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ストレンジのーまるデイズ

第十七話 太陽



 授業も終わり、放課後。夕方と呼ぶにはやや早い時間。日中の熱がこもり、校舎の中はどこかむっとした熱気がこもっている。ここ、屋上へと向かう階段も当然例外ではなく、むしろ通風の悪さから余計に空気が淀んでいるように思えた。
 そんななか、屋上へ向け階段を上る。
 思えばこの学校に転校してきてから屋上に来てばっかりだ。
 初日に来たのは名土先輩からの呼び出し。初めての出会い。
 翌日、今度は名土先輩を連れてやってきた。前の学校での俺のことについて話した。そして、神無月と再会した。
 そして昨日。名土先輩から呼ばれたと思った。そうしたら神無月がいて、そしてニィとの追いかけっこが始まった。
 来るたびにとんでもない目にあっている。
 また思いもかけない出来事に出会うのだろうか?
 想像するとなんだかおかしくなってくる。嬉しいのではない。ただ、笑えるのだ。
 そうだ、きっと。また変なことがあるに違いない。だってここにいるはずのヤツは、とてつもなく勢いがあって、とびきり変わっていて……そして、俺にとって一番難しいヤツなのだ。
 俯きかけた姿勢を正し、前を向く。左手に提げた巾着を持ち直し、屋上への扉を開く。
 風。
 屋上の前の踊り場という閉鎖された空間に、外の空気が流れ込む。一瞬の清涼感。

「あ……」

 振り向く人影は、そんな呟きを漏らす。
 空は大半が蒼。しかし陽は低くなりつつあり、もうじき夕陽へと変わるだろう。
 そんな微妙な時。変化する直前の、どこか不安な時間。
 移ろいゆく陽光の下、頑としてなにものにも染まらないと言わんばかりに輝くのは金。腰まで届く、長いストレートの金の髪。
 振り向く動きに舞い広がる金髪は、やわらかな線を描く。
 相対する。その金髪の持ち主――神無月愛奈と。

「あ……」

 俺の姿を認めたからか、神無月はまた呟きを漏らす。
 何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳。その瞳を大きく見開き、驚くと言うより惚けたと言った方が似合う、力の抜けた表情をうかべる。いつでも勢い全開な神無月のそんな様子に、俺は苦笑しつつ、でもほっと安堵の息を吐く。
 良かった。やっぱり、ここにいたんだ。
 俺は軽い足取りで屋上へと踏み出す。

「あ、あ、あんた……」

 俺のことを指さしブルブルと震えながら神無月は呟く。

「あんた! 竜ヶ崎! 何しに来たのよっ!?」

 問う神無月に、俺は手にした巾着――神無月お手製の弁当が入った、あの巾着を掲げる。

「忘れ物だ」

 俺の一言に神無月は震えを止める。口を半開きにしたまま動きをピタリと止めるその様子は、まさに絶句。
 そんな神無月の様子がおかしい。ちょっとからかってみたくなる。

「あとはこう言えばいいのか? 遅れてすまなかった、とか」
「な、なに言って……!」

 グー

 そんな音が漏れた。
 俺の冗談めいた言葉に反論しようとした神無月が、どうしようもなく言葉を止める。まあ、昼抜きだったから空腹だったんだろう。それは俺のせいでもある。
 だから、気にせず歩を進める。
 陽が落ち、辺りは赤く紅く染まる。そのせいで神無月の顔を真っ赤にしたのが夕陽なのか羞恥なのかいまいち判然としなかった。






 屋上の端、
 背中には高いフェンス。ゆるいけど風が吹いていた。陽にさらされていた屋上は熱を持っていたが、それでも風があり陽も弱まってきたおかげかそれほど暑くはない。
 そんな場所に二人して並んで座ったりする。
 距離は微妙。触れるほど近くはないが、話すには遠くない距離。およそ弁当箱一つ分の空白を開け、並んで座っている。
 座る二人の膝の上には弁当箱。神無月の、おそらくお手製の弁当箱。

「あんたもなに考えてるのかわからないわね」
「そうだな」

 口を尖らせて呟く神無月に苦笑しつつ同意する。
 そうだ、確かに俺はバカなことをしている。
 前の学校では優等生演じ俺を騙しきり、そして再会した時には俺の目標を踏みにじることを言った。その上翌日には名土先輩を捜して焦る俺に「半殺し命令」を出した。
 今隣に座る金髪の女の子はそんな危険人物だ。俺にとっていろいろな意味で許せないヤツでもある。
 そんなヤツと、こんな放課後の、それも人気のない屋上で弁当を食べようと言うのだ。
 しかし、しかしだ。
 これは手作りの弁当だと言うのだ。
 神無月は俺と仲直りしようとしてそんなものを用意した。それは男として無視してはならないと思う。女の子の手作り弁当を無視するようではなんて言うか……青春失格という感じだ。
 それにこれは俺にとってのけじめでもある。
 俺は決めたはずだ。自分で歩んでいくと。過去に縛られず、前へと。
 神無月から目を逸らすことは楽なことかも知れない。でもそれは過去から逃げることになる。それではいつまで経っても前に進めない。ならばちゃんと向き合った上できっちりケリをつけなくてはならない。
 俺は正直この神無月愛奈という女の子をどう捉えていいものかわからない。かつてのあこがれだったこの金髪娘は、今では俺の中でどういうものなのだろうか。
 惹かれたところ以外がことごとく違って、騙されたことが悔しいのか。
 それとも惹かれたところだけは変わらず、再会できたことが嬉しいのか。

 わからない。
 
 ただ、気になる。考えるとどうにも心がざわついてしまう。けじめをつけるというのはその気持ちをはっきりさせるという意味もある。
 だから聖は連れてこなかった。来たがったがこれは俺自身の、俺一人で解決すべき問題だ。頑として断った。それにもし暴力沙汰にはなったとして……今の力を落とした聖ではどのみちどうしようもなさそうだった、ということもある。
 でも、そんなことにはならないと思った。
 前の神無月はおしとやかながら優等生という立場を崩さない、高いプライドを持っていた。そして今はそのプライドを前面に押し出して我をどこまでも通していくという感じだ。そんなプライドの高いヤツならそれなら俺を殴って終わり、なんていう安易な方法はとらないと思ったのだ。
 バカみたいな考えだが、でも大丈夫だと思えた。
 だって今だってこうして二人して座って弁当を広げようとしているのだから。

「大丈夫かしら?」

 つかの間の物思いに耽る俺をよそに、神無月は弁当の蓋を開くとクンクンと臭いをかぐ。
 確かに夏場だからそれは注意しなくてはならないことだろう。
 と、神無月の顔が曇る。

「……なんで湿布臭いのよ?」
「保健室の冷蔵庫を借りたんだ」

 保健委員のひなたのつてで、保健室の冷蔵庫を借りることができた。
 「高温に弱い薬品の保存や湿布を冷やしておくため」……そんな題目で、学校の費用で正式に購入された冷蔵庫。しかしそんな便利なもの、学校の業務のためだけというのはもったいない。だから一部生徒によって有効活用されているのは公然の秘密というヤツらしい。……本来の使い方もされるから、こうして匂いがついてしまうこともしばしばらしいが。今日は湿布が冷凍保存されていたのだった。

「だから保存状態は大丈夫な筈だけど……そうか、匂うか?」
「気になるほどじゃないからいいわ」

 言いつつ、躊躇いなど無いように弁当の蓋を開く。
 
「あたしの作った弁当は湿布の匂いに負けるほどヤワじゃないわ」

 自信に満ちたその所作に導かれるように、俺も弁当を開ける。
 どんなスゴイものにお目にかかれるか、と期待と不安を抱いて中を見ると……。
 意外にもオーソドックスだった。
 手前にはご飯。中央には梅干しの配されたいわゆる日の丸ごはんだ。それが半分を占め、奥の側にはおかずがぎっしりと並ぶ。
 三つの敷居に隔てられたのは、色鮮やかな三色。
 中央の赤。茹でたジャガイモにミートソースをかけたもの、その脇にはタコの足に切り分けられたウインナー。
 右手の緑。緑のアスパラにのせられたのは、トロリと溶かしたチーズ。
 左手の黄色。茹でて裏ごししたカボチャのサラダ。
 三色にわけられたおかずたちは見た目にも綺麗で栄養のバランスも悪くなさそうだった。なにより冷蔵庫に入れていたとは言え色あせていないのが見事だ。
 優等生を演じていた頃も含めてこう言うことは不得手と思えたが、この弁当はとても”ちゃんとしている”。正直、意外だった。

「いただきますっ」

 神無月の声にはっとなる。うわ、俺弁当に見とれてた。
 とまどう俺に神無月は不満げな視線を送る。
 
「な、なによ。食べるつもりで持ってきたんでしょ? 違うの?」
「ああ、もちろんそうだ……」
「じゃ、いただきますってちゃんと言いなさいっ」

 命令口調だった。なんだか抵抗を感じるが言ってることは間違っていない。確かに一緒に食べるつもりで持ってきて、そして「いただきます」を言うのはマナーとして正しい。だから、

「いただきます」

 素直に言うと、神無月はにっこり笑い
 
「はい、いただきます」

 なんて言うなり弁当を食べ始める。
 なんか、決意を胸にやってきたというのにあっさりと神無月のペースになってしまっているような気がする。
 微妙に面白くないものを感じながら、弁当を一口。

「うまい」

 神無月がなんだか不思議そうに俺の方を見ている。
 え? 俺いまなにか言ったか?
 おかしい。
 気を取り直してもう一口。

「うまい」

 おそらくはさっきと同じ言葉が口から勝手に出た。
 そしてようやく理解した。この弁当はうまい。冷めてるし時間がたって悪くなってるはずなのに、この弁当はたった一口でわだかまりもなにもかも吹き飛ばしてしまうぐらいにうまい。
 愕然とする中、横からは神無月の声。

「フフ〜ン。あったりまえでしょ? あたしを誰だと思ってるの? あたしよあたし、神無月愛奈なのよ。そのあたしが手ずから丹誠込めて作った弁当よ? うまくて当然おいしさ必然、賞賛は自然に出るというものよ」

 得意絶頂な、もうこいつの性格そのものと言ってもいい口調。傲岸不遜なその言葉。でも確かにうれしそうな声だった。
 それがとても耳に心地いい。

「神無月って料理うまかったんだな。知らなかった」
「あったりまえでしょ。能ある鷹は爪隠すのよ。もっともあたしは能がありすぎて全身に爪生えまくりで隠しようもないんだけどねっ」

 神無月は腰に手を当て胸をピンと張り、得意満面と言った感じだった。
 きっとこいつの想像の中では全身わさわさと爪が生えているに違いない。
 ちょっと想像してみた。
 ……不気味だった。でも似合っているような気がしてしまうのは何故だろう。

「それよりそれも食べてみなさいよ」
「え? どれだ?」

 相変わらず自分ペースの神無月が、ハシでビシバシ俺の弁当の中を指す。でもいまいちどれなのかわからない。そもそも神無月が座るのは俺の右側。右利きの神無月のハシは座る位置が微妙に離れているせいもあって遠く、どれを特定しているのかなんてよくわからない。

「それよそれ……ってああもうじれったいわねっ!」

 言うなりずりずりと腰をずらして近づいてくる。腰が触れ、驚く間もなく神無月のハシは俺の弁当箱に進入する。そしてつかみ上げたおかずはタコさんウインナー。ああ、タコさんウインナーという名称を口に出すのはいやだったのかひょっとして……なんて考えてる間に口の中につっこまれた。

「ふごっ!?」
「どう、おいしいでしょ?」

 ふふん、と笑う神無月。あいかわらず強引この上ない。しかし、表面カラリ、中はジューシーでコショウのアクセントの利いたタコさんウインナーは確かにうまいので文句を言えず、静かに味わい咀嚼する。
 神無月は自分の弁当に向き直り、自分もタコさんウインナーをつまみ、口に運ぶ。

「うん、いいでき……って……」

 ハシをくわえたまま俺の方を見る。きょとんと神無月の方を見るが、しかし目は合わない。神無月の目の向く先は俺の目元ではなく、自分の口元。
 頬が赤くなった。
 タコさんウインナーを平らげ、神無月に問いかける。

「どうしたんだ神無月?」
「な、なにがっ!?」

 なんだか声が微妙に裏返ってるし、表情も笑顔のまま動かず固まっている。
 俺のウインナーはうまかった。しかし神無月のはそうではなかったのだろうか?

「ひょっとしてお前の方だけコショウと七味唐辛子を間違えたとか……?」
「そそそんなわけないでしょっ!? このあたしがそんなミスするわけないでしょっ! あ、あ、あんたはそんなことは気にせず! あたしの作った弁当を食べて舌鼓を打ちまくればいいのよ! ドラムを叩くかのように激しくリズミカルにっ!」

 それはどんな舌鼓なのだろうか?
 神無月は下を向き、そしてはっ、声を上げるとズリズリと俺の方から離れてしまう。どうやら近づきすぎたことに気がついたらしい。
 神無月はしばらくハシをくわえたまま止まり、しかししばらくするとふたたび弁当を食べ始める。
 それきり、場を沈黙が支配する。
 神無月は静かに弁当を口に運ぶ。豪快なやつだからガツガツ食べるのかと思いきや、一口一口のハシにのるご飯の量は少な目で食べる様子も静かだった。それだけみればまっとうに女の子らしい。
 俺の方にしてもかけるべき言葉がみつからず、沈黙。ただ黙々と弁当を食べる。いや、実際弁当が予想外にうまかったので、余計なお喋りなどせずじっくり味わって食いたいという欲求もあった。
 でも、そんな時間も終わる。
 弁当を食べ終えてしまった。弁当箱の蓋を閉じ、ハシをハシ入れに収める。元通りナフキンで包んでしまえば、もうやることはない。
 そこで気がついた。
 なにやってるんだろう、俺は。
 確かに弁当をいっしょに食うために来たんだから別におかしくはない。でも、おかしいのは俺達二人の状況だ。
 なんて言うか……いま、ケンカ中じゃなかったか? 仲直りのための弁当と言っても、そういう問題を全部うっちゃっていきなり食べ始めてどうする? なに和んでるんだ俺は。神無月もなにをしてるんだ。
 隣からは、同じく弁当を包んでいるであろう布の擦れる音が聞こえる。
 横目に見れば、神無月も食べ終えて、俺と同じく横目に俺の様子をうかがっている。

「……なによ?」
「それはこっちのセリフだ。呼び出したのはお前の方だろ?」
「あれだけ遅刻しておいて何を言ってるのよっ」

 こいつはこの期に及んでこの状況を遅刻、と言うのか。
 それだけ言うと神無月は目を逸らし、また黙り込んでしまう。その気持ちはわかる。うかつにいったん和んでしまい、しかしそのあと沈黙に隔てられてはまたしきり直しというのも難しい。
 でも。
 そんなことで止まってどうする?
 俺はもう逃げないはずだ。向き合うと決めた。
 そして、言いたいことを言う。
 それが、俺だ。そのはずだ。
 だから、進もう。
 立ち上がり、神無月の前へと歩く。
 でもその足取りは重い。足をゆるめさせるのは神無月の姿。
 目の前にあるのは俺のよく知った、しかし見慣れないその姿。
 何より見慣れないのは、チラチラとこちらを見る神無月の目。睨むような、でも戸惑うように揺れる瞳。
 違う。その目は違う。
 かつての神無月を、俺は太陽のようだと思った。でも今、こうして目の前にある神無月は違う。一言で言うならくすぶった炎。それは内に強い炎を秘めているかも知れない。でも周囲には光をもたらさない、そんな炎。
 そのことに、いらつく。
 そのいらつきは俺を進ませる。屋上の縁にすわる神無月の前まで来る。
 神無月は睨むように俺を見上げる。その視線に構わず、俺は食べ終えて片づけまで終えた弁当箱を神無月に差し出す。

「弁当うまかった。ありがとう」
「……どういたしまして」

 いぶかしげに、それでも神無月はちゃんと弁当の包み受け取る。
 一つ息を吸う。まず、言わなくてはならないこと。

「初めに言っておく」

 弁当を受け取る神無月の動きが止まる。

「俺は名土先輩のご主人様にはなっていない」
「……ずいぶんとお世話してもらってるようじゃない?」
「あれは俺にご主人様になってもらうためのアピールだ。だからお前が張り合って俺にメイドを見せたって意味はない……って言うか迷惑だ。やめてくれ」

 俺の言葉を受け止め、神無月は俯く。それも一瞬。勢いよく立ち上がると、同時に顔を跳ね上げる。
 真っ向から睨み付けられる。

「あたしが何をしようと勝手でしょ? あんたいつからあたしに指図できるようになったわけっ」

 口調は変わらず、しかしさっきほどの勢いがない。本当にどうしてしまったのだろうか。おまけにそれだけ言うと、神無月は目を逸らしてしまう。

「お前、変わったな……」

 俺が感じたことは間違いだったのだろうか。
 神無月はまるで別人のように変わってしまったが、でも惹かれたところだけは変わっていないと思っていた。
 しかし今の神無月は、俺の知る彼女とは本当に別人のようだった。
 
「変わったのはあんたのほうよ……」

 まるで足下のコンクリに向けて言うように神無月は呟く。

「だからお前の方が……!」
「もしかして……彼女とかできたの……?」

 遮るような言葉は俺の意表をつくようなものだった。な、なにをいきなり言い出すんだ、こいつは……!?

「男って女ができると変わるって聞いたことがあるわっ。竜ヶ崎が変わったのはもしかしてそのせいっ……!?」
「えーと神無月?」

 問いかける俺の言葉をはね除けるかのように神無月は顔を上げる。
 バン、と広がる金の髪。真っ向から向けられる瞳。わずかに紅く染まる頬。
 まだ太陽にはまだおよばない。しかしくすぶっていると言うには強すぎるその炎のような勢いに気圧される。なにより、目を奪われた。
 神無月は綺麗だった。

「相手は誰っ!?」

 襟首つかんでくってかかってくる。
 その力強さに引かれ首が降りていく。神無月の顔がなおさら近くなり、動悸が速まってくる。ちょっとまて、なんでこんなに、こいつは綺麗で、それが近くにあるだけで、なんで俺は、こんなに、こんなに……!

「ま、まさか柳瀬聖っ!? あいつは辞めた方がいいわっ! あいつは胸同様頭の中まで紙みたいにペラッペラなんだからっ!」
「い、いや聖は違うっ」

 しどろもどろに、なぜか必死に。俺は神無月の問いかけを否定する。なんかすごい暴言を耳にしたような気もするが、それがどうも頭に残らない。それぐらい混乱している。
 
「じゃあ名土メイっ!? あんたメイドが趣味なのっ!?」
「それも違うっ、違う!」
「でも名土メイは胸が大きいじゃないっ! あんた胸が大きい方がいいんでしょっ!? なによなによこの巨乳好きっ!」
「確かに好きだけど……」
「巨乳なんてそんなにいいのっ!?」

 なんだか妙に混乱する頭の中、それでも閃くものがあった。言わなくてはならない言葉がある。だったらためらうな。俺は言うことをためらわないはずだっ……!

「いいっ! 大きい胸はいいっ!」
「どうしてっ!?」
「おっぱいの半分はやさしさでできてるからだっ!」

 神無月の手が落ちた。珍しいことにあの神無月が呆れている。
 でもそれは俺だって同じ。えーと俺、何言ってんだ。

「あんた……あたまおかしいんじゃないの……?」

 正直自信がなかった。

「半分がやさしさって……残り半分はなんでできてるの?」
「やわらかさ」

 言葉はひどく自然に口から滑り出た。

「さいってー!」

 真っ向からためらいなく非難された。しかし俺はそれを甘んじて受け止めることしかできない。いや、むしろもっと罵倒して欲しいぐらいだ。俺はどうしてしまったんだ?

「ああもうバッカバカしいっ!」

 俺もそれは同感だった。どうやら俺は動揺してしまい、飾らないまっさらな本音が飛び出てしまったらしい。いや、マテ。アレは俺の本音なのか? いや確かに大きな胸は素晴らしいものだと思うし人類の宝だと常々思ってるけど……俺、ここまで……?
 
「なんでこのあたしがこんなこんな、こおんなバカを意識しなくちゃいけないのよ……不覚だわ……!」

 なんだかよくわからないことを呟きつつ、神無月は再び屋上の縁へと腰掛ける。

「だいたいこんなバカに彼女ができるわけないわ。このあたしがそんな世界の絶対法則、未来に希望のありえない最強事実を一瞬でも見誤るなんて人生やり直したい気分よ……!」
「……泣くぞ?」

 俺の抗議に神無月はまるで今気がついたかのように顔を向ける。
 その顔には少し前の躊躇いもさっきまでの混乱もない。傲岸不遜きわまりない、自分が一番、世界の中心で当たり前という自信に満ちた顔があった。

「ホラあんたもなにバカ見たいに突っ立ってるのよ? ここ、ここ! 早く座りなさいよ。首が疲れるじゃないっ!」

 表情を裏切らないその言葉はしかし自分勝手の言いたい放題だった。しかし俺の方も座ってしまい距離の開いた神無月を見下ろすと、なんだか首が疲れるような気になってきた。
 だから、神無月の隣へと座る。
 弁当を食べたときより近い。肩が触れ合いそうな距離。なぜだか向き合っていたときより距離が近づいたような気がした。
 すぐ隣には金の輝き。真っ直ぐな、クセのない神無月の金のストレート・ヘア。

「あんた、ほんとに変わったわね」
「それは俺のセリフだっ」

 動揺する気持ちをごまかすように強く言う。でも、本当にその通りだった。だって前の神無月といたときだってこんなに胸がドキドキしたことはなかったんだから。
 なんだか顔を見るのが気恥ずかしくて、視線は自然に下へ。
 そこには胸がある。もとい、ない。

「あ! また胸の方見てるっ!」
「い、いやこれは……」

 あわてて言い訳しようとするが、さっきの発言からどうにもフォローのしようがないことをすぐに悟ってしまう。

「だいたいあんた、あたしのことを見くびらないでよねっ!」

 ぐっと胸を強調するように腕を組む。が、そんなことをしてもなんの変化もない。寄せて上げるような余分な肉のない細い神無月の身体では、例えばひなたなら悩殺必至となるそのポーズもあんまり意味がない。そんなことをしても大きくならないのだ。小さくならないのが救いか。それはつまり何も変わらないと言うことなのだけど。
 それでもぐっと、なぜだか力強く。神無月は腕組みをする。

「あたしはハーフッ! 巨乳大国アメリカの血を引いてるんだから、将来胸が大きくなるのはもはや確定事項なのよっ! 数年後にはあなたは吠え面をかくことになるんだから!」
「そうかなあ……」

 高校二年の時点でこのサイズでは、将来の急激な成長はムリに思えた。

「大きくなるわよっ! そのとき、あなたは過去の自分の行いに後悔するんだわっ! そのときはいくら悔いても謝っても土下座してもっ! あたしの胸には触らせたげないんだからっ!」
「え!?」
「謝るなら今! 今だけよ!」
「……すまなかった」

 反射的に謝ってしまった。いや、仕方ない。仕方ないのだ、これは。
 そんな俺を見て、神無月はクスリと笑う。

「あんたほんとにバカよね」
「そうか? ……そうかもしれないな」
 
 なんだか本気で自信がなくなってきた。なんで俺はこいつにこんなにバカなことを言ってしまっているのだろうか。なんでこんなに……気を許してしまっているのか。
 神無月とはケンカをしていたはずなのに。
 どうして、こんな……。
 
「ちなみに謝ったからと言って触らせてやらないからね」
「ええっ!?」
「とーぜんでしょ?」

 言うなりケラケラと笑う。
 優等生の頃の神無月だったら絶対にやらなかった、下品とも言える、でもひどく明るい笑い声。それが、なぜだか不快に感じられなかった。
 
「あんた、ホントに変わった」
「そうか?」
「バカになったってだけじゃなくて……変わった」

 神無月はそう言うが、俺にはよくわからない。
 確かに変わろうと思った。そのために転校した。自分のことを「僕」ではなく「俺」と言うようになったし、思ったことは全力で口にすることにした。
 しかし、まだ変わり始めたばかりで、どこに変化があるなんて自分ではわからない。神無月に、変わったと認められるようなことは、まだないと思う。

「だって……あのころのあんた、あたしとこんな風に話したことなかったじゃない」

 神無月の言葉にハッとなる。
 
「こんな風に近くで、こんな風に竜ヶ崎と話す日が来るなんて思わなかった……」

 確かにこんなに近くで神無月の笑顔を見たことはなかった。と言うより、こんな風に微笑えんだ顔を見たことはない。
 そうだった。神無月とはあくまで勉強の付き合い。こういう風にプライベートな時間を持ったことはない。弁当を食べることもなく、いっしょにいたのは教室か図書館。近くにいた理由は一緒に勉強するため。
 それだけだった。
 そもそも神無月に追いつこうとしていた俺にはプライベートと呼べる時間なんてものはなかった。勉強につぐ勉強。テレビだってろくに見なかったし、新聞にしても現代社会の勉強と言うことで芸能関係には目を通さなかったし……。本当に、勉強ばっかり。
 でも充実していたように思う。だって目指す先には目標が――神無月が、いたんだ。
 でも今は隣に神無月がいて、こうして普通の友達のように話している。
 確かに不思議だった。

「俺たち、ケンカしてるはずなのにな……」

 今の状況をケンカと呼べるかはわからない。とにかく俺は神無月に戸惑っていて、そしてその振る舞いに怒ってもいた。神無月も神無月で自分のメイドに興味を示さない俺に対して不満を持っていたし、そして今日約束をすっぽかしたことは怒っていた。
 お互い怒っていたのだから、ケンカといえるのかもしれない。でも今二人のあいだにある空気はケンカのそれとはちがって……。

「そうね。けじめはつけないといけないわね」

 言うなり、神無月は立ち上がる。
 そして座る俺の前に立つ。
 戸惑う俺の前、神無月は真っ直ぐに俺のことを見る。
 弁当を食べ終えた後と逆の状況。あのとき、神無月もこんなふうに緊張していたのだろうか。こんなふうに……ドキドキしていたのだろうか。

「悪かったわ」

 何に恥じるでもなく。しかし真摯に。
 何に屈するでもなく、しかし誠実に。
 確かに、はっきりと。神無月の唇はわびの言葉を紡いだ。

「悪かった。人を使ってあんたをどうにかしようなんて間違ってたわ。それでまわりに迷惑をかけたのも、悪かった」

 そして神無月は、信じられないことに頭を下げた。
 でも頭を下げたというのに、なぜだかそれはひどく堂々としていると思った。
 物怖じするでもなく、へりくだるでもなく、しかし自分で過ちを認め、そしてそれを謝罪する。その行為には余計なことは必要ないのかも知れない。

「今後はあたしが直接出向くから。あんたとのことは、あたしが直接する」

 なんだか気持ちが良かった。
 あの神無月に謝られている事に対するくだらない優越感じゃない。
 対等にあるという充足感。
 だから俺も、対等にあるべく。立ち上がり、声をかける。

「ああ。それでいい。だから名土先輩や聖に迷惑かけないようにしろ。おまえのことは俺が受け止める」

 俺の答えに神無月は顔を上げ、
 
「……ええ」

 と頷いた。それはひどく素直なものに思えた。
 そして神無月は手を差し出す。
 考えるまでもない。俺も手を出し、そして神無月の手をがっしりと握る。
 小さく華奢で、柔らかい手だった。
 見つめ合う。
 そこにはわだかまりはなく、ただ真っ直ぐな思いがあった。通じ合う何かがあった。
 今このときだけは神無月の澄んだ真っ直ぐな瞳は俺を見ている。俺だけを見つめている。
 とても、気持ちが満たされる。
 そしてようやく理解した。
 
「ああ、お前は変わってないんだな」

 俺の言葉に、
 
「やっとわかった?」

 神無月はさも当然というように言う。
 そう、ようやく理解した。
 謝っているときの神無月は、あくまで神無月だった。退かず、媚びず、しかし真っ向から謝った。
 快世にいたころの神無月もそう。たしかに優等生を演じていた。胸の大きさをごまかしていた。黒髪にしていた。でも、それも神無月の主張の一つ。自分を曲げていたんじゃない。優等生というレールすらも進む道の一つにしか過ぎなかった。その道を神無月は神無月として進んでいただけだったのだ。

「あたしはあたし。どこまでもあたし。誰にもそれは変えられない。変えさせない。あたしを決められるのは、あたしだけなんだから」

 変わったと思った。騙されたと思った。でもそれは違う。見抜けなかったのだ。神無月はあくまで神無月だということを。俺は憧れるばかりで神無月を表面でしか見ていなかった。
 あの瞳を知っていたのに。何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳。その瞳を知っていたというのに。
 それで勝手に混乱していたのだから、俺の方こそ謝らなくてはならないのかも知れない。
 どちらともなく手を離し、向き合う。
 手を離したことで急に不安になる。一瞬だが対等になったように思えた。あの瞳を向けられて、誇らしかった。しかし俺はこの神無月と対等だと言えるのだろうか? そんなことはない。俺はまだまだ変わろうとしているところで……。
 
「でも竜ヶ崎。あんたは変わったわね」
「え?」

 萎縮しそうな俺にかけられたのは、意外な言葉だった。

「だってあたしにさからったことなんてなかったでしょ?」
「それは……」
「あたしに意見することもなかった。いつもあたしの後から、あたしの歩いてきた道を辿ってきた。でもいまは違う道。どっちが進んでるかなんてわからないけど、あんたは違う道を行こうというのね……」

 何か奇妙な気分だった。
 神無月のあとを着いていくことができなくって、
 だから、神無月にそう言われるのは……どこか寂しく、でもどこか嬉しいような、不思議な気分だった。

「でも、あんたも変わってないところがある」

 笑顔で神無月は言う。

「バカみたいにひたむきなとこ。そこだけは変わってない」

 そうだろうか。
 そうかもしれない。俺はあの時と同じ。とにかく目標として定めた道を、がむしゃらに進もうとしている。今はあのときと違い目的地すら見えない。でも、進もうという意志。それだけは変わらないのかもしれない。

「じゃあ、俺も」

 神無月が変わって無いと言うのなら。

「やっぱり、変わってないんだと思う」

 そう、なんだと思う。
 言葉にしてみるとなんだかひどくサッパリした。
 なにも変わらず、しかし進む。進んでいる。
 ようやく自分を認めることができたように思えた。
 それだけのこと。たったそれだけのことに気づくのに、どれだけの時間をかけたのだろうか。どれだけの日々を無駄にしてしまったのだろう?
 いや、無駄じゃない。
 だって今こうして進むことができる。悩んだことだって無駄ではないはずだ。
 
「うん。そうね。変わってないわね。それは良かったと思う。あんたのひたむきなところ、結構気に入ってたんだから」

 イタズラっぽく笑いながら、神無月は言う。それはひどく照れ臭い。だから俺も、照れるように、その照れをごまかすように、笑う。
 それはなんだか懐かしかった。神無月が優等生だった頃、二人で勉強して。こんな風に笑い合ったことはなかったけど、こんな優しい空気があったと思う。

「ね、あんたここ来てからあんまり経ってないのよね?」
「ああ、今週越してきたばかりだからな」

 ほんとめまぐるしくいろいろなことがあって、片付いてないことばかりだ。身辺はごたごたしているというのに名土先輩に整理してもらった部屋だけが整然としているのがなんだか変な感じだった。

「この町、案内してあげようか?」
「ああ。それはありがたい。ちょうど良かった、明日でかける予定だったんだ」

 俺の返答に、神無月はキョトンとする。

「どこ行くの?」
「決めてない。でも、この町のどこか」

 ますます不思議そうな顔をする神無月。それもそうだろう。町を知らないと言うのにどこかにでかけようなんて矛盾もいいところだ。いくら余裕がない状況だったとは言え、俺も無計画なことだ。
 神無月はいぶかしげな顔で俺を見つる。しかしそれも少しの間。なにかピンと閃いたかのように顔つきが急に鋭くなる。

「……誰と?」

 なんだかその質問は致命的な、答え方次第では命を失いかねない恐怖を感じさせた。
 だからといってうそを言うわけにもいかない。そもそも別にうしろめたいことなんてなはずだ。なんで俺はそんなことをかんがえてしまってるんだ?
 真っ直ぐな神無月の瞳に恥じるようなことをしてどうする? いやでもどうしてこんな睨み付けるように強いんだろう?
 とにかく。正直に答えることにした。

「名土先輩と、出かける」

 言った瞬間。何故だろう? 致命的な失敗を犯したような気がした。
 でもそれは気のせいだ。気のせいに違いない。だって神無月はさっきと全然変わらない様子で……ホントにまったく眉一つ動かさず質問を続けてくる。

「……他には?」
「え?」
「他のメンバーは……?」
「いや、いない。名土先輩と、二人で」

 そこで、言葉が途切れた。
 笑顔はかわらない。神無月の笑顔はさっきとまるで変わらない。
 だって言うのに、なんで俺はそれを恐ろしいと思ってしまっているのだろうか? 何故背筋を冷たいものが走り、その冷たさに俺は震えてしまっているのだろうか?
 沈黙が場を満たす。
 陽は沈みかけ、あたりは夕陽で真っ赤に染まっている。
 なぜか、血のような紅だと思った。
 なんでこんな不吉な事を考えてしまっているんだろう?
 振り払うように、俺は口を開く。
 
「神無月……?

 そう言った瞬間――俺はまた、失敗をしてしまったと思った。だってきっと、それがきっかけになっただろうから。

 瞬間、爆発した。

 なにかが確かに爆発した。
 そして目の前に太陽がいた。
 まぶしいばかりの輝き。しかしその源は、近くにある何者をも燃やし尽くさずに入られない苛烈さ。
 それは、金の髪を持つ少女。神無月愛奈。まさしく神無月愛奈だった。
 神無月はその輝きのような勢いのまままくし立ててくる。勢い――そう、それはまさに圧倒されるような勢いだった。

「なによつき合ってないって言ったじゃないっ!? アレウソ!? ウーソーなーのっ!?」
「いや嘘じゃないって……」
「だって一緒に出かけるんでしょっ!? 二人でっ! それってデートよねっ!? 違う違うちーがーうっ!?」
「違わないけどいろいろと事情がっ!?」
「あーもー、あのウブで純でかわいかった竜ヶ崎はどこにいったのよっ!」
「どこって……ここ! ここだろっ!?」
「いいや違うあんたじゃないっ! あんたやっぱり変わったわよ! チェンジよ変身よ完全変態よっ!」
「おまえなあっ!」

 神無月は俺の言葉を振り切るようにバッと背を向ける。そして一度だけ振り向いて、一言。

「あたし! あんたなんか! だいっ嫌いなんだからっ!」

 そう言って立ち去った。
 呆然とする。
 なんなんだろう、あいつは。言いたいことだけ言って。
 さっきまでの話はなんだったのか。わかりあったような気がしたのに、いったいなんだったのか。
 混乱しつつ、ふと口元に手をやる。笑みの形をとっていた。
 そう。俺は今、なぜだか笑っているのだった。だって。そう。あれが。
 
「神無月、なんだよな」

 そう呟くと、なぜだかひどく、しっくりときた。
 そうだ。あいつは。どこにいようと俺の手の届くところになんてなくて、俺のことを引っかき回すんだ。
 でも今度はそれだけでは済まない。俺だって、引っかき回してやる。
 そう思うと、これからが先がひどく楽しいと思えるのだった。 


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