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七日目
(3)
すごい追いかけっこ



「ね、高坂くん?」
「あ、ああ……」

 なんだか妙に密度の高かった授業の後。まだその熱も冷めやらぬといった感じの教室の中。俺の席へと短い三つ編みを揺らしてやってきたのは、クラスメイトの守屋だった。
 
「ねえ、さっきのところ書き写せた?」
「なんとかな……」

 試験も近いということでやたらと気合の入った授業だった。その中、ヒートアップした先生は板書の手も加速、ついでに黒板けしも軽快に黒板を滑った。
 おかげで書き写すことができたものがほとんどいないという状況だったのだ。
 俺は黒板を見やすい席だったこと、動きを先読みして先生の速度について行けたことが幸いし、辛うじて全てをノートに取ることに成功していた。
 ……まあ、内容がわりとちんぷんかんぷんなのが問題といえば問題だったが。
 
「高坂くんならきっと大丈夫だと思ったんだよ」
「へ? どうして俺が書きとめているとわかったんだ?」
「それはも・ち・ろ・ん」

 守屋は、得意げに人差し指を立てる。
 
「コツがあるんだよっ!」

 いつもながら見事な言いっぷりだった。思わず嘆息する。
 
「へへっ……試験前だし、こういうコツは大事だよね」

 そう。守屋に言われるまでもない。週末には試験が始まる。
 しかも極悪なことに始まるのは四日後……金曜日からなのである。そして土日の休みを挟み、月火と試験は続く。試験期間中に休日があるのは勉強するためには有利なスケジュールだが、逆に言えばその二日間は強制的に勉強しなくてはならない。そう考えると嫌な日程だ。
 しかし、まだなんの準備もしていない。昨日と一昨日は勉強しようとか夢想していたような気もするが、結局なんだかんだで全くやっていない。
 ……まずい。

「? どうしたの、高坂くん?」

 急に深刻に考え込む俺に、守屋が疑問の声をかける。
 ふと、守屋を見る。見慣れた同級生。コツでもって不可能を可能にするクラスメイト。そうだっ……!

「守屋っ!」
「な、なにかな?」

 俺の必要以上に力強い呼びかけに、守屋が驚いたように身を引く。
 しかしそんなことを気にしていられる場合ではない。

「勉強のコツとかないか?」
「え?」

 驚く守屋の肩をガシッと掴み、さらに言い募る。

「一時間の勉強で合格点とれるコツとか試験のヤマが百パーセント確実にわかるコツとか試験中寝てる間にテストがいつの間にか出来上がってるコツとかーっ!?」
「えええーっ!?」
「なんなら試験そのものがこの世からなくなるコツでも可っ! 頼むから教えてくれっ!」

 守屋は困ったように視線をさまよわせ、そして自分の肩にある俺の手に目を向け、なぜか赤面し俯いた。
 ややあって、守屋はピッと人差し指を立てた。それに合わせて顔を上げ、口を開く。

「高坂くん、楽をしようとしちゃダメだよ」
「でも守屋だったら……」
「勉強は、コツコツとやるものなんだよっ!」

 守屋は言った。言い切った。
 なんか力が抜けてしまい、俺はがっくりとうなだれた。
 
「でも、お勉強の手伝いなら出来ると思うよ」
「え?」
「放課後……図書室で勉強しようと思うんだ。高坂くんもいっしょにどう?」

 その時の守屋の笑顔は、それこそ天使のようだった。





 放課後の図書室。試験が近いだけあって、ほとんどの席が埋まっている。うちの図書館はそこそこ広く、冷暖房完備で勉強するには悪くない場所だ。
 そんな中の一角で、俺は守屋と向かい合って座って勉強していた。
 目下のところ、俺は苦手強化である歴史を、守屋のノートを貸してもらい勉強している。
 
「守屋はなんだかんだでちゃんとやってるんだな……」

 守屋のノートはただ授業で先生が板書したものを写しただけではなく、重要なポイントに自分で書き込みをしていた。しかもそれは色分けされて分かりやすく、関連した項目について書かれた教科書のページ数までマメに書き込んであるので非常に分かりやすい。
 俺がそのノートを見ている間、守屋はさっきの俺のノートを書き写していた。コピーすればいいかとも思ったが、見れば守屋はただ写すだけではなくやはりいろいろと書き込んでいる。ただ機械的に写すのではなく、復習もかねて勉強しているのだ。
 いつもの騒がしさが嘘のように、守屋は真剣な表情でノートに向かっている。
 時折う〜んと唸り、手にしたシャーペンの先で自分の短い三つ編みをクルリと回す。
 
 クルリ。
 カリカリ。
 クルリ。
 カリカリ。
 
 見ていると、何だか面白い。
 
「どうしたの、高坂くん?」

 俺の視線に気がついたように、守屋は顔を上げた。
 
「いや……それ、クセなのか?」
「クセ?」

 不思議そうな守屋。言いつつ、シャーペンで三つ編みをクルリ。
 
「ほら、それ。シャーペンで三つ編みを回すの」
「え? ああ、これ? 別にクセでもないよ」
「でもさっきからやってるぞ」
「さっきからって……ずっと見てたの?」

 守屋はなんだか俯いてしまった。

「やだ……なんか恥ずかしいな……」

 そんなことを言われると、こっちまでなんだか照れ臭くなってくる。
 
「悪いな……邪魔するつもりはなかったんだ」
「ううん……いいんだよ。それにちょうど写し終わったところだから」

 そう言って、ノートを差し出す守屋。俺ももう歴史のノートで重要なポイントは写し終わっていた。同じように、ノートを返す。
 
「ありがとう。分かりやすかったよ。正直歴史とかは苦手なんで助かった」
「高坂くんって歴史苦手なんだ……数学とかは結構得意だよね?」
「ああ。ああいうのはなんて言うか、答が決まってて、それを出すため誘導するような問題だろう? 流れが読めればそんなに難しくない」

 数学というのは、まあ極めようとすればキリがないんだろうけど、高校の試験はもともと答が必ず出る問題を答を出させるように試験に出す。だから出題意図と言うか、問題の流れというか。そうしたものが読めれば、大体解ける。使う必要のある公式なんてたいした数じゃないんだから、覚えるのもそれほど大変じゃない。

「暗記ものってとにかく覚えなきゃならないことが多いだろう? だから守屋のノートみたいにポイントが絞ってあると本当に助かるよ。漠然とあんなの全部覚えると考えるとやる気が出ない」

 それに、今回は(今回も、なんだが)時間がない。守屋のノートに記されたポイントはとてもありがたかった。
 
「へへ……」

 照れ臭そうに後ろ頭をかく守屋。女の子がこういう仕草をするのは普通は似合わないが、守屋の場合は妙にはまっていた。他のヤツがやってたらなんだかわざとらしく見えるだろうが、守屋の場合はとても自然に感じられるのだ。まあ、普段からこういうことをやっているからかもしれないが。
 
「正直、俺のノートなんかじゃ釣り合わないかもな」

 俺のはただ先生の板書したものを写しただけのものだ。ついでに言うと字もあまり綺麗じゃなかったりする。
「そんなことないよ。それに……このあいだのお礼もあるしね」

 このあいだ――守屋と行ったアクセサリショップ。そこで買った、あの指輪のことだろう。
 
「ああ、アレはあの店を紹介してくれた礼なんだからあんまり気にするなよ」
「でも、嬉しかったんだよ。ほら、今もこっそり持ってきてるんだ」

 言うと、守屋はごそごそと鞄を探り始めた。程なくして現れたのは、あの金属の輪をくるりと蒼いガラスで包んで装飾した、あの指輪だった。
 
「持ち歩いてるのか?」
「だって、気に入ったから……」

 ガラッ
 
 守屋の言葉を遮るように、扉を開く音。
 別にそんな音は珍しくないのに、妙に気を引かれた。見ると、図書室へと入ってきたのは……。
 
「清水先輩……?」

 とっさに俺は守屋の手を掴んで机の上に引き落とした。
 
「高坂くんっ?」
「静かに……!」

 清水先輩は風紀委員長だ。指輪なんて見つかったらどうなるか分からない。没収されたらあの”風紀袋”行きだ。そうなったら戻ってくるのは絶望的かも知れない。
 先輩はいつものように毅然と颯爽と、長髪をなびかせて図書室の中に歩み入る。後に続くのは数人の男子生徒。どいつも、どこか目つきが鋭い。その所作に無駄はなく、歩む一歩ひとつとっても隙が――ない。
 
「どう?」

 清水先輩は、後に続く男子生徒の一人に声をかける。そいつは鋭い目で図書室を見渡すと……。
 
「そこだっ!」

 そう言って、何か――俺の目には学生服の金ボタンに見えた――を天井に向かって放った。投げる動作は小さなものだったのにその速度はかなりのものだった。旨美とのやりとりに慣れた俺でなくては金ボタンと分からなかったかもしれない。そんな高速で投げられたそれは、図書室の天井へと吸い込まれた。
 
 ゴイン
 
 天井に当たったにしては、やけに鈍い音が響いた。
 続いて、当たった天井が波打ち、落ちてきた。
 
「なっ!?」

 落ちてきた天井は波打ち、最後には人の形を取った。よく見れば、天井と同じ模様の布を身体に巻き付けた人間だった。
 
「よく見破った……さすがは秘密警察研究同好会の田内だ」
「貴様こそあんな所に隠れているとは……さすがは諜報活動研究同好会の会長と言ったところか、山岸……」

 目の前の異常な事態に、みんな言葉を失っていた。図書室は清水先輩を中心とした一角を除き、先ほどまで以上に静かに……というか、沈黙していた。守屋ですら言葉も発さずにじっとしている。
 周囲の驚きも静けさもよそに、渦中の二人は会話を続けていた。
 
「さて……今日こそは吐いてもらおうか。貴様らが今、なんのために動いているか?」
「目の前にとらわれすぎだな、田内。だからつけ込まれる」

 天井男――山岸の言葉と共に、周りに気配がざわめく。
 ザザザと、かすかな音と何かが移動する気配がした。
 
「! 他のものを逃がすため、貴様自身がおとりになったと言うのか?」
「まあな。……だが、俺も捕まるつもりはない」

 その瞬間、山岸の姿がかき消えた。
 慌てて田内と呼ばれていた男ははいつくばり、床を探る。
 
「抜け穴!? ちくしょうっ! 追うぞっ!」

 言うなり、着いてきていた男子生徒を引き連れ図書室を出ていった。
 唯一人残されたのは清水先輩。
 
「騒がせたわね」

 言うと、パンとひとつ大きく手を鳴らす。
 
「さ、みんな。勉強に集中して。くれぐれも余計な行事に首突っ込んで勉強をおろそかにしちゃだめよっ!」

 そう言って、きびすを返す。
 一瞬、こちらの方を見て「ふんっ」と軽く鼻を鳴らし、図書室の外へと出ていった。
 なんだかその視線が気になり、手元を見てみる。
 俺の手。その下には守屋の手。さらにその下には指輪があるはずだが、それは清水先輩には見えなかったはずだ。
 視線を上げる。そこには真っ赤に染まった守屋の顔があった。
 
「……あれ?」
「こ、こ、高坂くん……」

 状況を整理してみよう。
 俺と守屋は向かい合わせに座っている。そして、今守屋の手の上には俺の手がある。
 端から見ると手を握り合って仲むつまじくしているように見えるかも知れない。
 と言うか、そうとしか見えないのかも知れなかった。

「こ、高坂くん」
「なんだ守屋?」 
「は、恥ずかしいんだけど……」
「す、すまんっ」

 慌てて手を放す。
 守屋はやけにゆっくりとした動作でその手を胸元に持ってきて、そして反対の手で握った。
 とっさのことだったのであんまり意識しなかった。手を引くときに掴んだりはするが、こんな風に女の子の手を握るというのはあまり経験がない。なんだか、ひどく恥ずかしい。右手に残る柔らかい感触と温もりに、なんだかドキドキとする。
 胸元に両の手を合わせる守屋も、なんだかひどく女の子っぽく見えて……困る。

「それにしてもなんだったんだろうなあれは?」

 この雰囲気がまずく思えて、とにかく別の話題を振ることにする。というか、今起きた出来事もかなり気になる。静かだった図書室もすっかりざわめきに包まれている。まあ、あんなことがあったのだから仕方ないだろう。
 
「ああ、あれは秘密警察研究同好会の人が、風紀委員と協力して諜報活動研究同好会の人を摘発してたみたいだよ」

 目を逸らしながら、スラスラと守屋は状況について説明した。その口調はまるでそのことについて当たり前に知っているかのようだ。
 
「警察……同好会?」
「秘密警察研究同好会。うちの学校に1024あると言われる同好会の一つ。所属している人はみんな自主的に特殊訓練をしている、強力な同好会だよ」

 特殊訓練――確かにあの金ボタンを投げた手際は素人のそれではなかった。
 
「相手していたのは諜報活動研究同好会の山岸くん。歴代最強と言われているエージェントだよ」
「……あいつらうちの生徒なのか?」
「山岸くんはとなりのクラスだよ」

 マジか。わりと衝撃の事実だ。まともじゃない生徒は橘ぐらいかと思っていたが、うちのの学校にはあんなのがゴロゴロいたりするんだろうか。

「だいたい”1024の同好会”って……うちの学校の生徒数より多いような気がするんだが」
「うん。そういうものなんだよ」

 守屋は目を逸らしたまま淀みなく答えた。これはひょっとしてうちの学校の一般常識なのだろうか? なんだか不安になってくる。
 
「守屋はなんでそんなことを知ってるんだ」
「それは……」

 そして、ハッとしたように俺に向き直る。その顔に浮かんだ表情は……動揺?
 
「守屋……?」
「も、もちろんっ!」

 いつものように、人差し指を立てる。
 
「コツがあるんだよっ!」
「そうか。じゃあ仕方ないな」
「うんうん。仕方ないんだよ」

 守屋がいつもの調子で言ったので、それでなんとなくいつもの空気になった。
 
「じゃあ、勉強を続けようよ」
「そうだな……」

 そのあとは何事もなく、閉館時間まで守屋と勉強をした。
 一時騒がしかった図書室もしばらくするとすぐにまた元の静けさを取り戻した。みんななんだかんだでそれどころではないのだ。
 なんとなく右手に残った感触がちょっぴり集中力を妨げたような気がしたが、それはそれとして守屋の分かりやすいノートのおかげで時間の割にははかどったように思えた。

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