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なんとなくつけたバラエティ番組が誰にも見られることなく笑い声を響かせる。それは、やけにうつろに響いていた。 もう日常になってしまった光音との食卓。 しかしそこにある空気はいつものそれではなかった。 いつかのように無茶なメニューというわけではない。ちゃんと栄養のバランスがとられた光音らしいラインナップだ。ただ、炒め物が多い。なんだか妙に火の通った野菜炒めに、いったいどんな感情をぶつけて料理していたのか考えてしまう。 でも、とにかく。料理自体は普通だった。 違うのは光音自身だった。今日の光音は特に無口だった。もともと口数は少ないヤツだったが、それでも料理の塩加減はどうだとか、このメニューはどうだとか、ぽつりぽつりと思い出したかのように聞いてきていた。別に言葉を交わしていなくても、たとえばしょうゆを使おうと手を伸ばせば先にショウユ差しを取ってくれたり、ハシを置いたらお茶を入れてくれたりとこちらの様子には気を使っていてくれた。 しかし、今日の光音は始終顔を伏せたまま。こっちの方を見ようともしていなかった。 無駄なく音すら立てずハシを運ぶさまは、それこそ精巧な機械のようだ。その表情は顔を伏せているためよくわからない。しかし、きっと俺のことを軽蔑しているのだろう。あの黒髪の下からにらみつけているのかもしれない。 まあ、考えてみれば……せっかく部屋の掃除をしてやろうというのにうっかり本を崩し、中を見てみたらそれがエロ本。しかもそれを見ているところを見つかり、あげくの果てに押し倒されてエッチ呼ばわり。そんなことがあっては誰だって怒るだろう。 ……なんか怒るとかそういう問題ですらないような気がしてきた。 まずい。あまりにもまずすぎる。 だいたい橘が悪い。俺だってあんなすごい本が手に入るとは思わなかったんだ。ただ橘に話を持ちかけられただけだ。モザイクが入ってないなんて夢にも思わなかったし、あんなすごい写真がてんこ盛りだなんて想像も出来なかった。初めて読んだときはそれはもう……。 コト 突然目の前に響く音に、いつのまにか下に向いていた顔を起こすと、そこには黒髪で表情の見えない幼なじみがいた。その手の先にはお茶。食事を終えた光音がお茶を入れてくれたのだった。 光音は顔を伏せたまま自分の席に戻ると、ゆっくりと席につく。光音の前には既に湯のみが湯気を立てている。 光音は静かにゆっくりと、音すらほとんど立てずにお茶を飲んでいる。でも、やっぱり顔は伏せたままだ。いったいどうやって飲んでいるのだろう? 黒髪に隠れていて、全ては謎だった。実は飲んでいないのかも知れない。 今日の光音は静かすぎて、話し掛けるきっかけすら見つからない。 とにかく、俺は残った料理を平らげるとお茶に口をつけた。 熱かった。 それで、いったん気持ちを落ち着ける。 考えなくてはいけないのは、いまのこのどうしようもない状況だけではない。先のコトだって考えなくちゃいけない。 昨日怪しいアクセサリショップで買った、赤いバンドの時計。サイレント・フェスティバル優勝への鍵(?)。 いつでも渡せるように、今も懐に忍ばせてあったりする。 だが……この空気の中どうやって渡せばいいのか? いつもなら、別に普段の感謝ということで渡せば良かった。ましてや今日は掃除までしてくれたのだ。光音は遠慮するかもしれないが、強く勧めれば受け取っただろう。もしかしたら喜んでくれたかもしれない。 しかし、今のこの空気ではだめだ。こんな空気で渡して受け取ってくれるかは微妙。ましてや明日からつけてくれるなんて夢のまた夢という感じだ。 なにか、なにか打開策があるはず。 ……とか考えているうちに光音は食器を片付け始めた。目の前に広がっていた食器が、テキパキと片付けられている。なんだか付け入る隙がない。 話しかけることができないまま、光音は台所に入り食器を洗い始めた。 思えば、なんで光音はこんなことまでしてくれるのだろう。 カチャカチャという食器の音にぼんやりと耳を傾けながら、とりとめも無く考えをめぐらす。 今の状況でやってくれるというのもかなりのものだ。しかし普段にしても、いくら母さんが頼んだからといってそこまでやってくれるものだろうか? 手伝おうと申し出たこともあったが、光音は頑固に一人でやると言い張った。 とくにイヤそうでもなかったし、むしろたのしそうですらあったので俺はずうずうしくも任せてしまうことにした。だが……。 「今はさすがに、イヤなんだろうな……」 ボソリ、と小さな声でつぶやいた。 その言葉は、やけに痛かった。 ・ ・ ・ 「今日は、送らなくていいから」 背だけ見せて玄関を出ようとする その後ろ姿からは、拒絶の意志しか感じられなかった。 それが……なんて言うか、たまらなかった。気がつくと俺の手は自然に伸びて、光音を強引に振り返らせていた。 顔を伏せ、黒髪に隠し見えなかった光音の顔。 その顔は……真っ赤だった。 「光音、おまえ……?」 ぷいっと顔を背ける光音。 その頬は、林檎のように真っ赤に染まっている。 「なんでそんなに顔真っ赤なんだ?」 「……知らない」 そして、光音はムッとこっちを睨んで 「雅弘のエッチ」 そう、言い切った。 言い切りやがった。 ……なんだかだんだんむかついてきた。たしかに光音はああいう本を見てショックを見たのかも知れないし、そのあとのことでむかついたのかも知れない。でも、よくよく考えれば秘蔵の本を見られた俺の方が被害者じゃないだろうか。こっちの方が悪いにしても、一方的に言われるのは納得いかない。 「男だからあーゆーの見るのは当たり前なんだよっ!」 「知らないっ」 俺の反駁に、光音は顔を背けて一言。 それが気に入らなくて、俺はさらに言い募る。 「男の部屋を掃除するんだからあーゆーのは見ても見なかったことに しとけっ」 「知らないっ」 「なんか座ってじっくり読んでたし、お前の方がよっぽどエッチじゃないか」 「知らないっ!」 光音は、俺の手を振り払うと、 「雅弘のエッチエッチエッチ!」 そう、まくし立てた。”エッチ”という言葉を連呼しながら、ぽかぽかと俺の胸を叩いてきた。 俺は……今度はむかつかなかった。そのさまがあまりにも子供じみていたからだ。なんだか拍子抜けしてしまった。 あのあと。光音は掃除の途中だったはずなのにそそくさと帰ってしまった。 食事中、ずっと顔を伏せていた。 今、強引に向かせたらその顔は真っ赤。 そして、あの本を見ていたことを指摘したら火のついたようにまくしたててきた。 だんだんわかってきた。こいつ、ひょっとして……恥ずかしがってるのか? ああゆう本を見ているところを俺という「男の子」に見つかったことを、ひどく恥ずかしがっているんだけ何じゃないだろうか? それはともかく、とにかく止めないといけない。”ポカポカ”の方は別に対したことはないのだが、”エッチ”の連呼はいくら何でも体裁が悪すぎる。 まず、光音の手を取って動きを止める。 そして、 「分かった。俺はエッチだ」 まじめな顔で言い切った。 光音は手を止め口を止め、呆然と俺を見る。 「男がエッチなのは人類の存続のためにとても大切なことなんだぞ」 「……もう」 光音は呆れたように息を吐く。その表情は苦笑。 「バカバカしくなった……」 ようやく落ち着いてくれたらしい。俺は光音の手を放した。 そこで、俺はようやく気づいた。 「そういや、まだちゃんと言ってなかったな」 「え?」 「夕方は……変なことになってごめんな。それと掃除。ありがとうな」 「……うん」 静かにゆっくりと、いつものように光音は頷く。 俺はあのときうやむやにしてしまい、あのことについて謝ることも、掃除してくれたことへの感謝もしなかった。結局、それが一番良くなかったのかも知れない。 「あ……」 突然、光音がしゃがみ込む。そして、俺の足下あたりに手を伸ばす。何事かと見てみると、そこには小さな白い箱が落ちている。あれは……光音に渡そうとしていた腕時計がおさまった箱だ。おそらく、さっきの”ポカポカ”の時に落ちたのだろう。 って、まずいじゃないか、こんなタイミングで見つかってどうするっ……! 光音は箱を拾い立ち上がると、不思議そうにそれを見ている。 「これ、なに?」 「いや、それはその……」 光音が見上げてくる。俺は思わず顔を背ける。 なんだか非常に気まずいと言うか照れ臭いというか……。 「……言えないものなの?」 「そういうわけでもないんだが……」 「もしかして……エッチなもの?」 「んなわけあるかっ!?」 思わず大声を上げてしまう。今回の一件はまあ解決したものの、光音の信用を失ってしまったような気もする。 とにかく、こうして見つかってしまったんだ。開き直ってしまおう。 「それは、おまえのだ」 「わたしの?」 「なんて言うか、最近いろいろ世話になってるだろう? 感謝の気持ちというかそーゆー類のものだ」 光音は首を傾げている。何がなんだかわからないと言う雰囲気だ。 「とりあえず、開けてみろ」 中を見せるのがてっとり早いと思って、そう促す。 光音はこわごわと、ゆっくりとその白い厚紙で出来た箱を開ける。 箱の中には、丸まっておさった赤いバンドの金色の腕時計。シンプルなデザインながらもしっかりとした造りの腕時計は、玄関の無機質な明かりの下でもその美しさを損なっていなかった。 それを見る光音は――なかば、呆然としていた。数秒そうしていると、光音はゆっくりと俺の方を見た。 「これ、なに?」 「見ての通り腕時計だ」 光音は箱の中に視線を戻し、しかしすぐに再び俺の方に向き直る。わずかに眉を寄せ、怪訝そうな表情だ。 「そうじゃなくて……なんなの?」 「だから、お前のだ。プレゼントだって」 「こ、こんな高そうなのもらえない……」 そう言って、俺の方に箱を押しつけてくる。 「大して高いものじゃない。気にするな」 「気にする。もらえない」 このリアクションは予想していた。だから掃除が終わったときにでも渡して無理なく受け取ってもらおうと(あるいは流れに任せて強引に受け取らせようと)思っていたんだが、いろいろな事が重なって今のような事態になってしまった。しかし、ここで引くわけには行かない。大して高くはないと光音には言ったものの、やっぱり五千円が丸損になってしまうのはあまりにも痛すぎる。 今さら後には退くなんてことはできないのだ。 「お前に似合うと思って買ったんだから、もらっとけ」 光音に箱を押し返す。光音はどこかキョトン、としていた。 そして、箱の中の時計をじっと見つめる。 ややあって、 「つけてみても、いい?」 こわごわと、そんなことを聞いてきた。まるでそれが本当に許されることなのか――そんなことを聞くようなさまだった。 「お前にやったんだから、いいに決まってる」 光音はうん、と頷き、左手に時計をつけた。白い肌の上、その赤いバンドと金色の文字盤は浮き立つような美しさだった。 しかし、それより……。 「うわぁ……」 いつもはわずかな表情しか見せない光音の笑顔が俺の目を捉えて放さなかった。 こいつがこんなになんの影もない、こんな明るい笑顔をうかべるのは初めて見た。 本当に嬉しそうな笑み。いつもは黒と白の、モノトーンの中にいる光音。最近は頬を赤くしたりすることもあるが、今ほど表情に色彩があると感じるのは初めてだった。 「ありがとう」 その笑顔でもって、光音は礼を言った。 胸が、ズキリと痛む。この笑顔は、俺に向けてくれたものだ。しかしその笑顔の源である腕時計は、光音に向けたものではなく、サイレント・フェスティバルという馬鹿げた祭りの優勝のためのものなのだ。 光音の喜ぶさまを前に、俺は複雑な思いを抱いているのだった。 | ||
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