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ストレンジのーまるデイズ

第十六話 手作り



 悩んでいても時間は経つものだ。
 だから、日は暮れるし次には昇る。朝だってやって来る。

「ふわああ……」

 そして、眠かったりもするのだ。朝、通学路。あくび混じりに歩きながら、俺は昨日のことを思う。
 怒濤の出来事に翻弄された一日。
 名土先輩を探して、神無月に呼び出され、ニィに追われて聖が戦った。そして名土先輩に悩みをうち明けられてから、一晩。
 その夜はやっぱりいろいろと思うことがあった。身体はぼろぼろ、疲れてぐっすり眠ったつもりだったがやはりその眠りは浅かったらしい。眠い。
 名土先輩の悩み。今までメイドとなるために純粋すぎるほど一途に励んできた先輩は、しかしそのことに迷ってしまった。
 今まで信じて進んできたこと。その目標自体を迷い、見失う。
 それには覚えがある。
 かつて俺も神無月を目指し、しかしあいつは俺の前から去ってしまった。そのとき、俺は今まで進んで来た道を否定され信じられなくなってしまった。
 俺の悩みと名土先輩の悩み。かけてきた年数が違う。重みだってちがうかもしれない。でも、その本質はかわらないものだと思う。だったら、それを乗り越えた俺だったら名土先輩を手助けできるはずだ。そして名土先輩に助けてもらった俺は、今度はお返しをする番だ。
 それにしても、昨日は勢いもあったとは言えとんでもないことを言ってしまった。「デートしよう」なんて提案は普通に聞いたら突飛すぎるだろう。
 でも、名土先輩は受けてくれた。
 なんだかあっさり受けてくれた。正常な判断ができないぐらい混乱していたのか、あるいは自暴自棄になっていたのか。
 でもそれならそれで好都合。俺ががんばればきっと名土先輩の悩みだって解消できるはずだ。だって、俺だってかつて……。

「りゅ〜がさき〜」

 なにやら間延びした声にふと我に返る。
 考え事をしながら歩いて、気づくと聖と激突したあの曲がり角にたどりついていた。
 そして声をかけてきたのを誰かと見れば、それはやはり聖だった。
 しかしいつもと全然様子が違う。
 いつもはピンと背筋を伸ばし元気な様子なのに、いまは微妙に猫背で肩も落ちている。元気の象徴である紅いポニーテールもまるでくたびれた老犬のしっぽのように垂れ下がっている。……いや、ポニーテールというものはそもそもいつも垂れ下がっているわけだが、聖の背負う暗い雰囲気がそういうイメージを思わせるのだ。

「おはよう……」
「ど、どうしたんだ聖?、元気がないみたいだけど……」

 と、そこまで言って俺は自分の愚かさに嫌になる。
 聖は昨日あんな激戦を繰り広げたのだ。”第三限界”を使った疲れとかで保健室で一時間ほどぐっすりと眠った。そして目覚めたときには俺の手当も終わっていたと言うことで解散になった。
 最後に見たときには特に怪我はないようだったが、もしかしたらどこか痛めていたのかも知れない。それが今朝になって悪化して聖の元気を奪ってしまっているかも知れないのだ。

「なによ? いきなり暗い顔しちゃって……」
「いやおまえこそ元気ないじゃないか。大丈夫か? やっぱり怪我してたんじゃないのか?」
「ん……そんなことないわよ」
「でも……」
「これは、昨日”第三限界”使ったから。どうしても疲れが残るのよね」

 言いつつ、コキッ、と首を曲げる。

「無理させたな」
「気にすることはないわ。あのとき戦ったのはわたしの意志。それにホントはこんなことないはずなのよ。完全に”第三限界”を制御できていれば疲れなんて残るわけないの。こんな風に後遺症が残るのは、わたしの未熟」

 そして聖はのびをする。
 右手には何持たず、左手にはカバンを持ったままのややアンバランスに、しかしぐっと身体を伸ばす。身体のラインが強調される。
 細い。
 胸もなく背もそれほど高くない聖の身体は、細いという印象しかない。
 ほんと、こんな華奢に見える身体であんな常識突破の戦いを繰り広げたなんて信じられない。
 しかしそれでも夢のように現実感のないことではない。だってその身体の内から感じられるのは、あのときと変わらぬ強い意志。空に向かう瞳はどこまでもまっすぐだった。

「……神無月には負けてられないのよ」

 どこに向けてというわけでもなく、自分に言い聞かせるように聖は呟いた。

「おまえ神無月と仲悪いみたいだけど、なにかあったのか」
「うん、ちょっとね。こだわりみたいなもの、かな……?」

 伸びをやめカバンを下ろし、視線を逸らしつつ言う。こいつがこんな風に言うのは珍しい。

「それも、わたしの未熟さ。でも、でもね。だからこそ負けたくないのよ……」

 最後の言葉は、笑みの形をとった口から発せられた。その表情は女の子らしい微笑みにも強敵を前した格闘家の不敵な笑みにも見える。それなのに、なぜか。どこか悲しみをたたえているようにも感じられる。
 そんな、複雑な表情だった。
 だが、それも一瞬。聖はまだ疲れを残したまま、しかしいつもの元気さを感じさせる表情をとりもどす。

「それより、さ」

 向けてくるのは、どこか期待に満ちた視線。

「わたし、かっこよかった?」

 ニヤリとした、どこか得意げな笑み。でも、それは全然嫌みじゃなくて、むしろこの朝のようにさわやかなものだった。だから、

「……ああ、かっこよかった」

 俺は素直にそう答えていた。でもそれはまぎれもなく本心。ハリセンを手に迷いなく全力で立ち向かう聖はあのときは凄いとしか言えなかったが今思い返せば、確かに”かっこよかった”。
 その言葉を聖は満面の笑顔で受け止める。

「うん、よろしい」

 言って、こくりと頷くと、くるりと向きを変える。その向く先は当然学校。

「さ、はやく行きましょ。遅刻しちゃうわよ」

 そう言いながら歩き出す。その足取りはいつもよりゆっくり。なにか違和感を感じる。まだ疲れが残っているのだからその足取りは当然として、でもそれを考えても変に思えた。
 考えたら、すぐにわかった。

「そう言えば聖」
「ん?」
「今朝は早いな」

 そうだ。そのことが気に掛かったのだ。
 聖は初めて出会ったときから全力疾走で登校していた。それが今日はこうしてゆっくりと歩いている。俺はいいかげんちゃんと目覚ましを仕掛けたし、もともとそんなに朝が弱いわけでもない。一人暮らしでの朝がどれくらい時間をとるものなのかももうわかった。学校に何時に通えばいいのか、生活のリズムはちゃんとできつつある。
 朝以外の生活は変動が激しすぎてサッパリだが。
 ……とにかく。この時間こうして通学路を歩いているのは全くもって普通のことだ。
 しかし聖は違うだろう。ひなたも言っていたが聖はいつも全力疾走のはずだった。

「うん。今朝はちょっと走るの無理だってわかってたから、早めに起きたのよ」

 なんてあっさりかえした。

「なんだよ? 聖って朝が弱いわけじゃないのか?」
「弱くないわよ。なによ竜ヶ崎、わたしそんなに低血圧に見える?」

 じっと聖を見る。
 凛とした勝ち気そうな目。燃えるような紅のポニーテール。なにより疲れているはずなのに感じられる身体から溢れるような元気さ。

「高血圧にしか見えない」
「でしょ?」

 何故か嬉しそうに肯定する聖。調子に乗って塩分は摂りすぎないようにしていただきたい。
 
「でもそうすると、どうしていつも朝ぎりぎりに来るんだ?」
「人間ぬるま湯に自分をおいておくとどんどん堕落するものでしょ? だからいつもはギリギリに目を覚まして全力で走ってくるのよ。常に刃の上に自らを置き、感覚を研ぎ澄ます。自己鍛錬の基本よ」

 ご大層なことを誇らしげに言う。なにを誇っているのかは謎だが、まあ本人なりのこだわりというものがあるのだろう。

「でもそんなんじゃ遅刻することもあるんじゃないか?」
「なに言ってるのよ。わたしは学級委員長なのよ。みんなの模範にならなくちゃいけないんだから、遅刻なんてしない。いままでずっと大丈夫だったわ」

 みんなの模範になるのなら、毎朝早めに余裕を持って登校すべきだと思うのは誤りだろうか? でも毎朝全力疾走、ギリギリなのに遅刻しないと言うのは大したものだと言える。
 感心しつつ呆れるという微妙な心理状態の俺をよそに、聖の言葉は続く。

「それに、ほら? 朝は気持ちよく、一日に希望を持ちたいじゃない。チコクチコク〜とか言って走って登校すると、なにかいいことに出会えそうに思わない?」

 ……なんかそれは、世間的な常識に照らし合わせて考えれば間違っている。間違ってはいるけれど、共感できるものがあった。だってそれは俺が考えていたこととほとんど同じだから。
 こいつ、わかってる。出会ったときも思ったが、お約束というものをよくわかってる。なんとなく気が合うと思っていたが、こういう根っこの部分の考え方が同じだったとは。
 しかし違いはある。俺の場合は単純に寝坊という失敗からの逃避だった。しかし聖の場合は前向き、未来へつながる希望なのだ。すごい。冷静に考えると前提自体おかしいような気もするが、前向きなのはいいことだと思う。

「実際、竜ヶ崎とは運命的な出会い、できたしね」

 照れたように、はにかむように。聖はそんなことを言うものだから、俺の方もなんだか恥ずかしくなってきてしまう。

「トーストで殴り倒されたのが、か?」
「そういうことにしないとやってられないのよ……」

 照れ隠しに言った言葉はなんだか陰りのある言葉でかえされた。その暗さは疲れだけではないだろう。微妙に気まずさを感じて視線を前にすると、いつのまにか校門は目の前だった。
 いつのまにやら周りは同じように通学する生徒の姿がたくさん。そんなに騒がしいわけでもない、でもどこか賑やかな朝特有の登校風景。
 そんななかを微妙な距離感を保ちつつ聖と進む。校門を抜け昇降口へ。下駄箱の前には、

「おはようなの〜」

 ひなたの気の抜けた笑顔。なんだかホッする。いろいろあったけど、ようやく日常に戻ってきた……そんな感慨を抱く。
 でも、考えてみたらこの学校に来てからまともな日常なんてあったんだろうか? 今しがたも微妙に一般に言う日常から外れた聖の”日常”について話を聞いたばかりなのだ。
 今日一日は無事に過ごせるのだろうか?
 急にそんな思いに囚われてしまう。平和な日常というものはいつになったらやってくるのだろう。
 いや、暗い方向に考えてはいけない。明日には名土先輩の悩みを解決するべくデートをするのだ。俺が暗くなってどうする。
 もっと明るく前向きに考えよう。聖を見習え。たとえば朝遅刻しそうな全力疾走なんていう、普通に考えたらトラブル以外のなにものでもないことでも捉え方一つで全然変わるのだ。それに平穏な日常がいつやってくるか、だって? 今日からかも知れない。今、この瞬間からそれが始まるかも知れないじゃないか。
 気を取り直して下駄箱の蓋を開く。すると。

 パサリ

「なにか落ちたの〜」
「ん? なによなに?」

 ひなたの指摘に聖が興味深そうに首を突っ込んでくる。二人の視線の向かう先は俺のそれと同じ、スノコの上に落ちた折り畳まれた紙。

「ラブレター……なわけないよな」

 つぶやきつつ拾い上げる。真っ白な紙が折り畳まれただけのそれは、ハートのシールとかピンクの便せんとか男の子の心をときめかせる装飾などまるでない。一瞬のときめきはあっさりと消え失せた。
 とりあえず広げてみる。A4サイズほどの真っ白な紙、その中央に流麗な筆跡で記された文字を読み上げる。……わざわざ読み上げるなんて事をするのは、左右から覗き込んでくる二人の視線の強さがもはや一人で読むなんて言うプライベートの保護を許してはくれなかったからだ。
 そして、その内容は……。

「昼休み屋上に来ること 神無月 愛奈」

 深く、重く、なによりなにより長く。肺の中の空気すべてを吐き出すような勢いでため息を吐く。
 読まなければよかった。きっちりと声に出して読み上げたせいで、その内容をごまかすことができないように思えたからだ。
 
「竜ヶ崎……」
「竜ヶ崎くん……」

 二人の慰めるような呼びかけに答えることもできない。
 ……前向きに考えようと何だろうと、平穏な日常というのはしばらく無理なようだった。





「うん、うまかった」

 昼休みも終わろうという時間。教室に戻り、俺は一息吐く。授業を間近に控え、教室の中は騒然としていた。
 今日は学食で昼食を摂った。
 名土先輩と話すことはできなかったが、途中給仕をしているのを見かけた。
 とりあえずそれで、少しだけ安心できた。
 でも、危うい。昨日のあの悩みから完全に立ち直ったわけではないだろう。だったら明日のデートはきっちりやらなくてはならない。
 そんな物思いに耽りながら時計を確認する。
 授業開始まで、あと10分ほど。思ったより余裕がある。学食には聖とひなたとも行ったが、帰りに別れた。トイレにでも寄るのだろう。
 俺はと言えば、せっかく余裕があるのだからと教科書を机から取り出してみたりする。時間間際であわてるのはなんだかいやだ。こうして余裕を満喫したい。これはかつて勉強に燃えていた頃身に付いた習慣だ。

 結局、神無月の誘いには応じなかった。

 転校初日の名土先輩からの呼び出しとは違う。こっちには何の負い目もない。……確かに、あの落ち込んだニィのことは多少なりと同情しないでもない。でも俺は被害者であり、あんなにひどい目に遭わされたのだ。まだ打ち身だって少しは痛む。それに聖とニィの戦いがあった場所、学食からの帰りに寄ってみたらちゃんと片づけられていた。本当にニィがかたづけたかどうかわからないが、でもあんなことがあって他の人間にやらせるとも思わない。だからあいつはきっと大丈夫なのだろう。
 だから、ノコノコ行く理由なんてない。
 それに……正直に言えばまだ神無月とは会いたくなかった。
 太陽を受けしっとりと輝く黒髪ではなく、しかし太陽の光を跳ね自ら光を発するような鮮やかな金髪。
 豊かで大きいのではなく、しかし貧しく慎ましい胸。
 誰にも人当たりのいい優等生ではなく、誰であろうと自分を押し通す問題生徒。
 でも変わらない、何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳。それは変わらない。本質は変わらない。
 全てが違った、しかし惹かれたところ、本質は変わらない神無月。
 確かに名土先輩のおかげで、俺は自分の在り方に迷ったりはしない。迷ったとしてもただ進むだけ、という覚悟みたいなものはある。でも神無月についてはどうしたらいいのかまだわからない。

 もうあいつにひきずられたりはしない。でも、どう接したらいいのかわからない。
 ちょうどそんなことを考えているときだった。

「竜ヶ崎ーっ!」

 澄んだ声。どこまでも響きそうな強い意志の込められたその声と共に
 尾を引くようにたなびくそれは、腰まで届きそうな長く豊かな金の髪。それの持ち主は、きっとこの学校にも一人しかいないだろう。

「お前は……っ!」
「そう! 神無月愛奈よっ!」

 俺がその名を口にするより早く自ら名乗ったのは、傲岸不遜金髪娘の神無月だった。
 しかも教室で注目を浴びるにはベストポジションと言える教壇で、ばんと教壇を叩きながらそんなことを言うものだから教室中の視線を一身に集めた。しかし神無月その視線に物怖じするどころか、胸をぴんとはり当然と言わんばかりに受け止める。
 そしてその胸を張った姿勢のままズンズンと俺の方へとやってくる。おまけに手にはなにか巾着のような包みを持っている。冷静に見れば滑稽な様子ではあったが、なにかそう感じさせない迫力があった。それに圧されたのだろうか、止める者は一人としていない。それどころか授業を間近に控え騒がしかった教室も、まるで神無月の一挙手一投足を見逃さないと言わんばかりな静けさに包まれている。
 俺はと言えばとりあえず立ち上がるだけで他にはなにもできない。
 なにしろ教室の中。逃げるには机や椅子に人、人、人と障害物が多すぎる。いやマテ、別にいきなりそんなことを考えなくてもいいだろう。神無月は一人、ニィは連れていないようだ。でも確か神無月は聖もライバル視するほどの実力者。俺なんか相手にならないかも知れない。聖はまだ教室に戻らないようだ。ひなたもいない。……いや、ひなたいてもいなくてもあんまり変わらないか。
 そんなことを考える間に神無月は俺の目の前までやってくる。
 あの瞳を、今は突き刺さんばかりの鋭さで向けてくる。

「竜ヶ崎……!」

 気迫に満ちた声。しかしぜえぜえと息は荒い。もしかしたら屋上から走ってきたのかも知れない。いったいこいつは何のために俺を呼びだしたのか? そして今こうしてわざわざ教室までやってきたのはどうしたなのだろう。
 と、混乱する俺を前に神無月は手に持っていた包みを俺の机の上に置くと、ずい、とさらに一歩。至近距離まで近づく。それこそ触れそうなほど近い。そのまま神無月は手を上げる。
 殴られる? ぶたれる? 殺される!?
 恐怖に固まる俺に、手は無慈悲に近づき……。

「なっ……」

 その手は予想した速さではなく、むしろゆっくりと身体に触れた。首、肩、腕。それから脇の下に腹とさするように手は徐々に徐々に下へと向かう。
 いったいなんだろう。触れる手はどちらかと言えば優しくてちょっと気持ちいいかもしれない。その感触に思わず声が漏れそうになるのを必死に押さえる。
 これはひょっとして……貞操の危機!? まさか、こんな公衆の面前で!?
 普通ならありえない。考えるのもバカらしいことだ。
 しかし俺の目の前にいるのは、そもそもありえないことをいくらでもやってくれる神無月なのだ。
 ヤバいよマズいよ戦うのはムリ逃げるべきか聖はまだかっ!?
 と、迷ううちに神無月の手は昨日の打ち身の辺りに触れる。触れられて、半ば以上忘れかけていた痛みが甦る。

「いつっ!」
「あ! だ、大丈夫?」
「ま、まあ打ち身程度だけど……」

 本当に大して痛くはなかった。思わず声が漏れてしまったのは神無月に触れられて感覚が鋭敏になっていたからだ。

「よかった……大きなケガはなかったみたいね……」

 ひとしきり俺の身体に触れると、ホッと息をつく。本当に安心したような、今まで見たことのないような緩んだ表情。そんな顔を見せるものだから、余計に混乱してしまう。

「……おまえ、何しに来たんだ?」

 俺の問いかけに一転、神無月の顔が鋭さを取り戻す。

「そ、そーよ竜ヶ崎っ! あたしの呼び出しからバックれるなんてどういう了見よっ!?」
「ど、どういう了見って……そもそも行く理由がないだろっ!?」
「来ないなら来ないでちゃんと連絡するのが当たり前でしょっ! あんたそんな最低限の礼儀も守れないのっ!?」

 正論だ。確かに正論だった。だが、そもそも呼び出しの方法が下駄箱に手紙を入れておく、なんて相手の意思の確認もしない一方的この上ない方法だ。そんな正論振りかざす方がおかしい。
 でも、確かになにも言わずにすっぽかしたのは事実なので、後ろめたいものがあるのも確かだ。そのせいですぐに反論できない。
 しかしこっちが黙ると一方的に調子に乗るのが神無月らしい。さっきまで荒かった息をもう整え、ふふん、と笑みを口に刻む。俺より背が低いというのに見下すような視線を向けてくる。元から人の下につくなんてことのないヤツだが、いまは完全に俺の上という事実関係を確定したかのような態度だった。

「悪いことしたと思うなら謝んなさい」
「いやでも……」
「あ・や・ま・り・な・さ・い」

 強い視線。身に纏うプレッシャー。その重圧感に土下座でもして謝ったほうが楽じゃないかとさえ思ってしまう。
 でも、それはできなかった。
 ひっかかるものがある。譲れない何かがあって、それが俺に楽な道を選ばせようとはしない。
 そうだ、俺は決めたはずだ。神無月に引きずられるようなことはもうやめると。確かにこいつには憧れていた。かつて知っていた神無月から変わってしまったけれど惹かれたところは変わっていない。
 でも、いまは目指すべき目標ではない。理不尽な命令に従う義務も義理もない。
 だから、

「あやまらない」

 俺は言い切った。
 神無月の眉が寄る。不機嫌この上ないという表情。でも。

 そんなの、知ったことか。

 俺は言葉を続ける。

「確かに行かないなら一言断るべきだろう。でも俺はお前と約束したわけじゃない」
「なによっ!? 下駄箱に入れた手紙は見たでしょっ!?」
「あんな俺の了承も得ない一方的なのは約束じゃないっ! そんなのに従う義務はないっ!」
「なによ、昔はあたしの頼み事だったらなんだって聞いてくれたくせに……!」

 そう言われて一瞬言葉に詰まる。そうだ。前の学校では神無月の頼み事は断ったことがない。憧れている存在だったから、今思うと情けないけどむしろ嬉々として手伝ったりした。

「『わかった、まかせてよ神無月さん』なんて言っちゃってさ。素直で優しい竜ヶ崎はどこ行っちゃったのかしら?」

 ぐ、そんな今となっては恥ずかしい過去を、それも教室中の注目が集める最中に暴露されて頬が熱くなる。
 でもあのころ頼み事はこんな理不尽なことではなかった。重い授業用教材を運ぶのだったり掃除をすこし手伝ったりとか、図書室でいっしょに勉強したとき代わりに参考書を探してきたりとか……。いや、それ以前に。

「あのころお前、いつも直接頼んできたじゃないか」

 そうだった。
 前の学校では優等生という体面を守るためか理不尽な要求こそなかったけど、今思えばけっこう自分ペースで突き進んでいた。それでも何かをやるときは必ず自分の手で直接やっていた。だから頼むのも当然本人が直接。これはどんなことだろうと変わりがなかった。
 下駄箱に手紙なんてまわりくどい手段、初めてだ。

「なんで手紙なんて出したんだ、お前」

 俺の怪訝そうな視線に初めて神無月は動揺する。視線は俺に向けたまま、しかしその瞳の強さは減じ、くっ、と一声呟きを漏らしながら一歩だけ後ずさる。
 よくわからないが今俺が言ったことは図星で、しかも痛いところだったらしい。

「俺の知ってる神無月だったら直接話しに来るはずだ」
「そ、それは……」
「一瞬ラブレターかと思ってドキドキしちゃったんだぞ」
「そんなわけないでしょっ! この神無月愛奈があんたみたいなバカにラ、ラ、ラブレターなんて出すわけがないじゃないのっ! バ、バッカじゃないのっ!?」

 俺の冗談交じりの一言にまるで火の点いたように神無月はまくし立てる。
 あんまり凄い勢いなので俺が呆然と見ていると、ようやく自分が暴走していることに気づいたのかハッ、と息を呑み、そして俯いてしまう。
 こいつが。あの神無月が。話している相手から目を逸らすなんて、初めて見た。俯いてしまうことがある何て、思いもしなかった。
 それはなんだか妙に落ち着かないものがあった。なんだか、むかつく。

「おかしいぞ、お前」

 神無月は答えない。それがなおさら俺をいらつかせる。

「そもそも昨日は俺のこと半殺しにしようとしただろ? それで今日呼び出したって行くわけない。しかも手紙なんかで強引に呼び出したって、従うわけないじゃないか」

 そこまで言って気づいた。
 昨日半殺しの指示が出た。そして今、目の前に神無月がいる。神無月はこのあいだ聖のハリセンを砕いた。それほどの破壊力を有するヤツなのだ。
 俺、いまピンチなんじゃないのか?
 今は神無月も俯いて落ち込んだ様子だが、それでもちょっと気が変わったらやばいんじゃないのか?
 背筋を冷たいものが走る。

「な、なによ……大してケガしたわけじゃないんだからいいでしょ……!」

 拗ねるようなその声。その言葉に、俺は……。

「いいわけないだろっ!」

 思わず叫んでいた。
 俺の剣幕に俯いていた神無月は俯いていた顔を上げる。その顔は驚きに満たされている。でもそんなことは関係ない俺はやつの顔に叩きつける勢いでさらに叫ぶ。

「そりゃ俺はたいしたケガをしなかったっ! でもあのお前の無責任な命令のおかげで、他のヤツにどれだけ迷惑かけたと思ってるんだっ!?」


 聖はそのせいで大変な戦いをした。目立ったケガこそしなかったが未だ疲れは抜けきらない。
 ニィは必死に神無月の命令に従おうとした。その結果聖に破れてそうとうダメージを負い、しかも名土先輩にひどく冷たく叱られた。……まあ後半は自業自得だが。
 そしてジャマされたおかげで俺は悩んでいる名土先輩になかなか会うことができなかった。俺も悩んだ。名土先輩だって悩んでいた。それなのに、会うことができなかったのだ。
 どれも神無月が引き起こしたことだ。それを簡単に、「俺がケガをしなかったからいい」なんて結論に落ち着かせてたまるものか。
 俺の言葉に神無月は目を見開き、震え、しかしすぐに鋭い瞳を取り戻す。

「なによ……あたしが悪いって言うの……!?」

 地の底から響くような重く冷たい声。
 だが、俺もあとには退けない。退くわけには行かない。

「さっきからそう言ってるだろ!」
「そもそもあんたがいけないのよっ! このあたし、神無月愛奈がわざわざメイドを見せてやろうというのに、そんなのどうでもいい、興味ないみたいなフリするからいけないのよっ!」
「フリじゃない本気だ本気! 本気でどうでも良かった! あのときはそれどころじゃなかったんだ!」
「ふ〜ん、そう、そうなの! そんなにあの名土メイのことが気に掛かってたわけ!? 名土メイからの呼び出しにはホイホイ屋上に来るくせに、あたしの呼び出しは無視ってわけなのね!」
「あったりまえだろ!」
「やっぱり胸? 胸なのねっ! そうよね、名土メイは胸が大きいものね! 竜ヶ崎ってば胸の大きさだけで女の子を見るのね! あたしの胸が大きかった頃も言うことよく聞いてくれたもんね。胸さえ大きければ誰の言うことでもホイホイ聞いちゃうんだわ、サイテー!」
「失礼なことを言うな! 確かに大きい胸は好きだし名土先輩の胸は最高だが、そういうことじゃない!」
「なによ! だったらあたしの言うこと聞きなさいよ!」
「だーかーら、お前はもうちょっと前後を考えろっ! 周りの状況とかいろいろっ! 少しは周りに合わせろよっ!」」
「何よっ! あたしを中心に世界はまわってるんだから、周りがあたしに合わせるべきなのよっ!」
「へ?」

 すげえことを言い切った。
 その言葉を二の句が継げなくなる。次の言葉が出ない。息が切れたせいもある。神無月のテンションにつき合うのは命がけだと知った。酸欠で死ぬ。

「合わせなさいよ〜」

 拗ねたように言う。俺が止まって神無月のテンションも少しは下がったのか、言葉の勢いはゆるい。しかしそれでも俺は言い返すことができない。走っているときは気にならない、しかし立ち止まると重くのしかかる疲労。今俺を止めているのは、そういう類の疲れだった。

「だ、だいたいあたしだって少しはわるかった、とか思わないわけでもないのよ。だから……」

 言いつつ、チラリと視線の向かう先には、先ほど神無月がおいた巾着がある。学生カバンの半分ほどの大きさの巾着。

「せっかく早起きしたのに……けっこうおいしくできたのに……卵焼き、綺麗に焼けたのに……」

 その言葉。なぜか手紙という間接的な呼び出し。昼休みという時間。頭の中で、カチリと音を立ててなにかがはまった。

「ひょっとして……その中、弁当か?」

 巾着を指さし俺が指摘すると、ビクリ、と神無月が震える。それで確信した。きっと、間違いなくその中身は弁当だ。

「手作り?」

 ビクリと震え、同時に神無月は頬を赤く染める。

「あの呼び出しって……ひょっとして俺と仲直りするためだったのか?」

 神無月がたじろぐ。初めて見る神無月のそんな表情。こいつがこんな風にあわてることがあるなんて思わなかった。こいつが何も言い返せなくなるなんておもわなかった。こいつがこんなに……かわいく頬を染めて照れることがあるなんて。夢にも、思わなかった。
 要はこういうことだ。
 神無月は昨日やりすぎたと思って俺に謝ろうと思った。だが、素直に謝るなんてプライドが許さない。だから手作り弁当を用意して、それで恥ずかしくなったと

 ……マジか?

 冷静に考えろ。そんなことがあるわけがない。相手はあの神無月だ。かつて俺の手が届かない、触れることすらできないと思ったほどの高みにあった憧れ。そして今は、俺の手が届かない、手に触れる事なんてできないほどの勢いにのった理不尽。
 それが、俺のためにそんなことをするか?
 ありえない。確実にありえない。
 でも、今の神無月の様子からすれば他に考えようがない。
 どくん、と胸が高鳴った。
 神無月が俺のために弁当を作ってくれて、こんなふうに照れているなんて。
 そんな、起こり得るはずがない。目の前の現実を理性は否定しているというのに心が動悸を高める。どうしようもなく頬が熱くなる。あたまがボオッ、としてくる

「な、なによその目はぁ……」
「神無月、お前……」
「へ、変な勘違いしないでよ、あたしは、ただ、その……!」

 キーンコーンカーンコーン

 そこで午後の授業開始を告げるチャイムが響いた。そして、

「神無月ーっ!」

 そのチャイムをうち消さんばかりの勢いと強さで響く声。それに続き迫り来る影。深夜を走る自動車のテールランプのごとく赤い線を引き迫るそれは間違いない――聖だ。

「やっかましいっ!」

 神無月の叫び。次の瞬間視界に広がったのは、輝かんばかりの金。
 続いて響いたのは轟音二つ。
 一つはなにかが弾ける炸裂音。もう一つは何かが壁に叩きつけられる重音。
 何かが視界の隅を舞う。それは砕かれた紙片。
 広がった金――神無月の髪が、ふわりと降り、そして見えたのは壁に叩きつけられた聖だった。その手の中のハリセンは、手に持つ柄の部分しかない。それから先はちぎられたような後だけが残っている。
 全ては一瞬の出来事。
 何が起きたのか見えなかった。わからなかった。
 しかし結果から推測はできた。
 ハリセンを手に聖は神無月の背後から迫った。昨日の疲れが残っていたとは言え、それはいつものあの鋭く速い攻撃だったのだろう。それはチラリと見えた聖の姿からも確信できる。
 それなのに。
 後ろも見ない神無月の振り向きざまの一撃は、聖を壁まではじき飛ばしたのだ。同時に、ニィでもキャット・スラッシュでなくては砕けなかった聖のハリセンをコナゴナにして。
 呆然と、金髪をなびかせる聖の後ろ姿を見つめる。
 ……なんてヤツだ。
 聖以上に細いと感じさせるその身体。その内に、聖以上の破壊力があるというのか。
 そして思い出す。聖の朝の言葉。
 
「神無月には負けてられないのよ」

 負けてられない――それはつまり、普段は負けてしまっていると言うことなのか?
 つまり、神無月は、あの”第三限界”を使う聖より強い……?
 誰もが息を呑み固まる静寂の中、神無月だけが動く。
 再び俺の方に向き直り、ビッ、と人さし指を突きつけると、

「あたしは悪くないっ! あんたが素直に来ないのが悪いのよーっ!!」

 その一言を残し、神無月は風のような勢いで教室を出ていった。いやそれは「風」の一言で表現できることじゃない。進路のジャマになるものであれば人であろうと机だろうと関係なく吹き飛ばし進む様はまるで台風だ。
 壁に叩きつけられた聖も、神無月のその様を悔しそうに見ていることしかできない。
 あんなヤツ相手に啖呵切ってたと思うと、今さらながら恐ろしくなってくる。身体はブルブルと震えていた。
 ヤツが去った後も、教室を占めるのは静寂のみ。しかし、それを破るものがあった。

「それでは授業を始めますよーっ」

 それは二宮先生の授業開始の声。
 教室中、呆然と動けない中。いつもと変わらない明るさのその声は、妙に虚ろに響いた。


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