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エピローグ




 久しぶりに、轟音でも爆音でも変な音でもなかった。
 揺り動かされて迎える穏やかな朝。
 目を開けると、すこしぼやけた視界の中に光音がいた。
 光音が起こしてくれる。
 その日常に感謝する。
 やがて目が覚め、視界がはっきりしてくる。
 日常が消えた。
 光音は、メイド服を着ていた。
 
「ありゃ?」

 驚く俺を、困ったように見下ろす光音。
 
「早く起きて」
「……ってちょっと待てっ! ど、どうしたんだそれっ!?」
「もらった」
「も、もらったって……?」
「演劇部の部長が、『このメイド服は川波さん以上に似合う人間が居ない。衣装としての価値を失ったからあなたに着て欲しい』って」

 くるりと回り、身を翻す。ふわりとスカートが浮き上がり、その姿はまるで花のようだった。
 その様に、見とれてしまう。

「くれたの」
「そんなばかな……だいたいだからってなんでそんなものを着てるんだ?」
「これを着ると、雅弘が喜ぶって橘君が言ってた」

 何の疑問も感じない様子で光音は答える。
 そのさまに、少しだけいらつく。
 
「お前はどうしてそう橘の言うことを真に受けるんだ?」

 言いつつ、立ち上がる。

「俺の言うことは全然聞いてくれないくせに……」

 光音の肩に手を置く。すると、光音はびくりと震える。そこへ軽く足払い。
 不意をつかれた光音は抵抗無くベッドの上に倒れる。

「俺の言うことを少しは聞けよ。……言って見ろ。俺はなんだ?」
「雅弘」

 戸惑いつつも、やはりいつも通り短く即答する光音。
 
「違うだろ? お前は今、なんだ?」

 光音は俺の問いに、少し考え込む。そして、答える。
 
「……メイド?」
「そうだろう? だったら俺はなんだ?」
「ご……」
「ご?」
「ご……主人様……」

 ベッドの上の光音は抵抗しようとしない。
 ただ潤んだ目で俺のことを見上げている。
 その瞳にひきつけられるように、ベッドへと落ちていく。
 そして……。

 そして、火花が散った。





「いてっーっ!?」

 なんだか悲鳴を上げた。
 よくわからないが痛い。
 俺は慌てて痛む場所……鼻の頭を押さえる。
 目の前には驚いた表情の光音。その手にはフライパン。フライパンだけ。いつもセットで手にあるおたまがない。
 ふと視線を落とす。絨毯の上にはおたまがころがっていた。

「すっぽぬけた」

 光音の簡単なひとことで事態を悟った。
 変な夢は、光音のおたまの一撃で中断されたのだ。

「てめえなにしやがるっ!?」

 瞬間、俺はなぜかキレかかっていた。

「雅弘が急にいやらしい顔するから驚いて……」
「そんなのが理由になるかっ!?」
「と、とにかく早く」

 逃げるように部屋の外へと出て行く光音。
 その後ろ姿は当然メイド服ではない。普段着の上にエプロンを着込んでいるだけだ。
 俺は痛む鼻をなでつつ、はあっとため息をついた。
 とんでもない夢だった。……俺は、あいつの前でどんな表情をしてしまったんだろう?
 今さらながら、顔が熱くなってきた。
 




「じゃ、そろそろ行ってくる」
「うん」
「昼は……」
「持ってく」
「そうか」

 光音の頭の上に、ぽんと手を置く。

「じゃ、行ってきます」
「……いってらっしゃい」

 はにかむように答える光音。
 その様があんまりかわいく見えて、照れ隠しに光音の髪をくしゃくしゃと乱してします。
 すこしだけ不満げな表情で、でも光音は笑顔をうかべていた。きっと俺にしか分からない、あえかな笑顔。
 なんだかなにをやっても敵わない気がした。
 そそくさと、外に出る。




 外は暑かった。
 夏の日射しが容赦なく照りつけてくる。今日も暑くなりそうだった。
 あれから三日。
 本格的に夏休みに入り、補習も始まった。これから学校に行って憂鬱な時間が始まる。まあ、昼になれば光音が弁当を持ってきてくれるから、そう憂鬱なだけでもないが。
 
 サイレント・フェスティバルは混乱のなか終わった。
 そして……どうなったか、よくわからなかった。
 なにしろ終業式にあったのだ。情報を得ようにもこれといって方法がない。あのままみんな解散して、そのまま夏休みに突入してしまったのだ。
 呼び出されなかったからとりあえず俺は罪を問われることはないらしい。
 心配なのは首謀者だった生徒会長だろうか? あの人、受験生なのに進路とか大丈夫か心配になる。普通の学校なら進学をあきらめなくてはならないほどの大騒動だった。だが。

「うちの学校ってヘンだから大丈夫か……」
「雅弘くーん」

 呼び声と共に橘がやってくる。
 
「やあ、朝から景気良く鼻の下伸ばしてるね」
「てめえ喧嘩売ってるのかっ!?」
「やだなあ。褒めてるに決まってるじゃないか」
「どこがだっ……! まったく……」
 
 ため息を吐き、歩き出す。橘も隣に並び、続く。

「お前のことは感謝していのか恨めばいいのか、よく分からないよ」
「少なくとも感謝する必要はないよ。僕は得をしたんだからね」

 口ではついついこう言ってしまうが、なんだかんだでこいつには感謝している。方法には……まあ、なんていうか問題があったが。でもこいつのおかげで光音といるという日常がある。
 
「得?」
「うん。今日はいよいよ幻のメニューに挑戦しようと思ってね。それでこうして学校に行こうというわけだ」

 確かに橘は学生服を着ていた。だが……。
 
「なんでだ? 光音は優勝できなかったじゃないか。お前も食券をすったんじゃないのか?」
「いやだな。確かに優勝を狙っていたけど、絶対大丈夫って訳でもない。ちゃんと儲かるように二位三位の場合も考えて賭けていたさ。当然だろう?」
「え? そうなのか?」
「雅弘くんもそうしたんだろう? 違うのかい?」
「いや、その……」

 光音の優勝に一点買いしていた。
 だから全部、すった。
 表情からそのことを察したのか、橘はニヤリと笑う。
 
「そうかそうか。君は川波光音の優勝に全てを賭けたんだね」
「う、うるせぇっ」
「いや、恋は盲目と言うしね」
「やかましいっ」
「公衆の面前で告白してしまうぐらいだからね」

 ピタリ、と歩む足が止まる。

「聞いてたのか?」
「まあね」
「てっきりあのうるささじゃ誰にも聞こえないと思っていたが……」
「都合良く考えすぎたよ、それは。まあ実際聞こえたのは生徒会長と盗聴機を仕掛けていた僕だけだろうけどね」
「録音とかしてないだろうなっ!?」
「そんな無粋なまねはしないさ」

 さわやかに笑う橘。
 信用できない。こいつのこういう表情はとても信用ならない。
 などと話している間に、校舎が見えてきた。
 なぜか、そこには……。
 
「あれ、清水先輩?」
「あら、おはよう高坂くん」
「どうしたんですか? まさか、補習?」
「そんなわけないでしょ。例のお祭り騒ぎの後処理よ、後処理」
「大変そうですね」
「そうでも……ないわよ?」

 そういう清水先輩の頬は、なぜか赤い。
 
「生徒会長も大変なんでしょうね」
「そ、そうかもね」

 橘の言葉にうろたえたような声で答える清水先輩。どうしたんだろう、いつもらしくない。
 
 タタタタタタ
 
 と、誰かが駆けてくる音。一瞬旨美かと思った。あいつもきっと補習だから、ここで会っても全くおかしくない。
 しかし、音が大人しすぎる。それに音は後ろから、俺達の歩いてきた方から聞こえる。旨美なら反対側のはずだ。
 振り向くと、
 
「あら、かわいい」

 清水先輩の言葉通り、確かにかわいい姿。
 エプロンをつけたままの光音がいた。
 光音は息を乱しながら、俺に向かう。
 
「雅弘、筆箱忘れてる……」
「え? あ!」

 鞄の中をあさると確かにない。このへんにやる気のなさが出ている。
 
「あらあら、高坂くんもやるわね……」
「な、なんですか先輩?」
「みっちゃんエプロン似合うわね。高坂くんの趣味なの?」
「え、あの……」

 戸惑う光音。このまま話が進むと光音が俺の家で食事を作ってくれていることがばれてしまうかも知れない。それはすごくやばいような気がした。
 あわてて言いつくろうとすると、後ろでザザザッ、と後ずさる音が。

「高坂くん、エプロンが好きだったんだ……そーゆー趣味だったんだ……」
「も、守屋! なんでいるんだっ!?」
「いちゃいけないの? ボクはおジャマ虫なの!?」
「いやそーじゃなくて……」
「雅弘なにやってんだーっ!!」

 ドドドドドドドドドッ!
 
 今度こそ、旨美の突進。
 なんであいつはいつもいつもややこしいときに真っ向から向かってくるのかっ……!

「雅弘ーっ!」
「ええいっ、転べっ! 豪快に転べーっ!!」
「うあああっ!?」
「きゃああああああっ!?」
「高坂くんっ! 清水先輩が巻き込まれちゃったよっ!?」
「雅弘くんひどいなあ……」
「雅弘……」
 
 今日もまた、騒がしい日常。でも楽しいいつもの日々が始まる。
 日常は、当たり前にあるもの。普段は意識しない、普通にあるもの。
 だから大事だって事に気づかない。
 失ってから初めて気づいて、気づいたときにはもう戻らない。
 でも……。
 大切な人がいれば。日常にいてくれる、一番大事な人がいれば。
 また楽しい日常を作り出せるはずだ。
 光音がいれば。
 楽しい日々は、続く。きっと、続けられる。
 そう、思った。
 
「雅弘てめーっ!」
「高坂くんっ……君はっ……!」
「ああああっ! もうちょっと平穏でいさせてくれーっ!!」



Fin

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