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四日目
(3)
街灯の下で



「明日、どうする?」

 夕食を終え、光音を家に送る道すがら。
 光音は、そんなことを聞いてきた。
 
「明日って……」
「朝」

 相変わらずの光音の短い言葉。
 そう、明日は土曜日で学校は休みだ。ようやく休みである。今週はいろいろあったので、特に嬉しいように思えた。

「まあ、のんびりしようかと」

 橘との待ち合わせは昼過ぎからだった。
 それまではゆっくり寝ていようかと思った。特に最近の朝は衝撃的すぎた。

「……何時に起こせばいい?」

 明日は橘と街に買い物に行く予定だ。だから、あまり遅くならないほうが都合がいい。10時ぐらいが適当だろうか……。
 と、そこまで考えたところではたと気づく。
 
「お前、休みの日までわざわざ起こしに来るつもりなのか?」

 その問いに、背の低い幼なじみはただ不思議そうに俺の事を見上げた。
 そのさまは「なんでそんなことを聞くの?」と無言で語っていた。
 
「いくらなんでもそこまでしてくれなくていいって」
「でも、朝ご飯……」
「毎朝つくるの大変だろう? 朝飯代出してくれりゃ、自分でどうにかするよ」

 俺の答えに、光音はわずかに口をへの字に曲げる。
 どうも、不満らしい。なにか拗ねているようにも思える。
 光音はその口を開き、

「ダメ。ムダづかいする」
 
 と、一言。
 ……なんだか母親に小遣いをせびっているガキのような気分になってきた。
 
「だったらいいや。別に一食抜いても死にはしないし」

 なんとなく意地になってそんなことを返してみる。
 ……なんだか言葉を重ねる毎に自分がどんどん子供になってしまっているような気がした。

「三食ちゃんと食べないと、ダメ」
「大丈夫だって……」
「ちゃんと食べないと大きくなれない」

 光音の一言に、俺は一時言葉を失ってしまった。
 静かなおとなしい光音の声は、いつもどおり俺の耳よりずっと低い場所から聞こえるのだ。
 その事実に、胸の内でひっそりと涙する。
 
「ああ、そうだな……ちゃんと食べなきゃな……」

 辛うじて言葉を絞り出す。
 何と言っていいかわからない。
 光音は、いぶかしげに見上げている。それをごまかすように、俺はその頭の上に手を置く。
 いつもの荒っぽい動きではなく、優しく慈しむようになでる。だが手に伝わる髪の感触は、その動きよりずっと優しかった。その感触に癒されるような感覚を抱く。
 
「大丈夫……きっといつか大きくなれるさ」

 俺は、最大限の優しさを込めて言った。
 しかし光音は俺の手をはじくことでその一言をはね除ける。
 光音には珍しい苛烈なリアクションだった。
 光音は人差し指でビッと俺を指さすと、
 
「絶食」

 そう、ひとこと。
 ひとことだけ、言った。
 
「それはつまり……」
「餓死」

 光音の間髪入れぬ、とんでもない一言に二の句を継げなくなる。
 そのまま背の低い幼なじみは俺を見上げ、睨んでいる。
 その視線は強い。
 かなり怒ってるようだ。
 
「すまん……配慮が足りなかったよ……」

 俺のわびの一言に、光音は視線をわずかに弱める。
 
「お前が成長しないことを気に病んでるのは胸だけだと思ったんだが……背のこともそんなに気にしてたんだな」
「今から水も飲んじゃダメっ!!」

 珍しく大声を上げる光音。
 俺は苦笑で答える。
 
「無茶言うな」
「無茶じゃない」
「できるわけないだろっ」
「頑張って」
「お前はっ……! 俺がそんなことする必要はないんだよ」

 光音がいぶかしく俺を見上げる。
 どうやら、ようやく気づいたらしい。
 いつもと違って俺の態度に余裕があることに。
 俺は余裕たっぷりに言ってやった。

「明日は週末だから父さんと母さん、一度帰ってくるんだ」

 そうなのだ。
 ここのところバタバタして曜日感覚が狂っていたが、両親は週末に帰ってくる予定なのだ。急な単身赴任でとるものもとりあえず出発したため、まだ整理すべき事がある。それに、もともと母さんだけは週に一度は帰ってくることになっていた。
 
「母さんが帰ってきたら交渉する。それでお前はお役ご免だ」

 考えてみれば、それで済むことなのだ。わざわざサイレント・フェスティバルで苦労するまでもなかったのだ。
 なぜ今まで気づかなかったのだろう。気づく以前に、考えもしなかった。光音が当たり前のように飯を作ってくれたためだろうか? だとしたら、俺も随分と図々しいものだ。
 
「……そうするの?」
「まあ、そうするかな」

 視線を逸らして呟く光音は、先ほどの睨みが嘘のように弱々しく見えた。
 そのさまに、なぜだかひどく胸が痛んだ。
 
「おばさまは、いつ帰ってくるの?」
「明日の夕方」
「じゃあ、明日の朝と昼はどうするの?」
「お前が作ってくれないって言うんなら、ガマンするさ」
「二食も、ガマンできるの?」
「おまえ俺をなんだと思っ……」

 そこで、俺は言葉を止めた。
 俺を見つめる光音の瞳が、潤んでいるような気がしたからだ。
 街灯の蛍光灯が、わずかに瞬いているせいだろうか。
 
「本当に、ガマンできるの?」
「当たり前だろ」

 いつもと変わらないはずの光音の声が、ひどく寂しい響きを含んでいるように見えた。
 きっと辺りが静かだから、そんな風に聞こえるんだろう。
 
「本当に?」
「しつこいな」
 
 光音の肌はもともと抜けるように白かった。しかし今はそれがどこか儚く思えるほどに白く見えた。
 多分、電柱についた街灯が蛍光灯なせいだろう。

「本当に?」
 
 背の低い光音が、いつもよりずっと小さく感じられて、俺はぎょっとなった。そのまま消えてしまいそうな儚さを感じたのだ。
 慌てて目をこする。
 そこにはいつもと変わらない光音の姿。思わずホッとする。
 
「すいませんガマンできそうにありません」

 俺の口は、自然にそんな言葉を発していた。
 ってちょっと待て。あわてて言いつくろおうとすると、
 
 クスリ
 
 光音が微笑んだ。
 どこか寂しい、でも確かに幸せそうな微笑に何も言えなくなる。

「それじゃ、つくったげる」
「……ありがとう」

 何となく釈然としないものを感じながら、それでも今まで作ってもらった礼もあり、俺はそんな言葉を出していた。会話の流れからして仕方ないだろう……そう、俺は自分を納得させた。

「さっきの事も……謝ってくれる?」
「俺が全面的に悪かった。すまなかった」

 意外なほど素直に出る、謝罪の言葉。
 俺はこんなに情けない男だったのだろうか? ちょっとショックだった。

「じゃ……また明日」

 いつの間にか光音の家の前まで来ていた。
 光音はその一言を残し、家の中へ消えた。
 
「あ……」
 
 手を伸ばす。
 遅すぎる。届くわけがない。
 そもそも何で手を伸ばす必要があるのだろうか?
 自答する。だが、答は出ない。それよりむしろ、出したくない……そんなことを考えている。
 なにかモヤモヤするものを感じながら、俺は家路につく。
 
「また明日、か……」

 なぜかその一言が、とても大切なもののように思えた。
 
 
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