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ストレンジのーまるデイズ

第五話 告白



「……本当にひとりで大丈夫なの?」
「ああ、平気だって」

 屋上への階段へと足をかける俺に、心配そうに問いかけてくるひなたに笑って答える。

「なにかあったらわたしを呼んでね。すぐに駆けつけたげるから」

 真っ直ぐと俺のことを見つめ聖は力強く言った。俺は微笑を苦笑に変える。照れ隠しだ。その言葉と微笑みに妙に安心してしまっている自分がなんだか恥ずかしい。

「ああ、そのときは頼む」

 照れ隠しに短く告げ、階段を登りはじめた。
 時刻はだいたい午後4時5分前ぐらい。例の「メイドチャンピオン」とやらの約束の時間まであとわずかだった。





「メイドチャンピオンってなんなんだ?」

 中庭の一角のベンチ。あのメイドさん――名土メイ先輩との約束まで小一時間。あんなことがあった直後では学食に居づらいモノがあったため場所を移ったのだった。
 木陰の下のベンチは残暑厳しい9月の昼下がりにありながらわりと涼しい。風の揺らす梢の音が涼やかだ。
 そんな中、俺はまず一番の疑問点とも言える名土先輩についてひなたに問いかけた。ひなたはあたりまえといった感じですらすらと答える。

「メイド学科最高最強のメイドに与えられる称号なの。すべてのメイド技術を極めた優秀なメイドに与えられる学校最高の称号の一つなの」
「最高ってのはいいけど最強ってのはなんなんだ……? だいたいメイドに”チャンピオン”ってつけるセンスはどうかと思うんだがなあ」
「文字通りチャンピオンなのよ」

 右隣に座る聖が会話に入ってくる。人さし指を立てて説明モードだ。

「なんでもメイド学科では学科試験にも実技試験にも試合があって、そのなかで勝ち残った者が成績優秀者となるらしいわ。それで、その全部に優勝した者がチャンピオンになるんだって」
「試合ってなにやるんだよ?」
「知らない。部外秘らしいのよ。メイドなんだからお裁縫とかお料理とかそんなことでやるんじゃない? 料理の試合とかってわりとよくあるって聞くし」

 現実に料理の試合が行われるというのは聞いたことがない。ひょっとしたらどっかでやってるのかもしれないが、ああいうのが一般的なのはマンガとかテレビの中だけのような気がした。
 とにかく、俺に謝罪したいという人はとても優秀な人らしいと言うことだった。
 もう一度あの手紙を取り出す。

「……そんな人がわざわざ謝るって言い出して来るなんてなあ……」
「そういう人だから、じゃないの? まじめそうだったし。でも、本人ならいいんだけどね……」

 腕を組み難しい顔をして、聖が含みのあることを言う。腕組みしてもその上にのる含みと言うかふくらみがないというのが表情以上に難しい気がした。

「……なんか余計なこと考えてない?」
「気のせいだ。大丈夫。俺は気にしないことにする」
「? なによそれ? まあいいわ。そんなことより……竜ヶ崎、注意した方がいいわよ」
「ああそうだな。相手は礼儀とかにこだわりそうだし粗相のないように……」
「そうじゃなくって! 思い出したのよ。3年のメイドチャンピオン、名土メイ先輩……ファンがかなりいるらしいわよ」
「ファンクラブでもあるって言うのか?」

 なんとなく薄暗い部室でメイドの盗撮写真を持ち寄ってエヘラエヘラしてるイメージが頭に浮かんだ。実際ファンクラブがあるとしたらもっと明るく和気あいあいとやっているのだろうが、なぜだかそんなイメージが浮かぶ。いかん。そういう地下に入った活動は良くない。写真は没収すべきだ。もしそうなら俺が没収したい。ぜひとも。

「うん。メイド学科内に大きなファンクラブがあるらしいわよ」
「メイド学科に?」

 メイドが学科というと、つまりは全員メイドのタマゴ。
 なんとなく光溢れる庭園の瀟洒なテーブルを囲んで談笑するメイドさんの絵が頭に浮かんだ。実際メイドさんというのはそうじゃなくて談笑してる側に給仕するものだと思うが、なぜだかそんなイメージが浮かぶ。いかん。盗撮写真なんてまったく縁がなさそうなのは良くない。写真を没収できないじゃないか。もしそうなら俺はなにもできない。なんにも。

「なによ、そんなに女の子がファンだって言うと意外?」

 隣からポニーテールを揺らして覗き込んでくる聖に、想像を中断する。

「な、なんでもない……でもそうなのか?」
「まあメイド学科って半ば以上独立してて女の園だっていうし、そういうのもあるみたいよ」

 ひらひらと手を振りながら聖は続ける。

「そんなわけで、あの人はメイドの中のメイド、メイドチャンピオン。メイド学科の女の子みんなのアイドルってとこね。あなたはそんな人をみんなの前で怒鳴りつけたのよ? 熱狂的なファンがいたりしたら……穏やかではいられないわよね」
「じゃあこれは……」

 あらためてあの手紙を見る。

『本日はまことにもうしわけありませんでした。このたびの不手際、謝罪させていただきたく思います。つきましては、本日午後4時、屋上に来ていただけないでしょうか? 謝罪する身でお呼び立てして申し訳ないと思いますが、かならずやご満足いただけることと確信しています 名土メイ』

 手書きだ。かなり丁寧に書かれた綺麗な字。だが名土先輩の筆跡なんて見たことないから判断のしようがない。それに名前の表記があるからと言って本人が書いた証明にはならない。第一渡してきたのだって本人じゃなかった。
 考えるまでもない。この手紙は誰が書いたか分からないんだ。だとすると……。

「そう。竜ヶ崎を呼び出すためにファンの子が作ったかもしれないわ」
「なんかそう言われるとこの『かならずやご満足いただけることと確信しています』ってのも意味深だな」
「ノコノコ屋上に行ったりしたら、たくさんのメイドさんが迎えてくれるかもよ。……”手厚いおもてなし”をするために」

 ごくり、と生唾を呑み込む。目の前にはただのハリセンに無限の破壊力を込める存在がいる。そんなのが平気でいる学校のお礼参りなど想像するだに恐ろしい。
 戦慄する俺を聖が面白そうに見ながら問いかけてくる。

「どう? 行くのやめとく?」

 ちょっと迷う。
 が、答はすぐに出た。と言うより、とっくに出ている。だからためらわず答える。

「行く」
「へえ?」

 面白がるような、でもどこか感心したような声。
 
「たしかに罠ってことも考えられるかも知れないけど、本当に謝ってくれるつもりならすっぽかすわけにはいかない」
「意外と律儀なのね」
「あれは俺も悪かったしな」

 そうだった。あれは事故みたいなものだった。
 頭からみそ汁やらなにやらかぶったのはむかつくけれど、それはもう綺麗にふき取ってもらった上にシャツの洗濯までして返してくれるというのだから文句を言うことはない。それに床を転がったのが幸いしたのかみそ汁はあまりこびりつかず、やけどと言うほどのことにもならなかった。保健委員のひなたのお墨付きだ。
 そうなると気になるのがこっちのしてしまったことだ。意図的ではなかったにせよ名土先輩の胸の谷間に腕を埋もれさせたり、みんなが見ている前で怒鳴り散らしてしまったのだ。向こうが謝ってくるというのなら、こっちだって一言ぐらい謝らないといけない。
 
「だから、行く」
「ふうん」

 気のないような声で言うと、聖は顔を背け、
 
「かっこいいこと、言っちゃうんだ」

 なんてよく分からないことを言った。
 
「竜ヶ崎くん素敵なの」

 ひなたは分かり易いことを言った。
 別にそんなつもりで言ったわけじゃない。これは、逃げたくないって言うあんまり前向きじゃない思いからだからだ。






 階段を登りながらそんなことを思い出す。
 結局二人は連れて行かず一人で来ることにした。お礼参りの危険性も考えられる。でも、わざわざ呼び出すなんてことをするのはメイドチャンピオンという立場のせいもあるかしれない。そんな立場なら人前で頭を下げるのはいろいろ問題あるだろう。だったらちょっとぐらいは気をつかってやりたかった。
 ……でも、本当にお礼参りだったらすぐに逃げ出そう。階段の途中には誰も潜んでいなかったし、踊り場には聖がいるから誰か来れば止めてくれるはずだ。
 ドアを開けてやばそうだったら回れ右してダッシュだ。
 とか考えていると、階段の上へ行き着いた。目の前には屋上に続くであろうドア。
 ドアを開けたときが勝負だ。
 ノブをなるべく音を立てないように回す。そして……ドアを一気に開く! もし待ちかまえているならこれで不意をつけたはず! 状況を見てやばそうだったら即逃げよう。
 ……むちゃくちゃびびってるな、俺。
 ドアの開かれた先にははたして……一人しかいなかった。
 青空の下、思った以上に広い屋上の中に立つのは唯一人。
 黒のロングスカートの上にフリルで飾り立てられた白のカチューシャ。
 空の蒼と雲の白、そしてコンクリートの灰色の中、明確な白と黒のコントラストは浮き上がるように存在していた。

 それは、メイドチャンピオン――名土メイ先輩。

 なんかいま感じたことがメイドチャンピオンという言葉で台無しになったような気がした。
 まあとにかく心配していたお礼参りではなかったようだ。良かった。
 名土先輩は急にドアを開けたためかわずかに驚いたように目を見開いていたが、すぐに優雅にこちらに歩んでくる。

「お待ちいたしておりました。名土メイと申します。メイド学科、三年生三組の生徒です」

 スカートの端をつまんで、軽く頭を下げる。その動作は優美の一言。完璧な所作にこっちも答えなくてはと慌てて自己紹介をする。

「お、俺は竜ヶ崎勇人と言いますっ。転校生で今日初めて来て、二年の……」

 ……そーいえばクラスを覚えていない。遅刻して先生に連れられて、何組か理解する間もなく保健室に直行してしまった。
 
「竜ヶ崎様……」

 クラスが思い出せずしどろもどろになっている俺をよそに、名土先輩は俺の名前を繰り返す。両手の平を重ねて胸の中心にあてかみしめるように呟くその様は、まるで大切な宝物を抱きしめているかのようだった。
 そのまま、数秒の沈黙。俺は言葉を失いただ見てるだけ。と、一転して真剣な目で名土先輩が俺のことを見つめてくる。だがその視線は強くはなく、むしろ弱い。

「先ほどは大変失礼いたしました。本当に申し訳ありませんでした……」

 言って、先輩は深々と頭を下げた。

「か、顔を上げてくださいよ」
「いえ。申し訳なくて顔をお見せできません」
「俺だって悪かったんだから!」
「でも、お召し物を汚してしまって……」
「顔についたのは綺麗にふき取ってもらったし、ワイシャツだって洗って返してくれるんだろ? 気にしてないって」
「それに……熱かったでしょう?」
「もう大丈夫だ。それに……こっちこそすいませんでしたっ!」

 全然顔を上げる様子のない先輩を前に、俺も頭を下げる。

「俺の方こそ、その……胸、さわっちゃって、いきなり怒鳴りつけて……悪かったです」
「そんな……」

 二人して頭を下げたまま沈黙。
 向こうは上げる気配がない。かといってこっちから上げてしまうのもなんだか負けた気分だ。……いや、勝ち負けじゃないけど、なんだかこういうときは自分から動きづらい。

「あ、頭を上げてください」
「先輩こそ上げてください」
「そんなわけにはいきませんっ」
「じゃあ俺だってそういうわけにはいかない」

 埒があかない。俺の方からなんとかしないと。
 お互いに譲れなくて動けないときは、お互いに妥協するしかない。この場合、勢いで強引に。

「じゃあせーので頭を上げましょう」
「え? それはその……」
「せーのっ!」

 言って身を起こす。俺の強引な呼びかけにつられるように名土先輩も顔を上げてくれた。
 視線がぶつかる。
 澄んだ湖のように透き通って、でも深い色をたたえた黒瞳。真っ白な肌を今はほのかに赤く染めている。表情は微笑。ほのかな笑みは、絵のように上品で彫刻のように綺麗で……花のように、可憐だった。

「ま、まあお互い謝ったんだし、それでこのことは終わりにしよう」
「やさしいんですのね……」

 クスリ、と花のように微笑む先輩に見とれてしまう。
 ――やっぱり、この人は綺麗だ――
 いままでもそうおもっていたが、こうして落ち着いた状態で見るとよく分かった。なにもかもが整った顔立ち。野に咲く花のような可憐さ。派手ではなく、引き込まれるように深い、例えるならどこまでも澄んだ泉のよう美しさだった。

「やっぱりあなたを選んで良かった」

 声も綺麗だった。例えて言うなら風鈴だろうか。涼やかで、澄んで響く心地よい声。でも……。
 
「選ぶって……?」
「突然の申し出で申し訳ありませんが……」

 そこで言葉を切り、先輩は意を決したように息を呑んだ。謝る前以上に真剣な様子。先ほどと違い、向けてくる視線は強い。
 その雰囲気に気圧され、思わずごくりと唾を呑む。
 ぴんとはりつめた緊張の中、先輩の形の良い唇が緩やかにでもはっきりと言葉を紡ぐ。 

「私の……ご主人様になって下さい」

 ……なにかすごい事を言われたような気がする。思考が走らない。理解が追いつかない。
 今、この人はなんと言いました?

「あの……今なんと?」
「私のご主人様になって下さい」

 今度は先ほどよりハッキリと言ってくれた。聞き違いでなければ先ほどと全く同じ言葉を繰り返してくれた。
 ご主人様って……? 確かにメイドにご主人様はつきものだけど、それがなんで俺なんだ?
 冗談みたいだ。でもそうではないらしい。名土先輩の目は真剣そのもの。間違いなく本気だ。

「な……なんで俺が?」

 混乱してうわずった声が出た。そんな俺に名土先輩は微笑みをたたえたまま落ち着いた声で答えてくれる。

「あれほどのご無礼を働いてしまった罪、簡単に償えるものではありません。ですから是非ともお仕えさせてください」
「いやあのそこまでしてもらわなくても……さっきも言ったように俺も悪かったし、むしろ申し訳ないって思ってるぐらいだ。そんなことまでしてもらわなくていいよ」
「いえ、それでは私の気が済みません」
「いやだからお互い謝ったんだし、別にいいじゃないか」
「そんなことありません! もっと……もっと叱ってください!」
「なんで……?」

 なにか会話が変な方向に行ってるような気がする。

「俺はもう怒ってないし、先輩だってそうだろう? だったら先輩を叱る必要なんて無い。それに……ご主人様なんてのも俺の柄じゃない」
「では、ご主人様にはなっていただけないのですか……?」
「まあ、せっかくだけど断らせてもらうよ」

 そりゃまあこんなに綺麗でしかもメイドチャンピオンなんていうよく分からない称号をもつぐらい優秀なメイドさんならいてくれればありがたいだろう。男なら一度くらいは夢みることだ。そんなことを夢みない男はメイドさんを知らないか夢みたいな夢を見ることが出来ないやつだけだろう。
 でも、現実にそんな訳の分からない申し出を突然出されても戸惑うばかりだ。それに……さっきの「名土先輩ファンクラブ」の話もちょっと気になる。このままなにも考えずに承諾したら恐いことになってしまいそうだ。

「ああっ……!」

 一声上げて名土先輩はへたり込んでしまった。
 はあはあと荒く熱い息を断続的に吐いて、しかも顔色も赤い。赤くなっていると言うよりは上気していると言ったほうが適切なくらい真っ赤だ。
 

「わ、私……私……」
「せ、先輩、大丈夫か?」
「私……」

 潤んだ瞳で見つめられ、ドキリとしてしまう。頬が上気しているのもあって、不謹慎にもなんだか色っぽいと思ってしまった。
 
「とにかく落ち着いてくれ。まず、話を聞こう」
「……はい……」





 屋上の端、柵近くのコンクリートをイス代わりに並んで座る。
 先輩は落ち着いたのかぽつりぽつりと話してくれた。

「私の家……名土家は代々メイドの家系でした。女児に恵まれ、その全てが素晴らしいご主人様について立派なメイドになったそうです」
「みんなメイドに?」
「みんなメイドに」

 それはなんて言うか……すごいなあ。

「それで、私も幼い頃からメイドになるよう教育を受けました。物心ついた頃にはメイド服を着て、給仕の仕事をしていました」
「大変なんだな……」
「いえ、大変だと思ったことはありません。ただ、自分に技術が身についていくのは嬉しかった……メイドの技術はご主人様にご奉仕するためのもの。ご主人様にいつも笑顔でいていただくためのもの。そんな誰かの役に立つ力を身につけるのは嬉しかった。教えは厳しかったですけれど、その先にあるご主人様の笑顔を思えば辛くなかった……」

 そう語る先輩は、本当に嬉しそうだった。意図的につくったものではなく、本当に自然な笑顔だった。
 
「でも……高校に上がってからは違いました」

 一転して先輩の表情が曇る。

「違ってきたって……やっぱり辛くなってきたのか?」

 メイドの仕事がどういうものかよく知らないが、いろんな細々としたことをマナーを守って完璧に仕上げて行かなくてはならないというのは想像しただけでもうんざりする。人の役に立つ技術を身につけるのが嬉しいというのはすごく立派だと思うけど、そんな生活を何年も続けたらイヤになって……。

「違うんです。辛くなくなってしまったんです」
「へ?」

 完全に予想外の答えに間の抜けた声が漏れる。

「辛くなくなったって……それはいいことじゃないのか?」
「いえいえ! 全然そんなことはありません!」

 ぶんぶんと首を振って否定する。

「私、自分で言うのはおこがましいことですが……仕事の覚えはいい方でした。大抵のことはそつなくこなせてしまいました。入学してから一度もミスをせず、授業も課題も完璧にこなしてきました。メイドチャンピオン決定戦も、特に困難もなく優勝することが出来てしまいました」
「やっぱりいいことばっかりじゃないか」
「いえ……そのせいか、誰も叱ってくださらないんです」
「……その何が困るって言うんだ?」

 叱られないならそのほうがいいに決まっている。
 と、先輩は立ち上がると俺の方に向き直った。

「私はもっとメイドの技術を身につけたいんです」

 そう言い切った。宣言した。迷いもためらいもなくマジだった。瞳の奥に熱い炎が揺れていた。

「私はもっともっとご主人様にご奉仕できるようになりたいんです! 完璧に完全に究極にご奉仕したいんですっ! でもそれなのに、ああそれなのに……私を叱ってくれる人がいないんです……」
「別に叱られなくたって勉強は出来るんじゃ……」
「だめなんです! 叩かれないと人間伸びないんですっ!」

 両手で頭を抱え大げさな身振りで先輩が揺れる。
 冗談ではなく本当に悩んでいるという感じだ。えらく偏った考え方な気もしたが、この人は真剣にそう考えているらしい。
 まあ、そういう考え方もあるんだろうと結論しよう。納得ではなく思考の逃避。世の中そういうのが必要なときがある。
 でもこれは俺に「ご主人様になってくれ」と聞いて出てきた話だ。いったい何の関連が……?

「そんな時、竜ヶ崎様……あなたが現れました」
「お、俺?」
「あなたはあの時、毅然と私のことを叱ってくださいました。ダメイド……ダメイドと。私は嬉しかったんです。私のことを真剣に叱ってくださる方に出会えて、本当に嬉しかったんです」
「いやあれは……」
「私は思いました。私のことを思い、私のことを厳しく叱ってくれる……あなたこそ私のご主人様に相応しいと……」
「いやその」
「お願いです! 私をあなたのメイドにしてくださいっ! 私はあなたに仕えてもっともっとメイドとして完璧になりたいんです!」
「あれは勢いで言っただけなんだっ!」

 なんだかいたたまれなくなってそんなことを言ってしまう。あのときは本当にカッとなって、それで何にも考えず感情にまかせてあんな事を言ってしまった。
 今、まずいことを言っているという自覚はある。でも向けられる視線の真剣さに止まれなくなってしまう。

「勢い……?」
「そうなんだ! むかっときて勢いだであんなこと言っただけなんだっ! 別に真剣に怒ったとかそういうんじゃなくて……ってわかるだろ!? だいたい本当に相手のことを思って叱るやつがダメイドなんて言葉つかうかよっ!?」
「ただむかついただけ……勢い……」

 ガクリ、と先輩は肩を落としてしまう。
 罪悪感が押し寄せてくる。やっぱり人間、勢いだけで動いちゃダメだなあ……。

「私……いままで叱られるときはみんな私のためだといって……お母様も先生もメイド長もみんなみんな私のためだと言って……それが、あのときの竜ヶ崎様の言葉は、ただむかついただけの罵詈雑言だったなんて……」
「せ、先輩?」

 よほどショックだったのか先輩は俯いて小刻みにピクンピクンと震えている。
 頬は上気して呼吸は荒くなにかをブツブツ呟いて瞳もまた潤んで……大丈夫なのか? さっきもそうだったが、ひょっとしてなにかの病気なんだろうか?

「……すごい……こんなの初めて……」
「あ、あの大丈夫ですか……?」
「は、はい……大丈夫です……」

 夢みるように惚けた顔で先輩は答える。先ほどまでの気品ある雰囲気ではなく、なんていうか目はとろんとしているし息も荒くて……なんだか色っぽいような気がした。
 ……なにか、ヤバイ。よくわからないがなにかとてつもなくヤバい予感がしてきた。本能が告げている。この場は一刻も早く離れた方がいい……!
 
「じゃ、じゃあそういうことで。俺はもう怒ってないし先輩も怒ってないなら謝るのは終わり。俺なんかが先輩のご主人様になる資格がないのもわかっただろうし俺自身そのつもりもない。そういうことで、じゃっ」

 くるりと出口に向き直り、そしてためらわずとっととこの場を去ろうとする。が、

 ガシッ

 腰の所にしがみついて止められた。

「な、なにをするんですか先輩ーっ!?」
「わ、私ますます確信を強めました。私のご主人様は竜ヶ崎様、あなたしかいませんっ!」

 腰にすがってくる。引き剥がそうとするが、離れない。必死だ。それに見かけによらず力が強い……!?
 
「お願いしますっ! ご主人様になってくださいっ!」
「だからなんでーっ!?」
「わ、私の事をあんなふうに叱ってくれるのは竜ヶ崎様しかいないんですっ! もっと、もっと私のことを叱ってくださいっ! 私が良いメイドになれるように、私のことを躾けてくださいっ!」
「い、いい加減にしろっ!」

 得体の知れない恐怖がピークに達した。
 
「謝るとか言って呼び出して、結局自分を叱ってくれる人間が欲しかっただけなのかよっ!?」
「そ、それは……」

 ピクン、と先輩の体が震える。吐息が熱くなる。

「何が『ご満足させます』だっ!? 俺があんたのご主人様になれば俺が満足すると思ったのか!? 違うだろ、あんたは自分が満足したかっただけなんだっ!」
「あ、あ……そんな、私……私……!」

 俺の言葉にブルブルと先輩の身体が震える。俺を見つめる瞳は涙が溢れそうに潤み、息はまるで全力疾走を終えた後のように荒い。
 なんかその身体の震えがヤバイ。腰に当たってくる火のように熱い息が極めてヤバイ。なんか本当にまずい。よくわかないけれど、これはとてもダメな状況だっ……! これ以上なにかを言うのは危険と思うものの、黙ってしまいこの状態が続くことの恐怖が俺を止まらせてくれない。

「そもそもご主人様に叱ってもらいたがるなんてそんなのメイドじゃないっ! そんなのは、そんなのは……ダメイドだっ!」
「ああーっ……!」

 高く声を上げると、先輩の身体は一際大きく……跳ねた。
 言うだけ言ってしまった俺は続ける言葉がなく、屋上に響くのはただ先輩の荒い息と時折まざる断続的なつぶやきのみ。先輩のその様子は、俺の勝手な思いこみだとは思うんだが、何かに満足したような雰囲気があった。

「すごっ……すごいっ……メイドとしての今までの人生まで否定されてしまいました…………こんな、こんなすごいのっ……はじめて……」
「せ、先輩……?」
「私……達してしまいました……何かに達してしまいました……ああ、夢を見ているよう……素敵……こんな素敵なの……素敵なんですぅ……」

 コノヒトハナニニタッシチャッタンデスカ?
 
「ご主人様……ご主人様ぁ……」

 熱い息の中、うわごとのように先輩は呟く。
 事態が飲み込めないが、ハッキリしたことがひとつ。
 俺、この人のご主人様になるのはいやだ。
 そんなどうしようもない状況の中、ふと脳裏に浮かぶものがあった。
 純白のリボンに結ばれた、赤い髪のポニーテール。
 猫のようなつり目。安心できる力強い微笑み。ボリュームなどと言う表現を寄せ付けない清楚な胸。
 なにものをも突っ込むハリセン!
 そうだ。この状況を打開できるのはやつしかいないっ!

「聖ーっ!」

 力の限り叫ぶと、

 ズバァンッ!

 ほとんど間を置かず扉が開かれる。
 長いポニーテールをなびかせてハリセン片手に弾丸のように飛び出した影は間違いない、聖だっ!
 
「竜ヶ崎っ! 大丈夫っ……って」

 入ってきた聖の表情は心配顔から困惑顔に変化。

「……何やってるのよ?」

 むしろ俺が聞きたい。
 どうしようもない状況の中、俺はただそんなことを思った。



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