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三日目
(3)
こまった食卓



 トントンと、台所から音が響く。
 いつもはどこか暖かく、そしてホッとするその音。しかし今日はその音の中に、どこか恐ろしげな響きを感じずにはいられなかった。
 
 あの演劇部部室での一件の後。
 いなくなってしまった光音を探したものの、学校にはいないことがわかっただけだった。直接家を訪ねても不在。どうしたものかと家に帰ると、ほどなくして光音がやってきた。
 
「夕飯、つくる」

 ぶっきらぼうに冷たく言う光音に、俺は何も言えなかった。
 しゃべり方自体はいつもと変わらないものだったが、普段にない冷たさを言葉の中に感じたからだ。
 
 結局俺は部屋に戻るのも具合が悪い気がして、こうして居間で光音の料理を待っている。テレビではニュースやらなにやらがなんとなく流れていたが、ちっとも頭に入ってこなかった。
 考えているのは、あの演劇部部室での一件だった。
 
 結局、あれは橘の仕組んだことだった。
 
 いや、厳密に言うと橘一人が仕組んだことではなく、サイレント・フェスティバル参加者複数が協力して催した「イベント」だったのだ。
 「コスプレ写真で地味な女の子の注目度をアップさせる」……主旨はそんなことだったらしい。あの岡名部長も裏で協力していたとのことだ。衣装というのも全てが裏山から”発掘”されたものではなく、一部は意図的に加えられたもののようだ。
 高校生にしては随分と背が低い光音にピッタリのメイド服が過去の演劇部の衣装として偶然ある……できすぎだ。あらかじめ用意されていたものだったのだ。
 岡名部長が写真撮影しようと言い出したのも台本通り。結局光音は途中から抜けてしまったものの、橘は何枚も写真録りすることに成功したらしい。
 ちなみに、あの時光音に”ご主人様”なんてことを言わせたのも、俺が光音を撮影前に逃がそうとしたことを察知したからだと言うから恐れ入る。

 写真は、サイレント・フェスティバルで用意された光音の紹介ページに公開するのだと言う。
 
「本人に許可なくそういうことしていいのかよ?」
「何を言ってるんだい雅弘君? メイド服を着た時点で川波光音は川波光音ではない……我々の作り上げたキャラクターだ。だから公開は自由だ」
「そんな理屈っ……!」
「そう。これは理屈ではなく屁理屈だ。しかし、仕方あるまい」
「仕方ないって……」
「君はわかっていたはずだよ」
「!」
「サイレント・フェスティバルの投票対象は、事情を知った上で積極的に協力してくれる場合もある。しかし、大半はそうではない。もともと秘密に進行させるのが前提のミスコンだ。本人に知られず写真を撮り、公開することも多い。もちろんそれでは危険な方向に行きがちだから、公開できる写真は公序良俗に反しないように厳しく規制されているがね……」
「………」
「……君は、川波光音を選んだ。君と彼女は幼なじみの関係だ。だから、わかっていただろう? 事情を話して協力できるような娘ではないことを。むしろこうしたことを忌避するタイプの人間だ。そうなればこうなることは当たり前、必然と言ってしまってもいい」
「俺はっ……」
「知らなかった、と? ……考える時間は一日与えた。サイレント・フェスティバルのホームページも見たはずだ。あそこでの最も有効なアピールが写真公開というのも理解できたはずだ。まさか黙っていても川波光音が一位をとれると思っていたわけでもあるまい」
「ぐっ……」
「いいか? 君が選んだんだ。僕ももうそのために動き始めてもいる。いまさらつまらない偽善を振りかざして止まるなんて事、僕は許さないよ」

 俺は、何も言えなかった。
 確かにしばらく疎遠になっていたとは言え、光音のことはよく知っていた。ミスコンなんて舞台に向かないことは、誰よりもよくわかっていたはずだ。
 では、なぜ。
 俺は、光音を選んでしまったのだろうか。
 
「ごはん」

 気がつくと、光音の顔が目の前にあった。
 人形のように整った顔の造り。しかし、ふっくらした頬が不思議と冷たさではなく柔らかな印象を持たせる。ほっそりとした眉に、長いまつげ。静かな水面のような深い光をたたえた黒瞳。すっきりとした鼻梁。ぷっくりした小さな唇。清流を思わせる、さらさらとした黒髪。
 素直に――綺麗だと、思った。
 俺は、しばし言葉を失った。
 
 なぜ、光音を選んだのか。それは……。
 
「用意が出来ました、ご主人様」

 光音の言葉に、俺は思考は止まった。
 いま、光音はなんと言ったのだろうか?
 
「み、光音……?」

 俺の気の抜けた声に答えず、光音は食卓を挟んで反対側の席に着く。
 
「食事を始めましょう、ご主人様」

 光音はそう言った。いつものように表情に乏しい顔。しかし、普段にはない冷たさを感じた。
 と言うか、明確に怒ってる。はっきりと根に持ってる。
 ここは素直にしたがった方がいいだろう。
 しかたないな、と食卓に目を向ける。
 今日のメニューは、ごはんにみそ汁を基本とし、豚の冷しゃぶがメインディッシュだった。暑い中、さっぱりと食べることが出来そうな品目だった。
 それが、光音のメニュー。
 しかし、俺のものは……。
 
「光音……?」
「何か?」
「これは、何だ……?」
「説明しないとわかりませんか、ご主人様?」

 確かに、目の前に置かれたものは説明など不要だった。一目瞭然だ。しかし、説明が必要なほど不自然なものでもあった。
 
「ごはんと、キャベツに見えるんだが」

 俺の目の前にあるのは、お茶碗に盛られたご飯と、皿の上に無造作に置かれたキャベツの四つ切り。それだけだった。夕食と呼ぶにはあまりにも不自然で奇妙な取り合わせだっった。

「これだけなのか?」
「何かご不満がおありですかご主人様」

 いつも表情に乏しい瞳は、冷たい光をたたえていた。有無を言わせぬ絶対的な冷たさ。俺は、後ろめたさも手伝ってなにも言い返せなかった。
 それで済んだと思ったのか。光音は黙々と食事をはじめた。
 昨晩のごはんとたくわんだけというメニューもすごかった。でも、昨晩は光音も同じ物を食べたのだ。今日はあからさまな差だ。怒りが深いことがうかがえる。
 ……こうなっては仕方ない。喰ってやろう。それで光音の気が済むというのなら喰ってやる。とりあえずマヨネーズでも取りに行こうと立ち上がる。

「どうかしましたか? ご主人様」
「いや、マヨネーズを……」
「わたしの味付けになにかご不満が? ご主人様」
「味付けって……」
「ご不満があるのですか? ご主人様」

 ひどくひどく冷たい言葉だった。光音の言葉はいつも感情にかけるところがあるもののどこかしら暖かみがあった。しかし今はただただ冷たさしか感じられなかった。
 キャベツは、本当にただ四つ切りにされただけで味付けなどかけらもつけられていそうにない。
 
 俺はカッとなった。

 この理不尽なメニューも、それに文句が言えない状況も、サイレント・フェスティバルの事も――俺が、光音を泣かせてしまったことも!
 何もかもにカッとなった。
 俺はむりやりキャベツをご飯でかっこんだ。キャベツの青臭さが際だち、吐き気を感じたが、無理矢理に押し込む。勢いが衰えればそのまま食べること自体止まってしまいそうで、そうならないようにただただ勢いに任せて口の中に押し込み、腹の中へと呑み込んでいく。
 ほどなくして、
 
「ぜんぶ食べた……」

 光音の呆れたような声。その言葉どおり、俺はごはん一粒、キャベツひとかけ残さず平らげていた。
 
「ごっそさん」

 ガンッ!
 
 茶碗を乱暴に置き、俺は席を立つ。光音がビクリと震える。そのさまに、俺は思わず舌打ちする。そんなつもりはなかったのに。
 俺は、居間を出るとき、
 
「すまなかったな」

 そう、一言残した。
 言ってから、卑怯だと思った。一方的な謝罪。それは、自己満足に過ぎないように思える。第一、俺は全てについて謝ってはいない。
 
 部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。
 何の気なしに、サイレント・フェスティバルのホームページを見てみた。
 光音のランクは急速に伸び、早くも中堅クラスまで上がっていた。
 コメントを見ると
 

 メイド降臨っ!
 すげえ正統派だ
 ちょっと待てこんな娘いたかっ!?
 俺は信じていた。彼女がメイドであるとっ!
 メイドっ!
 メイドメイドっ!!
 メイドメイドメイドメイドっ!!!


 
「……バカばっかりだな……」

 リンクを辿り、光音の紹介ページを見る。橘の撮ったという光音の写真。白と黒のメイド服に身を包んだ光音。瞳を潤ませたその姿は、確かに事情を知らないものが見れば清楚可憐な理想の女の子と言えるかも知れなかった。
 でも、こいつは不安で泣きそうになっていたのだ。俺に拒絶されて泣き出したのだ。俺は……。

「何も、しなかった……」

 椅子に背をあずけ、天井を眺める。
 なんだかだんだん、考えるのが面倒になってきた。
 だいたい光音は気分次第で俺の食事を増減させるようなヤツなのだ。今だって現におかずがキャベツだった。いくらなんだってアレはないだろう。確かに俺だって悪かったが、だからといってあんな仕打ちはあんまりである。
 そもそも、俺がサイレント・フェスティバルに参加しようと考えたのも光音に食を握られている現状がイヤだったからだ。
 
「なんで光音のことなんか気にしなくちゃいけないんだよ……」

 そうだ。気にせず進めればいいのだ。どうせあんなヤツっ……。
 
 コンコン。
 
 ノックの音に、思考が中断される。
 今、俺の部屋の扉をノックするのは一人しかいない。
 
「光音……?」
「あ、開けないで……」

 弱々しい声だった。
 
「橘君から電話あった……」
「?」
「わたしが帰ってから、雅弘がわたしを探してくれたって」

 あいつ、わざわざ電話なんてしたのか。
 ぼうっとしてたせいか、気がつかなかった。
 
「意地になっちゃってごめんなさい……」
「な、なに言ってんだっ……!」

 思わず椅子から立ち上がる。
 続いて、コトンという音。
 
「ちゃんとしたごはん。ここ、置いておくから」

 慌てて扉を開けると、光音の姿はなかった。階段を駆け下りる音が残るのみだった。ほどなくして、玄関からドアを閉める音――光音が立ち去る音が聞こえた。
 
「なに言ってるんだ、あのバカは……」

 あいつが謝らなくてははならないことなんて、何一つないというのに。
 見下ろすと、お盆に載った食事。ごはんとみそ汁、それに豚の冷しゃぶ。添え物に漬物。光音の食べていたメニューだ。
 まだ30分と経っていない。作り直したというわけではないだろう。

 はじめから、作っていたのだ。

 怒っていたのは事実で、光音はあんな形で抗議をした。でも本当は俺が一言謝りでもすればすぐに用意するつもりだったのかもしれない。
 
「まったくあいつはっ……」

 俺の食費の入った封筒を、まるで自分がここにいることの証明書のように突きつけて。
 ただの合い鍵を、まるで大切な宝物のように大事にして。
 昨日の晩の質素なメニュー。俺だけそうすればいいのに、あいつは自分もそれでガマンして。

「本当に、あいつはっ……!」

 ひどく似合っていたメイド服。
 恥ずかしさのあまり泣きそうになって。突き放したら、本当に泣き出して。
 それで、拗ねて。
 拗ねていじわるして、でも本当にひどいことなんて、あいつにはできなくて。

「なんてかわいいヤツなんだっ……!!」

 ……え?
 ちょっと待て何でそんな結論になるっ!?
 そういう問題ではなかったはずだ。そんなことを考えてはいなかったはずだっ! それが、なんでこんな結論に至るっ!?
 
「俺はどうかしてしまったのか……?」

 落下するように、椅子につく。
 ふと目にはいるのはパソコンのモニター。
 そのなかの、光音に対する投票者のコメント。
 

 かわいい娘じゃないですか!
 え〜とあの、なんでこんなにかわいいのですか?
 ぷりちー

 
「あいつは、かわいいのか?」

 もしそれが事実なら、俺が突然あいつのことをかわいいとおもってしまったことも不自然ではない。
 サイレント・フェスティバルで優勝するぐらい光音がかわいいのなら……俺がこんなことを考えてしまうのを当たり前ということになる。
 光明が見えた気がした。
 どうもそれは光じゃないものを光だと思いこんで闇の奥底へ向かうような予感をはらんでいたが。
 なにか出来そうな気がした。
 こういうときはなにもしないほうがなんだかんだでベストだという経験則が囁いたような気もしたが。
 迷うより、あがく。何も出来ないことより、何もしないことの方が罪深いと思う。
 つい夕方ムダにあがいたことによっていろんな意味で失敗したような気もしたが。
 
「光音を、サイレント・フェスティバルで優勝させるっ!」

 俺は、決意を固めていた。
 どうも、何か……。
 自分でも自覚している。でも、止めることが出来そうにない。
 俺は、どうやら暴走してしまっているようだった。



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