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紅の隻眼

第六章



 ここのところ、暇だった。
 ラハムは”震式”とやらの研究に没頭してしまい、研究室に籠もってしまった。フィーもその手伝いとかで一緒に研究室に詰めている。
 それから、もう四日も経つ
 そうなると、本当に暇だった。
 雇用期間中にある冒険者を遊ばせておくとは随分と無駄なことだ。予定では、そろそろゴーレムだけではなく装備品のテストも本格的に行うはずだった。今でも魔力強化された鎧を使用しているが、それに加え剣、盾、そして戦闘用の「擬腕」までテストするとのことだった。……まあ、元に戻すとは言っていものの自分の腕を切り落とすのはさすがに抵抗を感じて断ろうと思っていたが。
 そう言う意味では、この暇な時間はちょうど良かったとも言える。
 むろん、暇な時間をただ無為に過ごしているわけではない。剣の修行は毎日行っている。実力をつけるには実戦が何よりだが、身につけた力を熟成させるにはやはりじっくりと訓練する時間が必要だ。
 ただ、いつテストが行われるかわからないため、そう本格的にやることができないのが難点と言えば難点だった。せいぜい、身体がなまらない程度の反復練習。そんな中でも、俺がこの一月の間力を増していたことを実感することができた。
 剣を振る手応え一つが、ここに来る前とは確実に違う。
 振り抜いた剣に確かな手応えを感じ……。
 そして、振り向いた。
 目の前には高い城壁がそびえる。こちらに向かい長い影を伸ばしている。そこには、何者もいない。だが、確かに何かの気配があった。ゴーレムとの戦闘テストの時にも何度か感じた気配だ。偵察用ゴーレム”インフォーマー”の気配かと思われた。しかしテスト中ではない今、しかも研究に没頭している老魔導師がそんなものを飛ばしているとも思えない。
 首を傾げつつ、しかし気にしても仕方ないと、城の中に戻ることにする。入り口の方に向き、ふと視界の隅が気になり見上げると、城の張り出しの上に小さな人影が見えた。
 俺は階段を上り、城の張り出しへと向かう。
 そこにいたのは、案の定フィーだった。
 張り出しの端、中と外とを隔てる柵状の石壁の上に、膝を抱き背を丸めるように座っている。床まで着くほどに伸びたその黒髪は無造作に散らばり、夕日の赤と、その生み出す影の黒に染まるにまかされていた。
 その場を満たす音はオルゴールの音。あの、この間渡した鎮魂歌のオルゴールだ。
「よお、フィー」
 いつものように声をかける。振り向き、微笑むことで応えるフィー。その表情には、珍しく疲れの色が見えた。
「何してるんだ?」
 言いつつ、フィーの隣に並ぶ。高い石壁の上に腰掛けているため、小柄なフィーの目線は俺のそれと同じ高さとなる。
「んー……」
 返答に窮するように、うめくような声を上げるフィー。いつもなら無意味に無闇に元気に返事を返すはずなのだが。すこし、調子が狂う。
「ねえ、ラングス……」
「なんだ?」
「夕日って、どこに落ちるのかな?」
その問いに、俺はしばし迷い……しかし、もとより答が一つしかないことに気づき、答える。
「……世界の果てだ」
 一般にはそう、言われている。どこかにある、陽が落ちる場所と、陽が昇る場所。それ以上先のない、果ての果て。どんな魔法を使っても到達できない、存在するかもわからないすべての冒険者の……最大の目的地。
「行ってみたいなあ……」
 ため息混じり、消え入りそうな声でフィーは呟く。
「おいおい、どうしたんだ?」
 あまりに妙な様子のフィーに、思わず声をかける。その問いに、突然フィーは俺の顔を覗き込む。こぼれそうなほど大きな瞳。黒く澄んだ瞳が、夕日に染まり宝石のように赤く輝いている。いつも自分の目線より下にある瞳が、同じ高さにあり、少し前に出れば触れられてしまうほど近くにあり、そして今までになく真剣な色を帯びて、俺を見つめていた。
「”竜騎士の闘い”には続きがあるんだよ」
 唐突に、フィーは大事にしていた本の話をはじめた。
「”竜騎士の旅”って本があってね。竜を倒してお姫様を助けた騎士様は、旅に出るの。お姫様をおいて」
「……フィー?」
「お姫様は、騎士様を追いかけるの。そして、最後は二人で世界の果てにたどり着くんだよ」
 そこでフィーは一息ついた。そして、石壁の上に勢いよく立ち上がる。急激な動きに、長く散らばる髪が風を巻き、ふわりと舞う。
 石壁の上に立つ少女の身体は、夕日の紅を背景に、ただ黒く染まる。広がる長い髪と、そして立ち上がり俺より高くなったフィーの影に、押しつぶされるような錯覚を覚える。
 同時に、オルゴールの音が止まった。静寂が、影の黒さをより深く見せる。
 フィーは再び語り始める。ただ、ひたむきに。まるで何かに追い立てられるような切迫感をもって。
「でも、そこで終わりじゃないの。陽が落ちる場所を見て、二人は空がもっともっと遠くまで続いているのを知るの。世界がもっともっともっと広いことを知るの。

 この空は、どこまで続いているんだろう?

 この空の向こうに、どんな場所があるんだろう?

 わたしはそれを見るために、旅を続けるのだ

 わたしはそれを知るために……旅を、続けるのだ……」

 そして、フィーはその顔を空へと向ける。
 もう陽がすっかり落ちて、赤から紫、そして夜の闇に押しつぶされようとする、空。
 そこを、その先を、指さす。
「連れてってよ」
 にこりと微笑み、フィーはただそう言った。
 いつもの笑み。いつもの明るい、無邪気な微笑みだ。
 でも、その時は。
 それが、あまりにひたむきに見えて。
 それが、息が詰まりそうなほどせつなくて感じられて。
 それがとても……とても、哀しく思えて。
「なんだお前、お姫様のつもりか」
 俺は、そうおどけていることで、ごまかしていた。
 その言葉に、フィーは笑顔のままだ。だがその瞳は潤み、まるで声を出さずに泣いているように……。
「そう。ラングスは騎士様」
 しかしフィーは、ぺろりと舌を出し、楽しげに応えたのだった。それは、いつものフィーの顔だ。それだけで、いつもの空気になった。
「俺は騎士なんて柄じゃないな」
「強いからいいんだよ」
「そういうもんでもないだろう。だいたいお前がお姫様って言うのが一番変だ」
「この本のお姫様、”フィーデリア”って言うんだよ。だからフィーはお姫様なのっ」
 言うと、くるりと回る。
「お姫様っ、お姫様っ」
 石壁の上で、踊る。手で、足で。身体全体で円を描く。動きにまかれ、長い髪がふわりと舞う。まとわりつくように舞う髪は、しかしフィーの身体に触れることなく、大きな円を描く。
 こんな石壁の上で踊るなど、普通なら危なくてしかたない。だがフィーなら、例え足を滑らせたとしても『髪』を命綱にして落ちることを防ぐだろう。
 だから、心配することなくフィーの楽しげな様を見ていた。
 だからだろうか。
「旅をするのはいいかもな」
 そんなことを口に出していた。
「え?」
 ぴたりと回ることをやめるフィー。髪はその変化に遅れ、ゆるやかに円の動きを舞う。
「お前がいれば料理の手間が減るからな。それに強いから……」
 安心して背中を任せられる。
 そのあとは、そう続くはずだった。しかし、何故か気恥ずかしく感じてしまい、口に出せない。
「強いから……?」
「……俺が楽をできる」
「えーっ?」
「魔物が出たら全部任せる。重いものも全部持たせる。俺は楽をする」
「そんなのお姫様じゃないよー」
「俺は騎士じゃないからいいんだ」
「ずるいーっ」
 そして、二人して笑う。
 他愛のない冗談だ。俺はあと一月もしないうちにこの城を去る。フィーは、老魔導師の手伝いを続けるだろう。ただの、冗談。あの童話ほど荒唐無稽ではないが……実現しない、本当にくだらない……冗談だ。
「あ、オルゴール止まっちゃってる」
 今さら気づいたように、フィーはオルゴールを覗き込んだ。そして、早速ネジを巻きはじめる。
 再び、静かで穏やかで、哀しい……哀しい、メロディが流れる。
「……気に入ったか?」
「うん。すごく綺麗な音……」
 金属の爪によって弾かれる、もの悲しい鎮魂歌。死者を慰める歌。生きるものが死せるものへと送る、別離の歌。
 太陽と別れを告げる、今に相応しい歌かも知れない。
「それじゃ、そろそろマスターのところに戻るね」
 オルゴールの蓋を閉める。音楽は消え、再び場を静寂が支配する。
 静まりかえった空気の中、フィ−は石壁の上から床へと軽く飛び降りる。降り立つ小さな音が響き、それに元気な駆け足の音が連なる。
「じゃあね」
 声だけ残し、振り向きもせず城への入り口へ駆ける。
 明かりのない城の中は真っ暗で……長く黒い髪を背負ったフィーは、その闇の中に溶け込むように消えた。
「あ……」
 その様に、それは思わず手を伸ばしていた。

 本当に、そのまま消えてしまいそうに思えて。
 陽はもう落ち、急速に暗くなる城の張り出しの上で。俺は、そんな思いにとらわれていた。



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