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ストレンジのーまるデイズ

第九話 過去



 入学式を終え、クラスを発表した掲示板の前に立っていた。風に乗って舞い散る桜が春らしいな、とぼんやり思った。
 嬉しいという気持ちがあるのは間違いなかった。時間をかけたし、努力もした。その上で実力に見合った学校を探して、親や先生のアドバイスを受けながらこの学校を選んだ。それで無事、志望校に入学することが出来た。不満はない。当たり前だ。
 でも大きな満足もなかった。
 ただ。「変わらないな」と思った。
 きっと、今までもちっとも変わらない。少し退屈で、でもそれなりに楽しい。大した刺激はなくて、かわりにそんなに辛いこともない。よくも悪くも普通で平凡。そんなかわり映えのない当たり前の日常が続くものと思っていた。

 その娘を見るまでは。

 まず、綺麗だと思った。
 真っ直ぐな、腰まで届く黒髪。儚い、なんて普段つかわない言葉が思い浮かぶぐらいほっそりとした身体。白状すれば細身に反して豊かな胸にもかなり目を引かれた。
 でも、なにより惹かれたのは真っ直ぐな瞳。何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳だった。
 世の中にあるのは当たり前のもうばかりだと思っていた。特別なものなんてほとんどなくて、あったとしても自分の目の前に現れることなんてないと思っていた。思いこんでいた。
 だから初めてだった。
 こんなにも目を奪われてしまうなんて。
 他のものが目に入らなくなってしまうなんて。
 ただ見ているだけなのに息をするのも苦しいぐらい切なくなるなんて。
 初めてだったんだ。

 視線に気づいたのか、掲示板を見ていた少女が振り返った。目があってしまう。驚きに視線を逸らすことすら出来ない。
 揺れる髪と、その巻き起こす風の流れに舞う桜の花びらがあまりにも綺麗で、まるで夢のように美しかった。
 振り向いた少女が俺の視線に返したのは、笑顔。その笑顔はとても明るくて、まぶしくて……なんだか、余計なものに縛られない奔放さがあった。
 その瞳に自分が映っていることに動揺した。自分なんかがそんな純粋な瞳の中を、一瞬でも占めてしまっていいのかと。生まれて初めて自分のことを本気で卑下した。同時にそこにいることのできる誇らしさを感じた。
 でも、そんな気持ちもわずかな時間。すぐに寂しさを覚えた。気づいてしまったから。その真っ直ぐな瞳は一時俺を見ているだけだと。その瞳はどこまでも先を見ようとしている。
 その瞳を、遠くを見る瞳を、自分にとどめたい……そう、強く思った。





 と、そこまで話したところで周りの雰囲気が変わったことに、俺は気がついた。
 場所は屋上。その上に真っ白なテーブルクロスをしいたテーブル。徐々に強くなっている日射しを遮るのは、やはり白いパラソル。
 テーブルの中央には大皿に山盛りにされた焼きたてのクッキーがある。
 それを三人で囲んでいる。
 右手に座るのは聖。テーブルにひじをついてクッキーをひとつくわえた状態で、驚いたように目を見開いて俺の方を見ている。ちょっと行儀悪いような気がした。
 左手に座るのはひなた。こっちは口をもぐもぐしながら、じっと俺の方を見ている。ずいぶん長いこと噛んでいるような気がする。几帳面なのか、そうでなければクッキーどころではないくらい俺の話に興味を持っているのか。
 そして少し離れて名土先輩が控えている。直立不動。パラソルの外、日射しの中にいるというのに汗ひとつかいていない。一緒に座ろうと言ったのにあくまでここがメイドの定位置と譲らなかった場所にただ佇む。ただじっとこっちを見ている。心なしかその視線が強くなったような気がした。
 それぞれの位置が変わったわけではないし、その様子もそう大きく変わったわけではない。
 ……いや、そもそも俺の話そうとしている内容とあわない空気ではあるのだけど。過去のあんまりよくない話をするのにこんなにマッタリとした状態でいいのだろうか? 午前のお茶会なんていう雰囲気、まったくそぐわないと思う。
 でも、こうも思う。逆にその方がいいのかも知れない、と。重い話とは言っても、ただ楽になるために話すのだったら、こんな空気の中で軽く言ってしまう方がいいのかもしれない。
 そもそもこのメンツに重い雰囲気というのを期待するのが間違いな気もする。
 ため息を吐きつつ、ストローからレモンティーを一口。グラスの中で氷がカランと音を立てる。
 二杯目の紅茶はアイスレモンティーだった。さっきの紅茶はうまかったものの、やはり今の季節冷たいもののほうがありがたい。パラソルに日射しが遮られ、風もあるからそれほど暑くはない。しかし、まだ9月。残暑が厳しい季節だし、長く話すにはなおさら冷たい方がいいだろう。
 とか考えていると……。。

「で? で? それでどうなったの?」

 口にくわえていたクッキーをひと口というかひと飲みにして、身を乗り出さんばかりの勢いで聖が問いかけてくる。ひなたはひなたで「うんうん」と言う感じでしきりに頷いて聖を応援。
 名土先輩は変わらず……と思ったが微妙に近づいてきているような気がする。
 やっぱなんかへんな雰囲気だ。とりあえずもっとも動きのある聖に問いかけてみる。

「……なんでそんなに興味津々なんだよ?」
「だ、だって、ほら……なんかすごく暗い話が始まるかと思ってたら……」
「ラブラブな話でビックリしたの〜」
「ラブラブじゃないっ!」

 なぜか目を逸らしながらしどろもどろ言う聖に、とんでもない言葉を繋げるひなた。俺の間髪入れない全力の否定に二人は不思議そうにお互いの顔を見合わせる。そして、やれやれと言った感じで申し合わせたように首を振り、タイミングを合わせたかのように同時にため息。
 なんか微妙にむかつく。

「竜ヶ崎。あなたなに言ってるのよ? 今の話って誰がどう聞いたって『新しい恋の予感』って感じじゃない?」
「そんなわけないだろ」
 
 なにをどう勘違いしたらそうなるのか。ただ俺は生まれて初めて出会った、掛値なしにすごい人について語っただけだ。それをそんなふうに受けとるなんてこいつの勘違いは相変わらずだ。
 しかも……

「照れなくていいのよ」

 俺の否定もまた勘違いしているようだった。仕方ない。これはきっちり分らせてやる必要があるだろう。

「全然違う」
「またまた〜」
「だいたい勘違いしているのは聖の方だ。一般に『新しい恋の予感』って言うのはな……転校初日に曲がり角でぶつかるようなことを言うんだよっ!」
「え?」
「例えば俺とお前みたいにっ!」
「えーっ!?」

 口を”え”の形にしたまま聖は停止した。
 口論が激化したためかその頬はほんのりと赤かった。それが急速に増す。どんどん赤くなる。
 よし、チャンスだ。隙ができた。ここで一気に畳みかけよう。

「でも予感って言ったって新しい恋なんて全然始まってないだろっ!? 現実はそういうものなんだよ! だから変な誤解は……」

 そこまでしか言えなかった。

 ズッ……パアアアン!

 すげえいい音と共に一瞬意識が飛んだ。
 何も見えなかった。ハリセンを出す様も、それを振る姿さえも認識できなかった。だから何が起きたか理解したのは全てが終わってからだった。
 それはまさに一閃と呼ぶに相応しい一撃。
 意識が飛んだのは一瞬だけで、すぐに戻った感覚が全力で訴えてきたのは痛み。それも広範囲にジンジンと全力抗議。痛い痛い痛いと。やかましいぐらいに痛い。

「ひっ……聖っ! いきなり何するんだっ!?」
「う、うるさいわね! 叩きたいときには叩くものよ! 悪いっ!?」

 悪いに決まってると思うが……ぱんぱんと手の上で打ち鳴らされるハリセンが恐くて何も言えなかった。
 あいかわらず傍観者モードのひなたはにこにこと楽しそうに俺と聖を見ている。端から見るとそんなに楽しい光景なのだろうか。うらやましかった。
 ちょっと沈黙が降りる。
 やれやれと思っていると、いつのまにかテーブルのすぐ近くに名土先輩がいた。
 
「失礼いたします」

 一言告げ、パラソルの角度をなおす先輩。確かに陽の光は足下まで近づいている。ほうっておいたら陽にあたってしまいそうだった。さすがメイドらしい細かい気遣いだった。
 その作業を終えると、先輩は俺に語りかけてくる。

「竜ヶ崎様……自分の発言が誤解されているというのでしたら違うことを証明されてはいかがでしょうか?」
「証明?」
「本当にそういう話でないというのであれば、続きを話して聖様にもご納得いただくのが早いと思われます」
「それもそうだな……」

 確かに先輩の言うとおりだった。
 こういうときに適切なアドバイスはありがたい。得心していると、なにか気になる視線。先輩はなぜかまだじっとこっちを見ていた。その視線はなんだかねっとりと熱い。

「……先輩?」
「竜ヶ崎様」
「な、なんですか?」
「叱ってくださっても結構ですのよ?」
「……は?」

 なにかよく分からない質問をされましたよ?

「ご主人様のためを想っての発言とは言え、メイドとしては差し出がましい口をきいてしまいました。お叱りを受ける覚悟は出来ております」

 言って、胸をぽん、と叩いた。

「叱ってくださって結構です。口汚く罵っていただいてもかまいません。さあどうぞ。ご存分におしかり下さい」

 なぜか期待に満ちた瞳だった。
 俺はその視線を……。

「そういえば今授業時間中だろ? こんなノンビリしてていいのか?」

 無視することにして、聖に問いかけた。

「竜ヶ崎様……?」

 先輩が呆気にとられ固まる中、聖が問いに答える。

「あ、それなら大丈夫。どうせ一時間目は夏休みの宿題を集めるのがメインのホームルームだから。わたしとひなたはもう提出済みだから」
「そうなの〜」

 それでもこんな無法を許していいものだろうか?
 
「だから、2時間目のチャイムが鳴るまでは大丈夫」
「早く続きが聞きたいの〜」

 まあ、それならいいかと思う。先生の許可は取ってあるわけだし、だいいち途中でやめてしまうのも具合が悪い。
 
「じゃ、続きを話すとするか」
「ご主人様……いじわるです」
「……ご主人様じゃない」

 ぽつりと呟く名土先輩に突っ込みを入れつつ、苦笑する。
 あまり話したくない話。でも、ここでこいつらに話すのに、思ったより抵抗はないように思えた。会ってからまだ二日目だというのに、そんなに気を許してしまっている自分に苦笑する。

「? どうしたの?」
「ああ……なんでもない。続きだろ? 話すよ」





 彼女とは同じクラスだった。
 なにか運命みたいだとおもった。退屈な代わり映えのない日常。それを変えてくれるものがやってきたのだと思った。
 今思えばバカみたいだった。
 彼女はそんななまやさしいものじゃなかった。

 彼女は優等生だった。それも、徹底的なまでに。

 勉強は全教科満点に近い点を確実に取る。スポーツ万能。そして性格は明るく社交的、何事に対しても積極的でよく気が回った。
 それは絵に描いたような、誰もが納得する優等生の姿だった。そんな現実にはほとんどありえない完璧さを彼女は備えていたのだ。
 圧倒された。自分では近づけもしないと思った。
 実を言えば、勉強にはそれなりに自信があった。前の学校ではほとんどトップだったが、それでも彼女にはまるで歯が立たなかった。
 自分の力はまるで足りない。
 あの真っ直ぐな瞳。自分にはその視線に触れる価値すらないと思った。
 生まれて初めて心の底から悔しいと思った。自分の力のなさがただただ悔しかった。
 だからがむしゃらにがんばった。自分に出来る事をなんでもやった。やれる限りやってみた。止まらず、たゆまず、ただただ進み続けた。
 気がつくと成績で2位につける成績にになっていた。1位はいつも彼女。さすがにその差は大きく壁は厚かった。

「実力テスト……またわたしの勝ちね」

 気がつくと、少しずつだが話すようになっていた。話題は主に勉強のことだった。

「でもあなたも2位とはさすがね。……わたしについてこれるのはあなたくらいね」

 限りなく遠いと思っていた彼女。やっぱりまだまだ遠かったけど、それに少しだけ近づけたような気がした。他の奴らはもっともっと遠かった。自分が少しだけ特別になものになれたような気がした。

「これからも……いっしょにがんばりましょ」

 ただその言葉うれしくて。向けられる笑顔がまぶしくて。
 ――近くにいたくて。
 またがんばれろうと思った。
 それが、ずっと続くと思っていた。






「ねえ、竜ヶ崎?」

 聖の問いかけに話を止める。

「なんだ?」
「やっぱり恋愛話にしか聞こえないんだけど……」
「違うんだ、そういうんじゃないんだよ」
「じゃあ……なんだって言うのよ? あなたその彼女のことどう思ってたの?」

 問われて返答に窮する。
 言われてみれば俺の話だけ聞けばそういうふうに取れるのかもしれない。でも自分の中では違う。
 好きか嫌いかで言えばもちろん好きに傾くが、恋愛と言うほどの感情は持ってなかったと思う。そういう種類の気持ちではなかった。
 では目標だろうか? これも違うように思える。たどりつくつもりのないものを目標とは言わないだろう。思えば俺は近づこうと思っていただけで、彼女と同じ場所に立とうなんて大それた事は考えていなかった。だから目標というのも少し違う。
 構図だけ考えればライバル、というのが一番ぴったりくるかもしれない。でも、それでもなお足りないような気がする。ただ競い合うだけじゃなかったような気がする。そもそも向こうの方が圧倒的に上だったから競い合うっていうのもやっぱり違う。
 直接言えるものがない。例えて言うなら……。

「太陽みたいなもの、かな?」
「太陽?」
「すごく眩しく輝いてて、あったかくて……でも本当に近づこうと思ったら絶望的に遠い。もし近づけたとしても熱すぎて平気ではいられないような……そんな感じだったんだ。それぐらい圧倒的な存在だったんだよ……」

 口に出してみるとなんだかぴったりなような気がした。そうだ。彼女はそれぐらい強烈な存在だったんだ。
 自分の思いつきにちょっと満足する。
 と、俺のいい感じの答えに、聖は目を見開いて驚いたような顔を見せる。そして同じように驚きの表情を浮かべるひなたは顔を寄せ合って、「きゃあーっ」なんて嬉しそうに悲鳴を上げた。名土先輩も感嘆のため息を吐く。
 ……なんかまた誤解されているような気がする。
 聖はひどくうれしそうな顔を向けこんなことを言った。

「好きな人のことを『君は僕の太陽だ』とか表現する人、初めて見たわよっ!」
「なっ……!?」
「いやあ、小説とかマンガとかではよく見るけど、現実に見たのは初めてよっ!」
「だーかーら、違うってっ! そんなんじゃないんだよっ!」

 そこでアイスティーを一口。熱くなった頭を冷却する。落ち着かなくてはならない。だって、この話は……。

「そんないい話じゃない……!」

 そして俺は続ける。
 彼女との話を。――別れの話を。





「わたし、この学校を辞めようと思うの」

 それは3学期も終わろうという時期。放課後、図書館でいっしょに勉強するようのが習慣になっていたころ。その帰り道。突然彼女はそんなことを言った。
 初めは何を言っているのか分からなかった。
 頭の中で言葉を反芻して、組み立てて、ようやく意味を理解して……でも、やっぱり理解できない。……受け入れることができなかった。

「や、辞めるって……冗談だろ?」
「ううん。本気」

 そう言う彼女の瞳はいつも通り真っ直ぐで、純粋で……とてもウソや冗談を言っているようには見えなかった。

「どうして……」
「この学校でやろうと思ってたこと……全部やってしまったの。だからもう、ここにいる理由はないの」
「やめるって……どうするんだよっ!? 転校するのか? それとも……就職っ!?」
「まだ考えてないわ……でも、ここにいる理由がなくなったんだから、いなくなるのは当たり前でしょ?」

 平然と、いつもと変わらない調子で彼女は言った。だから俺は余計に信じられない気持ちだった。こんなにいつも通りの彼女が、こんなことを言うわけがない。
 それで俺は混乱して……きっと情けない顔をしていたんだろう。
 なぜなら、彼女は眉を寄せ睨むように俺の方を見ていたからだ。不快そうに俺の方を見ていたからだ。
 その目が辛かった。彼女の視線は俺に留まった。望んでいたこと。でも、これは、こんなのは、望んでいなかった。

「僕は、どうすればいいんだ……?」

 わけがわからなくなって、視線が辛くて。俺は顔を背けそんなことを呟いていた。
 彼女と一緒にいたくてがんばってきた。彼女と話すことが出来ようになって嬉しかった。それがずっと続くなんて思っていたわけではないけど……いや、きっとそう思ってたんだ。少なくともこの学校にいる間は、彼女がいて、それに追いつこうとする自分がいて……そんなことがずっとずっと、続くと思っていたんだ。

「知らないわよっ!」

 初めての彼女の怒声に、驚いて彼女の方を見る。一瞬よぎった表情は……なんだか泣きそうな、苦しそうな顔。
 でもそれも一瞬。すぐに息を整えて、いつもの明るく元気で、でも穏やかな顔になる。
 そして、その顔で告げられたのは……。

「だから、あなたはわたしについて来れないのよ」

 胸に突き刺さる、言葉。信じていたはずの人の、信じられない言葉。
 俺だけが彼女についていけてるつもりだった。追いつけなくても、ついていくことぐらいは出来ると信じていた。
 でも、それは違った。

「あなたはこの学校のつくったレールを進むだけ。先を行く私のことを見て、ただレールの上を進むだけ」

 違う。学校の決めた道を進みたかったわけじゃない。彼女の後を追いたかっただけだ。でも……。
 でも、それは同じ事じゃないのか?
 自分で道を決めず、ただ他人の後を追う。レールの上も何も、僕は自分がどこを進んでいるのかも考えていなかった。
 でも……いや、だからこそ。考えたことはなかった。
 『彼女が俺という人間をどう思っているのか』
 そんな当たり前のことを考えようともしなかった。
 だって……ついていければよかったんだ。もし、自分が思っているのと違ったらついていけなくなってしまうかもしれなかったから。
 だから、考えなかった。

「わたしの進みたい場所には、あなたのレールの先にはない。だから、わたしは歩いて行くの。自分の足で進みたいの」

 でもいま知ってしまった。彼女から告げられてしまった。
 ただ彼女の方に進むだけで……ついていけていなかったと。

「あなたはあなたのレールの上をただ進めばいいわ。得意でしょ?」

 俺のやってきたことは。俺の努力は。
 俺の気持ちは……。
 なんだったんだろう。いったい、なんだったんだろう?
 そして、最後の言葉。

「さようなら……けっこう好きだったよ、あなたのこと」







 どん、という大きな音に過去の記憶から醒める。
 見ると、テーブルの上には倒れたコップ。広がるアイスティー。大皿から落ちた幾つかのクッキー。そして、テーブルの上に乗っているのは俺の右手。握られた拳。
 ……どうやら気持ちが高ぶってテーブルを思いっきり叩いてしまったらしい。

「……すまない」

 言葉だけであやまり、なんとか気持ちを落ち着けようとする。深呼吸、深呼吸。
 数分前までのノンビリした雰囲気はどこにいってしまったのか、ピリピリとした重い空気が覆っていた。
 不快だ。だから、この沈黙を破るべく口を開く。

「それから彼女は転校した。引っ越し先を誰にも告げず、先生に聞いても口止めされてるとかで教えてくれなかった。それで俺は二年に上がって……」

 空を振り仰ぐ。

「二年に上がったけど、目標失って全然ダメで……ホントにダメになっちまって、一学期ももたなかった。で、気分変えてやり直そうと思って、ここに転校して来たわけなんだ」

 視線を戻すと、視線を逸らすひなた。顔を伏せる名土先輩。
 真っ向からこっちを睨む聖。
 先の二人はともかく、聖のリアクションは何だ?
 まあ、気にしてもしょうがない。

「これでわかったろ? 俺は大した人間じゃない。昨日はかっこつけたことを言ったけど、自分がどうかなんてまだまだ探している途中。人にえらそうなこと言えた義理じゃないんだよ。ましてやご主人様になってくれなんて、お門違いもいいところなんだ」

 そして、また沈黙。
 そろそろ日射しが強くなってきたな、とぼんやりと思う。
 これで話すことは終わり。やっぱり話すべきじゃなったという後悔が、いまさらわき上がってくる。
 早くこの場を終わらせたい。
 でも……俺はこれ以上何をいっていいのかわからない。嫌なものを全部吐き出して、それで……。

「なあによ、要は竜ヶ崎、振られたんじゃない」

 そう言ったのは、ただ一人目を逸らさなかった聖。
 こいつ……なに言ってるんだ? なにを……言ってやがるんだっ!?
 勢いよく立ち上がる。聖も同じように立ち上がった。イスの倒れる音が二つ響いた。
 それを合図にしたかのように俺達は言葉をぶつけ合う。

「さっきから違うって言ってるだろっ!? いいかげんわかれよなっ!」
「わかんないわよっ! 情けない顔しちゃってさ! 振られて悲しいって顔よっ! ダメ男全開な顔っ!」
「誰がダメ男だっ!?」
「あんたよあんた竜ヶ崎勇人っ! あ・ん・た・の・ことよっ!」
「てめえっ!」
「あら、むかついたら吠えるしかないの? やっぱりダメ男ねっ!」
「俺がどんな気持ちかも分からないくせに、勝手なこと言いやがって!」
「振られたダメ男の気持ちなんて知った事じゃないわっ!」
「ああくそっ! やっぱり話すんじゃなかったよっ!」
「やったことに……過ぎたことに……後悔してんじゃないわよ……!」

 急に聖の声のトーンが下がる。
 そこで、ふと気がついた。
 俺、なんでこんなに叫んでるんだ。ついさっきまで全部吐き出したと思っていたのに。何も言うことがないと思っていたのに。それなのになんで聖にこんなに怒鳴ってるんだ?
 そのことに気がついたら、急に頭が冷えた。そして落ち着いたらもうひとつ気がついた。
 聖の表情。さっきまで怒鳴りあって、てっきり鬼みたいな顔をしていると思っていた。眉を怒らせ凛とこっちを睨む瞳は、でも……すこしだけ潤んでいて、なぜか泣きそうに見えた。

「……なんでいきなりケンカ売ってきてるんだよ、聖?」
「むかついたからよ。話聞いてると、竜ヶ崎逃げてきたみたいじゃない。辛いことがあって、そのことから今でも逃げようとしているみたいじゃない……」
「それは……」

 違う、と言おうとして……。

「それは、違うでしょ」

 先に言われてしまった。

「だって……竜ヶ崎は昨日、わたしたちに”自分”を示したじゃない」
「あ……」

 その一言で、何も言えなくなってしまった。
 だってそれは自分が言いたいことだったから。「もうレールの上じゃなく、自分で決めた道を進んでいるんだ」って。
 だから、何も言えなくなった。
 胸がいっぱいになる。なにかよくわからないもので胸がいっぱいになって何も言えない。たぶん……たぶん俺は、嬉しいかったんだと思う。

「胸を張りなさいよ。あなたは昔そういうことがあって……それがあったから今があるんだって、胸を張って言いなさいよ。そんな情けない顔して言うんじゃないわよ」
「情けない顔なんてしてない」

 むっとしたように言うと、聖は微笑む。バカにしたような微笑み。でもその笑顔は、どこか暖かかった。
 
「そうそう。男の子は意地張ってるぐらいがいいの。女の子は男の子にかっこよくいて欲しいものなのよ? わかってる?」
「なんだよそれ?」
「昨日、ちょっと。ちょっとだけ。竜ヶ崎のこと、かっこいいと思ったんだからね。それは今の話聞いても変わらないんだから。もっと堂々としてよ。過去なにがあったかじゃなくて、今どうなのか、でしょ? 終わったことに引きずられてるんじゃないわよ」
「そ、そんなこと……お前に言われるまでもないよ」

 はにかむように言う聖になにか恥ずかしくなり、照れ隠しにわざと乱暴にイスに座る。座ってから、さっき立ち上がったときに倒したはずのイスにどうしてすわれるのか気になった。振り向くと、そこにはイスの背もたれに手を添えた名土先輩。

「竜ヶ崎様……」
「先輩……」
「竜ヶ崎様は今ちゃんと自分の道を歩もうとしています。だから私はそのお手伝いをしたいと思うのです。一緒に歩みたいと思うのです」
「でも、俺は……」
「メイドとは、ご主人様をお助けするものです。誰もがはじめから一流のメイドに相応しい素晴らしい方だとは限りません。今の竜ヶ崎様のように、すばらしくなろうとする。より高みを目指そうとする……そんな方に私はお仕えしたいのです。”ご主人様になる資格がない”なんて……どうか、言わないでください」

 ……そんなことを真っ直ぐに言われたらどうにもむずがゆい。

「やっぱり人間は叩かれてこそ強くなるもの。それを実体験で理解している竜ヶ崎様こそ私のご主人様に相応しいと思うのです」

 なんか不吉なことも言っているような気がした。ありがたいことを言われたけど、そういうベクトルで同類と見なされるのは危険に思えた。

「わたしもいるの」

 声に振り向くと、宣言するようにひなたが手を挙げていた。

「竜ヶ崎くんはまじめそうに見えないのに、まじめに考え過ぎなの。もっと力を抜いていいと思うの。ひなたたちがいるんだから、ちょっとくらい力を抜いても大丈夫なの」

 そう言うひなたは力を抜きすぎなような気もする。
 でも……気づくと肩を重く感じた。意識して力を抜くと、ふ、と軽くなる。話すうちに力を込めすぎていたらしい。たしかに、もっと力を抜かなくてはならないのかもしれない。
 重く考え過ぎなのかも知れない。ようはこの学校では好き勝手にやってこうってことだ。昨日こいつらに怒鳴り散らしたみたいに。あんなふうに、思ったようにやって、それで自分の生き方を探していく。目標を見いだす。ただ、それだけなんだ。
 聖が微笑んで言う。

「ま、ひなたの言うとおり気を抜いてもいいとおもうわ。ここってけっこう自由な学校でみんないろんなことやってるのよ。だからきっと、竜ヶ崎も自分のやりたいこと見つけて、それを自分なりにやることが出来ると思うわよ」
「そうだな……」

 重たい過去があるからと言って、心まで重くする必要はない。ただ、前に踏み出す足は重く、力強く。それでいいのかもしれない。
 張りつめた空気が緩んだ。話し始めたときと同じく、緩やかな空気。やっぱこのメンツだと重い空気は長続きしないらしい。……ありがたいことに。
 
「それでは片づけませんとね」

 言うと、いそいそと名土先輩が俺の倒してしまったコップを片づける。手際よくあっという間に元通りになった。見ればテーブルクロスに染み一つない。さすがメイドチャンピオンといったところだろうか。ここまでいくと手品の領域のような気もするが。
 と、片づけを終えた先輩が俺の方を見る。

「ところで竜ヶ崎様。進学校に通われていたとのことですが、どちらの学校に?」
「私立快世(かいせい)だ」

 ひなたは驚いたように目を見開く。先輩はほお、と感心したように息を吐く。
 そのリアクションも当然かも知れない。実力テストなんか毎週あったし、学校紹介では毎年のT大合格者の多さをアピールするようなバリバリの進学校だったのだ。
 ただ……聖だけが眉根を寄せて、なにか嫌なことを聞いたような顔だった。

「ねえ、竜ヶ崎? 快世に通ってたんなら……ひょっとして神無月って名前に心あたりあったり……する?」
「! ひ、聖? どうしてその名前をっ!?」

 なんで聖がその名前を……!?
 しかし、聖が答えるより早く。

 バアアアンッ!

 ヤケにでかい音を立てて屋上の扉が勢いよく開く。
 全員が注目する中、屋内の暗がりから現れたのは鮮烈な金。
 陽光に溶けるように滑らかな、金色の髪。

「メイド学科の名土メイの申し出を断った驚異の転校生がいるってここーっ!?」

 やけにテンションの高い声が響く。澄んだ良く通る声は、どこか聞き覚えがあるような気がした。
 屋上に弾丸のような勢いで飛び込んできたのはセーラー服の女の子。
 鮮やかな金のストレートの髪を揺らす、スレンダーな女の子だった。
 そのまっすぐなどこまでも遠くを見つめるような瞳は、見覚えがある。
 焦がれて止まなかったその瞳。二度と見ることのないと思った、何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳。
 ありえない。彼女は黒髪だった。それにこの女の子のようにその……胸も小さくなかった。でも背格好は似てるし、なによりその瞳はあまりにも似ていた。

「神無月 愛奈……!」

 聖の呟きに、俺は震えた。だってそれは……俺にとって太陽と等しかった彼女の名前と同じだったからだ。


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