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七日目
(1)
追いかけっこ


「時間、大丈夫かな?」

 そう言いながら、光音は左手首を見る。
 月曜の朝。いつもどおり、俺は光音にたたき起こされ、光音と一緒に登校している。
 いつもと少し違うのは、光音の見ている左手首。そこには赤いバンドの細い小さな腕時計がある。昨日プレゼントした物だ。渡した翌日、それも朝からつけてくれるのか不安だったが、杞憂に終わった。どうやら気に入ってくれたらしい。
 
「充分余裕あるだろ」
「……うん」

 そう言って、光音はいつものように俺の前を行く。
 なぜか光音は俺の少し前を歩きたがる。そこが、昔と違う今の光音の「定位置」らしい。
 そしてまた、時計をチラリ。 

「……大丈夫だろう?」
「……うん」

 そう言って、手を下ろす。
 しかし視線はその手を、腕時計を追っている。
 その腕時計は光音によく似合っていた。
 地味めな光音には派手なアクセサリは似合わない。赤という色は目立つ色だが、小さな細いその腕時計は過度に目立たないので違和感はない。しかし、だからといって全然目立たないかというとそうではない。
 光音は白と黒だ。
 抜けるような白い肌。漆黒の髪。セーラー服は紺だが光音が着ると黒っぽいイメージになる。
 光音はモノトーンだ。
 そして、モノトーンの中の赤は目立つ。
 どこかのカラーコピー機のコマーシャルで思ったことだが、今の光音はまさにそうだった。浮き上がるような存在感がある。
 そして。
 
 チラリ
 
 また時刻を確認する光音。この時計を見るという動作は、それなりに周囲の目を引く。
 
『川波光音には”なんとなく気になる存在”になってもらう』

 橘の言葉が思い起こされる。
 アクセサリはほどほどに目立ち、そして光音の時計を見る動作はそれなりに目を引く。
 たしかにこの時計はその意図に適っているのかも知れない。……本当に、それが優勝に繋がるかは疑問ではあるが。
 しかし。
 
 チラリ
 
 光音は時間をなんども確認する。ちょっとうっとおしいぐらいに。
 おかげで歩みも遅れがちだ。

「あ」

 短い声。
 光音は「定位置」から遅れて、やや後ろの位置にいた。そのことに気がついたらしい。
 パタパタと小走りし、また俺の前につく。
 そしてチラリ、と光音はまた時計に目をやる。
 さっきから時計ばかり見ている。なんとなく、それが気に入らない。漠然といらつくものを感じた。だいたいこれでは「ちょっと気になる存在」というよりは「挙動不審者」みたいだ。
 足を早め、光音を追い抜く。
 ちょっと先に行ったところで歩みを戻すと、気づいた光音が早歩きで追い抜こうとする。
 光音に追い抜かれた直後、足を止める。
 そのまま前に行く光音は、俺がついてきていないことに気づいたのだろう。不思議そうに振り向こうとする。
 そのタイミングに合わせて早足で前へ。
 光音が振り返っている間に光音の前へと行く。
 追い抜かれた光音は慌てて追いすがる。

 少し、楽しくなってきた。
 「定位置」につこうとする間は光音は腕時計を見る余裕なんてない。
 なにより、ムキになって「定位置」につこうとする光音の一生懸命なさまが面白い。
 
 だから俺は、光音とこのちょっと変わった追いかけっこを楽しむことにした。
 時には早足。時にはゆっくり。あるいは停止。
 俺の巧みなフェイントに翻弄される光音。
 光音は背は低いものの、その身体に比して脚はスラッとして長い。それでも俺に比べれば歩幅は狭く、歩く速度にはどうしても限界がある。
 もっともこの場合に重要なのは読みとタイミングを活かす反応速度だ。そのどちらも光音を上回る俺としては、光音を翻弄することも容易だった。
 光音は真剣に俺の少し前、「定位置」につこうとしていた。
 思えばガキの頃、光音はいつも俺の後ろを着いてきた。
 今よりも少しだけ距離を置いて。いつもいつも。
 そのころも、旨美と走り回る俺の後をこんな風に一生懸命ついてきていたのかもしれない。
 
 やがて近づいてくる校門。
 今日の風紀委員の当番は清水先輩だ。
 先輩はめざとく光音の姿を見つけると、
 
「おはよう、みっちゃ〜ん」

 と声をかける。
 しかし、その挨拶に答えるものはいなかった。
 今もステップ&ターンのフェイントに引っかかったばかりで、答える余裕などない。そもそも、その集中ぶりからすると声が聞こえたかどうかも怪しかった。
 ちらりと清水先輩の方を見ると……。
 
 固まっていた。
 
 挨拶の手を挙げたまま、微動だにしない。
 光音は挨拶はきちんと返すヤツだ。たぶん、清水先輩にとって光音がなんの反応も返さないのは初めての経験なんじゃないだろうか?
 それにしても固まるほどのショックだろうか?
 が、それも一時のこと。
 清水先輩は手をワキワキと動かしはじめた。
 どうやら今度は物理的接触を試みるつもりらしい。
 要は、捕まえようと言うわけだ。
 
「ふむ……」

 このまま捕まえられてしまっては困るが、この間のような大立ち回りもやっかいだ。身体が持たない。
 だから俺は一計を案じることにした。
 軽いフェイントを交えつつ、光音を一定の速度で校門まで誘導。
 光音は俺の脚の動きに集中して清水先輩の方を見てすらいない。
 そして、校門につく。
 
「みっちゃ〜ん」

 伸びる清水先輩の手。
 相変わらず俺のことは眼中にない動きだ。
 だが、今はそれが好都合。
 光音のみに集中しているから動きが読みやすく、何よりタイミングが計りやすい。
 
 俺は、一瞬を見極め足を早めた。
 光音もそれに反応して歩みを早くする。
 まさに計算通り。絶妙のタイミングで急に速度を増した光音は、清水先輩の手をすり抜けた。
 
「あ、あれ?」

 呆然と呟く清水先輩。
 声に気づかれず、自分の方を見てすらいないのに手すらかわされた。
 そのことに、だいぶショックを受けたようだった。それ以上追撃してこようと言う気配はなかった。
 ……ちょっとひどいことをしてしまっただろうか。
 
「ちょっとそこの子、髪染めてるでしょっ! 明日までに戻してこないとペンキよペンキ黒ペンキっ!」

 でも清水先輩は職務に忠実だった。……っていうか充分元気だ。心配することはなさそうだな。
 と。右手に急に重みがかかる。
 不思議に思い右を向くと、光音が右手にぶら下がっていた。
 無言で、ややむっとした感じの目で俺のことを見上げている。
 
「こら離れないか」
「やだ」

 いうと、ぎゅっと腕を抱く力を強める。
 どうやらからかいすぎてしまったらしい。
 まあ面倒だしこのまま前に行くか……そんなことを思っていると
 
「雅弘君、みんなの前でのろけるのもどうかと思うよ〜」
「うお橘っ!?」

 いつの間にやら現れた橘に驚く。

「じゃあね〜」

 言いつつ、橘は昇降口の方へと一瞬で歩いていった。動作は「歩き」なのに、そうとはとても思えない速度だった。
 しかしヤツにわざわざ指摘されるまでもなく、女の子に腕をとられているという状況は好ましくない。なにより周りの視線が痛い。そのなかのいくつかには、敵意が感じられるような気がした。
 ……サイレント・フェスティバルの影響だろうか?

「……みんな見てるぞ」

 ぼそっと言うと、光音はバッと離れた。
 速い。先ほどまで俺に翻弄されていたのが嘘だったと思えるほどの素早さだった。
 そして、白い頬が紅く染まるのもまた急速だった。もともと運動中ということでやや赤く染まっていたのだが、一瞬にして耳まで赤くなる様はまるで何かの化学反応をみるかのようだった。リトマス紙の染まりっぷりってあんな感じだったような。
 
「じゃ、じゃあ12時5分に中庭で……」

 ややギクシャクした動きで、それでも早歩きで光音は昇降口へと向かう。
 そんな動きの中でも腕時計を確認しつつ、「うん、大丈夫」なんてやりながら、光音は歩いていった。

「やれやれ」
「顔が緩んでるよ雅弘君」
「うおっ!?」

 いつのまにか近くにきていた橘の声に驚かされる。
 
「お、お前いま昇降口に向かわなかったか!?」
「チッチッチッ、雅弘くん……」

 意味ありげに人差し指を左右に橘。
 
「フェイントさっ!」
「フェイントかっ!?」

 なんだか納得いかないものを感じたが、相手にしても仕方ない気がしたので俺はそれで納得したことにして橘と共に昇降口へと向かうのだった。
 

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