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七日目
(2)
昼も追いかけっこ




「2分遅刻……」
 
 昼休み。光音との約束のため、中庭に訪れた俺を迎えた第一声がそれだった。
 目の前の幼なじみは、手首の内側――そこにある腕時計を見ている。
 いつものように表情の少ない光音だったが、どこか得意げだった。
 先週は教室まで迎えにきたのに、わざわざ待ち合わせにしたのは……ひょっとして腕時計を活用したいがためなんだろうか。
 なんか余計なものを与えてしまったという後悔がふつふつとわいてくる。
 
「なんだよ、遅刻したらペナルティでもあるのか?」

 俺の軽口に、光音はしばし虚空に視線を漂わせる。そして、やおら口を開くと、

「ミートボール二個減」
「なんだその微妙な減らし方は?」
「じゃ、断食?」
「なんでそう極端なことを……」

 ドドドドドドドドド
 
 俺の言葉をさえぎるように耳慣れた地響きが聞こえてきた。
 誰かの爆走する音。
 聞いただけで位置も方向もわかる、ただただまっすぐな音。
 だから俺は先んじて行動する。
 通過予測点に絶対にかわせないタイミングでしかもそいつの死角から足を繰り出す。
 
「よおみつねせんぱ……」

 ズガッ! ゴロゴロゴロゴロゴロロロッ!

 俺の足に引っかかり、そいつは見ていて愉快なほど派手にすっころんだ。
 もうもうと土煙が上がる。アクション映画の一場面を思わせるような派手なさまだった。
 
「うむ。なかなか豪快な転びっぷりだ」

 そのさまに満足し、俺は転がった先へと向かう。もうもうと土煙が舞う中、そいつは大の字に転がっていた。近くの木がこずえを揺らしている。今日は立ち木にぶつかって止まることができたらしい。もし遮蔽物のないところで転ばしたらどこまで転がるのだろうか? 考えてみるとちょっと愉快だ。
 まあ、それはそれとして。俺は手を差し伸べ、声をかける。
 
「よおバカ」
「てめえは出会い頭にここまでしておいて言うことはそれかあっ!?」

 そいつは固く握った拳で天を衝きながら、力強く立ち上がる。そう、そいつは他でもない……。
 
「元気爆走バカ爆発の旨美だな」
「だれが元気が爆発でバカが爆走だっ!?」
「微妙に間違ってるのがバカなお前らしくて大変結構だ」
「てっ……てめえてめえてめえっ!」

 胸ぐらを掴もうとする手をひょいとかわし、俺は旨美の頭の上にポンと手をのせた。
 俺の手を恨みがましく見上げる旨美。慣れた、いつものやりとりだ。
 
「あんまり怒るなバカキング」
「誰がバカキングだっ!」
「お前。他の誰でもない、俺の眼前にいるバカの王様」
「うあ冷静に言いやがってっ! だいたいバカ御前じゃなかったのか!?」
「バカ御前……?」

 耳慣れない言葉だった。が、何か記憶の隅に引っかかる
 どこかで聞いた気がする。いや、どこかで言った気がする。
 
「そうか……そんな称号をお前に与えたこともあったな」
「しみじみ言うなよなっ……! だいたいバカプリンスとかバカキングとか……俺は女だぞっ!? プリンスとかキングって男のことだろ、たしかっ!?」
「ふむ……」

 旨美がそのことに気づくとは思わなかった。「御前」という言葉が女性に対してもおかしなものではないことに気づいていないのもいかにも、という感じだ。
 それにしても、そうか。もう気づいてしまったか。もう少し先かと思っていたが、もうそのときになってしまったらしい。楽しみが減ってしまうのが残念であるが、まあそれならそれでやりようはある。
 ちょっと考え込む俺に、旨美は不安げな視線を送る。
 
「な、なんだよ。答えろよ」
「旨美……自分の胸に手をあてて考えてみろ」
「……?」

 いぶかしげな顔をしながらも、素直に自分の胸に手を当てる旨美。素直なやつである。それこそ、バカがつくほど。
 そして、俺は演出たっぷり身振りを交えながら旨美に質問する。
 
「そこに、何がある?」
「え? 胸に手を当てたんだから胸があるに決まってるだろう?」
「違う。間違えるな」
「え?」
「ないんだろう、胸が?
 いいかちゃんと認識しろ。理解しろ。認めろ。お前に胸なんてないっ」
「!」

 驚愕に、顔をこわばらせる旨美。
 
「わかったか?」
「わかったかって……」
「お前に胸はない。したがってバカプリンセスだのバカクイーンなどは相応しくないから、そういう称号は避けてきた。……俺の細やかな気遣いをわかってくれ」
「わ、わかるもんかっ! じゃあみつね先輩はどうなるんだよっ!?」
「光音? 光音は女の子らしいだろう」

 目をやると、光音はレジャーシートの上に座って待っていた。なにか困ったようにこちらを見上げている。
 正座をすこし崩した、いわゆるおんなのこ座りをした光音はだれがどう見ても女の子だった。まあ仮にもサイレント・フェスティバルの優勝候補の一人(に、なるはず)のやつだ。そうでなくては困るのだが。

「なに言ってんだお前は」
「おまえ知らないのかよ? 胸の大きさだったらみつね先輩の方がっ……」

 パキリ
 
 ひどく。
 ひどく、乾いた音がした。とても鋭く響く、聞くものに痛みを伴わせる冷たい音。
 沈黙。俺も旨美もその音の冷たさに凍らされたように何も言うことが出来ない。二人の視線の先には光音がいる。その手の中には割られた割り箸がある。
 あの音が、その割り箸を割った音だということを理解するのには、しばしの時間が必要だった。
 
「お弁当、いただきましょう」

 光音の一言に、俺と旨美は声を出すこともできずにただ頷くだけだった。





「……だいたいなんでおまえがここにいるんだ?」

 いつも通りうまい光音の弁当を食べながら、旨美に聞く。
 
「それはこっちのセリフだ」

 睨むような目つきで答える旨美。
 こいつはつり目がちで、俺より座高が低いので下から見上げるようになると自然と睨むような目つきになる。
 ……思えば、こいつにはずっと睨まれてばかりだったような気がする。
 むかしからのやりとりも、今みたいな口げんかか旨美がつっかかってきて俺が豪快に転倒させるといったパターンだった。我ながら、よくもこんな関係が続くものだと思う。
 お互い手の内は分かっているのだが、それでもいつも俺が先んじる。だからこそ、旨美は突っかかってくるのかも知れないが。
 そんな俺の考えとは別に、旨美は言葉を続ける。
 
「高校入ってから、俺はいつもみつね先輩と弁当食べてたんだぜ」
「へえ、ずっとそうだったのか」
「そうだぜ」

 言いつつ、旨美はない胸を反らした。
 本当に平坦だった。こいつはちょっと顔は綺麗だが、髪を短くしているせいもあり、着ているのがセーラー服でなかったら男と間違えてしまうだろう。
 
「な、なに見てやがる」

 旨美がその胸を押さえた。なにを隠す必要があるのかまったく理解できないが、本人としてはなんらかのこだわりがあるらしい。まあ得てしてこだわりというものは当人以外には理解できないものだったりする。旨美のそれも、そういう特殊な類のこだわりなのだろう。
 それはどうでもいい。しかし、女の子っぽい動きで胸を隠す旨美がどうにも見ていてヤなものがある。
 
「弁当」

 俺がつまらなそうに答えると、旨美はレジャーシートの上に置いた弁当に視線を降ろした。
 
「ああ、なんだそうかよ」
「お前の弁当もうまそうだな」

 旨美の弁当は、俺の弁当とは異なっていた。俺のが肉メインに対して旨美のは魚がメイン。そう言えば、旨美はどちらかと言えば魚の方が好きだった。
 
「ああ。みつね先輩のつくる弁当はいつだって最高だぜっ」
「ん? それも光音の作った弁当なのか?」
「ああ。みつね先輩は高校のときから弁当作るようになって、俺のぶんも作ってくれるようになったんだぜ。最初はあんまりうまくなかったけど、だんだんうまくなってなあ。そういえばあの焦げたモガッ……」

 旨美の言葉が中断される。
 口の中に鮭の切り身を一欠片つめこまれたからだ。
 そんなことをしたのは……光音だった。
 
「旨美ちゃんこれも食べて」

 旨美が答える間もなく、光音は次のおかずを旨美の口に入れる。
 その動きは、けっして早いわけではない。しかし、的確で無駄がなく、しかも間断というものがなかった。旨美は口の中に次々と詰め込まれるおかずに目を丸くし、やがて無邪気な笑顔になる。どうやらおかずのチョイスも適切だったらしい。
 どうしてやったのかは分からないが、光音はおかずによって見事話を逸らすことに成功したのだ。
 
 ”餌付け”
 
 唐突にそんな言葉が思い浮かぶ。
 俺は一生こいつに食を握られるのではないだろうか。そんなことを考えてしまう。
 ちょっと待て一生? 俺はこんな状況が一生続くと思ってしまっているのだろうか。だいたい一生弁当を作ってもらうと言うことは、それはつまり……。
 
「雅弘、どうしたの?」

 気がつくと光音に顔を覗き込まれていた。
 間近にある、端正な光音の顔。頬の温度が上昇する。
 そんな俺を見て、光音はわずかに首を傾げる。さらさらと黒髪が流れ、それとともに良い香りがした。
 なんか、まずい。
 
「な、なんでもない。それよか、いつもそんな風に旨美に食べさせてるのか?」

 光音はややいぶかしげ様子だったが、それでもコクリと頷いた。。
 中学までは三人でちょっと遊んだりもしたが、高校に上がってからは光音と疎遠になってしまったこともありそんな機会もなかった。
 思えば三人いっしょに昼飯を食うなんて久しぶりだ。だが、光音と旨美がこうして昼食を共にしていたらしい。わずかに疎外感みたいなものを感じる。
 そこで、疑問がひとつ浮かび上がる。
 
「なあ、光音?」
「なに?」
「こいつの弁当代はどこから出ているんだ?」

 旨美を指さしつつ問う。なんとなく、光音が旨美から金を取るとは思えなかった。今までは、たぶん自分の分を作るついでにと旨美の分を用意していたのだろう。光音の母さんは穏和な人だし、多分そういうことは笑って許しそうだ。
 しかし、今こいつは俺の食費でもって俺の飯を作っている。
 わざわざ自分の分と俺の分とを細かく材料費をわけて作っているわけでもないだろうから、俺の親からもそのへんはアバウトに渡されているのだろう。
 しかし、そうなると旨美の分はどうなるのか?
 食の全権を握られている立場としては、非常に気になることだった。
 
「まとめて作った方が安上がり」

 光音のひとこと。それは、いつものように簡単なものだった。あまり答にはなっていなかったが、その意図していることは分かった。
 つまり、明確な区分は作ってない。
 つまり、旨美は俺の食費から作られた弁当を食っている。
 そうか、そうなのか。そういうことなのか。
 目を向けると、旨美がうまそうに弁当を食べていた。
 子供のように無邪気な笑顔を輝かせ、もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……。
 
「それ以上喰うなーっ!」

 叫びつつ、旨美に詰め寄る。
 ヤツは俺の突然の大声に目を丸くした。
 
「な、なんだよっ……?」
「それはなあ、簡単に喰えるものじゃないんだぞっ……! 俺がどれだけ精神的な苦労をしてだなあ……」
「うわ、近寄んなよっ」

 後ずさりながら、旨美は言う。
 確かに鼻と鼻が触れ合いそうになるほどの距離は近すぎるだろう。しかしそんなことで追求をやめていい問題ではない。そんな簡単に割り切れることではないのだ、俺にとって……!
 最初は驚いているだけの旨美だったが、しかしすぐに構えをとる。
 右手に拳を作り、不安定な姿勢ながらも旨美は振りかぶった。
 しかし、遅い。
 この状況で攻撃するつもりなら一撃必殺を狙うのではなく牽制にとどめるべきだ。いくら理不尽なほどの勢いを持つ旨美であっても、座った状態ではたいした威力の攻撃は出来ない。
 確かに旨美の動きは速い。しかし無駄が多い。だから俺は先んじることが出来る。
 振りかぶる動作は無視。俺は無駄のない動作で、旨美の胸の中心に手のひらをあてる。
 それをそのまま、押す。
 座った姿勢で拳を振りかぶるという無理な姿勢をとっていた旨美は、それだけで簡単に仰向けにひっくり返った。
 そのまま手のひらを押しつけ、旨美の動きを封じる。
 
「これ以上喰うな。もし喰うつもりなら金を払え、俺に」
「い、いきなりなに言ってやがるっ……!」

 旨美は強気だが、今はこちらに圧倒的に分がある。
 ただ胸に手を当てただけの状態。手も足も自由。それに旨美の力なら俺をはね除けることが出来るかも知れない。こんな状態は押さえ込みでも何でもない。
 だが、俺は旨美の動きを読みつねに先に動くことが出来る。
 もし旨美がなにか動こうとすれば、その動きを利用して投げなり関節技にもちこむなりできる。なんなら、またこの状態――胸を押さえるだけの状態にすることができる。
 旨美はそのことを理解している。ゆえに、動けない。
 これはもはや俺の勝ち……そういう状態なのだ。
 
「さて……」

 言葉を続けようとして、そして喋れなくなる。
 首に冷たい感触。視線を下げると、半月の形をした黒い鉄の塊が俺の首筋に当てられているのが見えた。
 まさに、首を刈るように。

「これは……?」
「六年前、なにを思ったか死に神のコスプレで登校してきた女の子から没収されたという鎌よ」
「その声は……清水先輩?」

 恐怖に、身体一つ動かせない。だからだろうか。背後で、普段は絶対に感じ取れないだろう首を頷かせる気配を感じ取れたのは。
 
「あなたは風紀的に正しい人だとおもっていたけど……白昼堂々女の子を押し倒すなんて」

 そこで、ため息が一つ聞こえた。
 と、同時に俺の首に当てられていた鎌が消える。
 背後からシャコン、という音がする。どうやら例の”五秒ルール”にしたがって、清水先輩が風紀袋に鎌をしまったらしい。まあ、あの構造ならそういう音もするのだろう。
 
「しかもそういう娘を押し倒す、普通?」
「先輩、どういう意味ですかっ?」

 清水先輩の指摘に抗議の声を上げる旨美。
 なぜか両手でない胸を隠している。
 この状況に、ひどく嫌な感覚を覚える。俺は途方もなくひどい誤解をされているような気がする。自分という存在を完全に否定されてしまいかねない、ものすごくとてつもない誤解を。
 あわてて後ろ――清水先輩の方に振り向く。
 

「先輩! ちょっと待って下さいっ! あなたは俺の事を誤解していますっ!」
「なにが?」
「俺は先輩が思っているようないやらしい気持ちは一切もってないっ!」
「チカンはみんなそーゆーこと言うのよ」
「違うっ! 断じて違うっ!!」

 そして、俺は大きく息を吸った。伝えなくてはならないことを、ちゃんと伝えるために。

「だってこんな胸と言えないような薄い胸、どこ触ったって嬉しい感触なんてないんですよっ!」

 沈黙。
 沈黙が降りた。
 ここにいる誰もが俺の言葉を聞いてくれたことを証明する静けさ。
 しかしなぜか……その沈黙はピリピリとした鋭さを持っているような気がした。
 そして、その沈黙は爆発した。

「雅弘ーっ!!」

 猛烈な力に、旨美の胸の上に置いていた右手がはじき飛ばされる。
 しまった、不意をつかれたっ!
 
「てめえ! てめえっ! てめえーっ!!、殴ってやるーっ!」
「そうね……ちょっと懲らしめた方がいいかもしれないわね……」

 言いつつ、清水先輩は風紀袋をごそごそとやり始めた。
 なんでこの二人は徒党を組むんだろう。
 そして、再び。
 いつかのようなおいかけっこが始まった。

「なんでだーっ!?」
「自業自得……」

 全力で走る俺の耳に、静かな光音の声が届いたような気がした。
 




 そのおいかけっこはチャイムが鳴るまで続き、俺は昼飯をほとんど食べることができなかったのだった。
 ちなみに、あとで光音に叱られた。今後は旨美の分の弁当は自分の小遣いから出すと光音が宣言し、俺が文句を言うことは許されなくなってしまった。そして、本日夕食に予定されていたサーモンステーキはめざしへと格下げされた。
 ……なんだか、納得いかないことばかりだった。
 


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