー。ホラーを選ぶのはデートの定番。怖がる女の子を男らしくサポートすることで高感度を大幅アップ!
 もう一つはラブ・ロマンス。これもデートの定番。一人で見れば退屈、しかしカップルで見れば、濃密かつムードたっぷりなラブシーンの数々で二人の気持ちが盛り上げること受けあい!
 最後の一つはアクション。それも銃と爆発がウリの派手なバイオレンスものだ。爽快なその内容は、理屈無くスカッとできるだろう。女の子も大興奮でデートの成功間違いなし!
 ――とか調子のいいことがデートマニュアル「今から君もラブハンター! 恋に禁猟区なんてない! 猟奇的にゴー!」に書いてあった。……時間がなかったとは言え本の選択はもうちょっと考えた方が良かったような気もする。
 で、それらを踏まえて俺が選択する映画と言えば。

「よし先輩。これにしよう」

 俺が指さした先には、両手にそれぞれマシンガンを持った男が描かれたポスター。アクションものの映画だった。

「はあ……」

 名土先輩はよくわからないといった感じで返事とも言えないような息を吐く。なにしろ映画の絵はマシンガンを持った筋骨粒々の男が雄々しく雄叫びを上げているような絵だったからだ。背景は爆発しか見えない。戦ってるのか爆死しそうなのかよくわからない過激さがポイントだ。
 今回の主旨は名土先輩に別な視点を持ってもらうと言うことだ。そしてこんなバイオレンスなのは名土先輩の知るメイドの世界とはかけ離れているに違いない。

「さ、行こ行こ」

 首を傾げる名土先輩をひっぱり、俺は映画館へと入っていくのだった。





「はい、おまたせ」

 映画館の中、うまい具合にとれたほぼまんなかの席。
 俺は売店で買ってきたコーラとポップコーンを先輩に手渡す。

「あ、ありがとうございます」

 先輩は緊張した様子でかしこまって座っていた。ピンと伸びた姿勢はとてもきちんとしているが、映画館のゆったりと座れることを前提に作られたソファでそれをやられるとちょっとおかしい。映画館はほどほどに混んでいて、その姿は少し目立つ。でもおかしいと言うよりは微笑ましいと言った方がいいのかも知れない。
 先輩は受け取ったポップコーンを真剣な面持ちでしげしげと眺める。

「ポップコーン、嫌いだった?」
「ポップコーン、ですか……いえ、嫌いではありません。ですが、これはやはり映画を観ながら食べるのでしょうか?」
「そうだけど?」

 言うと、先輩は何故だか赤くなってしまう。

「ですがその……はしたなくはないのでしょうか?」

 ああ、どうやら。名土先輩にはそういう経験がないらしい。年がら年中給仕する側の立場。給仕する相手がそうすることはあったかもしれないが、自分自身がこんな風にものを食べることなんてなかったんだろう。
 郷にいれば郷に従えと言う。先輩にもぜひともしたがって欲しい。でも言い方は先輩の郷にしたがってみよう。

「いや、そういう風にするのが映画を観るときの作法だ」
「そ、そうなんですか……」

 納得いかない、というよりよくわからないといった感じの名土先輩だった。
 映画を観るときにポップコーンを食べるというのは別に作法でも何でもない。そもそも映画を作品として楽しむ人だったら、なにか食べながら見るなんてとんでもないと言うかも知れない。まあ、映画はエンターテイメント。楽しみ方は人それぞれなので俺はこれでいいと思う。
 ”作法”という言葉がきいたのか、先輩は少しだけ肩の力を抜いて、ポップコーンを一口。

「こういう、ものなのですか……」

 モグモグと、それでも優雅にポップコーンを食べる先輩。そんなどこかチグハグな様子を見ていると、なんだかイタズラ心が湧いてくる。

「な、なにかおかしいでしょうかっ」
「なにが?」
「だ、だって竜ヶ崎……くん……わたしのことを見て笑っていませんか?」

 どうやら考えていることが表情に出ていたらしい。
 だったらそれを利用しよう。

「ああ。おかしいよ。だって……普通ポップコーンは映画が始まってから食べるものだ。今から食べるなんて名土先輩は食いしん坊だな」
「!」
「というのはもちろん冗談だ」
「!?」

 俺のでたらめな言葉に先輩は目を白黒させる。
 ああ、何だか楽しい。こんななんでもないやりとりが楽しい。思えば転校してから変なことばっかりで、こんなつまらないことで楽しいと思える自分がいることが素直に嬉しかった。
 ……いや、それ。喜んでいいのか?
 微妙にブルーになる。
 
「竜ヶ崎……くん……?」

 やや心配げに声をかけてくる名土先輩はそれでもぎこちなくて、苦笑してしまう。
 なんでもないと苦笑を微笑みに変えたところで照明が落ちた。次に生まれた明かりは、館内放送と共に浮かび上がるスクリーンから照り返される光。
 映画が始まろうとしている。
 その様に名土先輩は感嘆の息を漏らす。

「大きいですね」

 スクリーンの中ではCMが始まったばかり。でも、まるで照らし出された世界に魅入られたように先輩は呟く。

「音も、絵も」

 驚きと、そして確かな楽しみの混じった声。子供のように素直な感想。その言葉に俺は今さらながら問いかける。

「先輩って、もしかして映画館で映画観るの……初めて?
「はい。知識としては知っていました。でもこうして実感するのは初めてです」
「それはやっぱり映画に行く暇もなかったとか?」
「ええ、メイドとしての修練ばかりしていました。でもいけませんね。こんなことでは映画館に来たとき、ご主人様によりよくお仕えできませんね」

 言って、クスリと笑う。
 頭の中はいつもどおりメイド一色。それはいつもと変わらない。でも、こんなに力の抜けた笑みを見せる先輩は初めてだった。それだけでも連れてきて良かったなんて思ってしまう。
 やがて退屈なCMも終わり、映画本編が始まる。
 映画の内容はよくあるもの。主人公は正義感に燃える刑事。正義感に燃えているわりには限りなく暴力的で、悪に対しては微塵の容赦なく撃ちまくる。物語はやがて麻薬組織との抗争へと発展し、主人公は家族を守るためにマシンガンやらバズーカやら、殺る気まんまんの重装備で巨悪へと挑む……という感じに進行していく。
 後半になると画面を占めるのは銃撃と爆発。スピーカーがどこまで重低音を表現できるかと挑戦しているかのような轟音の連続。
 ある種、現実感のない光景だ。
 それを気楽に見ることができる。
 思えばこの一週間、まともなことはなかった。こんな風にスクリーンの外からなら気楽だったろう、なんて思ってしまう。
 映画を観ながらぼんやりと思い出す最近の出来事は、それこそスクリーンの向こう側のことのように現実感がなかった。
 例えば今だってそうだ。隣に座っているのはメイド学科の最高メイド、メイドチャンピオンの名土メイ。その肩書きだけでもウソ臭いというのに、そんな人が俺と二人っきりで、デートという名目でこうして隣にいるという事自体おかしなことだ。
 おかしなこと。
 そう、これはおかしなことなんだ。俺にはここにいる理由がある。俺を救ってくれた名土先輩を、迷いからどうにかして助けだしてやりたいからだ。
 俺には理由がある。
 じゃあ、名土先輩はどうなのだろうか? どうして俺から誘ったデートなんか承諾してくれたのか?
 メイドとしての義務?
 いや、そんなことはない。だったら今日だってメイド服で来るはずだ。「ご主人様候補である俺」の言うことを聞いて来たのなら、寮の人間がどう言おうとそうしたはずだ。名土メイというメイドチャンピオンは、そうであるはずだ。
 では、何のために来たというのだろうか?
 実家から名土先輩に突きつけられた選択肢は二つ。
 一つは、俺のことをなにがなんでもご主人様にすること。
 もう一つは。
 心臓がドクンと高鳴る。
 俺を、夫として名土家に引き込むこと。
 この二つの選択肢の間で揺れていた。そしてそれを聞いた俺はデートを申し出て、承諾された。これはつまり、名土先輩はもうえらんだということなのか? 二つ目の選択肢――俺を夫にすることをえらんだということなんだろうか?
 心臓が高鳴る。先ほどまでやかましいとさえ思った映画の爆発も銃撃も、心臓の音が激しすぎて耳に入ってこないように思えた。激しい爆発に明滅するスクリーンも、距離以上に遠く感じる。

 そんなときだった。
 突然、手を握られたのは。

 心臓がのどから飛び出ると言うよりは肋骨を突き破るかと思った。
 そんな激しい動悸に揺さぶられながら、それでも努めて冷静に考える。
 手を握ったのは右隣。そこには名土先輩が座っているはずだ。他には誰もいない。
 ゆっくりと、首を曲げる。押さえられない。どうしても見ずにはいられない。
 
 それで、俺は――落ち着いた。

 名土先輩は没頭していた。映画に夢中になっていた。
 きらきらと輝く瞳はまるで子供のようだった。初めてだという映画館での、それもとびきり派手な映像に圧倒されていた。
 話の筋はきっと先輩の趣味には合わないだろうと思う。でも劇場というものには独特の空気がある。数人で見るテレビとは違い、劇場を占める空気は確かに伝わる。興奮が、感動が、怒りが、愛しさが。空気で伝播する。暗い映画館に浮かび上がるスクリーンの輝きが、劇場を震わせるスピーカーの迫力が、理屈ではなく観るものすべての感覚を共有させる。だから映画館では一人で観たときには軽く流せてしまいそうな喜劇に爆笑し、冷静に受け止められるだろう悲劇にも涙する。
 そんな独特の共感。その中で、名土先輩はきっと感動している。
 映画そのものにではなく、きっと映画館というこの場自体に感動している。
 その純粋な様に、俺の余計な下心なんて入り込む隙間はない。だから俺は冷水を浴びせかけられたように気を落ち着かせることができた。
 そして思う。俺も初めて映画館に来たときはそうだったのだろうか。時間が経つことも忘れて映画の世界に入り込んでいたのだろうか。
 俺の手を求めた理由もわからない。きっと無意識だったのだろう。無意識に、この映画館という場所での感動を共有したいと思ったのかも知れない。だとしたら俺の手を選んだ事が嬉しかった。
 勝手な思いこみかも知れない。でも間違っているとは思わない。それもまた、ここが映画館だからだろうか。この暗がりの中では余計なものを見ずにものを見ることができるのかも知れない、なんて思ってしまう。
 手が、強く握られる。
 ほっそりとした指。しかし握ってくる力は強い。それに、手の甲から触れられているので意識される、微妙にがさついた感覚。でもそれは不快なものではない。
 傷ついた、でも暖かな手。どこか懐かしいそれ。思い出した。冬場の母さんの手もこんなふうに荒れていた。だから、これはきっと彼女がメイドであることの証明。積み上げてきた技術の証。
 ……俺は何を考えていたのだろう。こんな手を持つ名土先輩が、簡単にメイドをやめるなんて言う選択肢を選ぶはずがない。
 俺のデートの申し出を承諾してくれたこと。それはきっと、俺のことを信頼してくれていたからだ。
 名土先輩は言った。俺をご主人様とし、仕えることによってお互いを高めあいたいと。 そんな風に俺を信じてくれたからこそ、あの場面での急なデートの誘いに答えてくれたのだろう。きっとなにか考えがあるんだと、信じてくれたんだ。
 だったら、俺もまた応えなくてはならない。
 それでも。
 触れる手の暖かさに。すこしがさついてはいるけれど、確かに柔らかい感触に。
 心臓はどうしても高鳴ってしまうのだった。






「も、申し訳ありません!」

 映画が終わり、劇場をでてからの先輩の第一声がそれだった。
 
「どうして謝るんだ?」
「りゅ、竜ヶ崎……くん……の手を、ずっと握ってしまって……すっかり映画ばかり観てしまって……なにもできなくて……」

 消え入るような声でそう言うと、そのまま俯いてしまう。
 どうも、俺に対する気遣いができなかったことを気にしているらしい。メイドを目指す名土先輩らしい言葉。そんな気遣いはいらないというのに。だって、今日は……。

「気にすることはないよ」
「でも……ご不快ではありませんでしか?」
「とんでもない。それにデートってそういうものだから」

 そう言ってフォローすると、先輩は俯いていた顔を上げる。
 目があう。照れる。でも、言わなくてはならない。

「そういうものなのでしょうか?」
「ああ、そういうものだ」

 俺は先輩を安心させるように、自信を持って頷いた。

「でしたら……」

 言うなり、先輩は俺の手をとる。

「ずっと繋いでいましょうか?」

 素直に、本当に邪気のない微笑み。あまりに純粋なその表情に、こんなふうに意識してしまう俺の方が間違ってしまっているんなじゃないかという気になってしまう。
 だからその気まずさをごまかすように、
 
「い、行こうか」
 
 肯定も否定もできずただ逃げるように向きを変え歩き出してしまう。
 そんな俺を追うように手を包み込む感触があり、それが暖かで余計に止まれなくなり、顔を上げることもできず俯き加減に歩き続ける。
 でも、目的地にはすぐにたどり着く。
 映画館の近くのファミレス。どうにも混乱してしまう思考は予定通りの行動を機械的にこなしてくれたようだった。
 やっぱり予習は大切だ。たいへん役立つ。
 
「こちらでお食事を摂られるのですか?」

 先輩の言葉に声も出せず頷くだけで戸を開け、くぐる。
 リン、鈴が鳴った。俯いたままのなのでよくわからないが、扉に鈴でもつけられているのだろう。
 その音に重なるように
 
 シャン
 
 どこかで聞いたような鈴の音がなる。妙に印象深いその音もまた、鈴の音。
 
「いらっしゃいませ! ようこそですですっ!」

 聞き覚えのある声、なによりその特徴的な語尾に顔を上げる。
 そこには予想通りのツインテールとネコミミと触覚じみたくせっ毛があった。
 
「ですです!?」

 そこにいたのは、メイド学科の最強メイド、支倉 新実(はせくら にいみ)こと通称”ニィ”だった。


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