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紅の隻眼 | ||
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第五章 | 「今日のテストは、中止か」 「そうだ」 薄暗い、地下の一室。壁面にそって置かれた本棚には一杯の魔導書。そして部屋の各所に配置された机の上には奇妙な形の、おそらく魔法の実験用具である品々が並んでいる。 急に呼び出された老魔導師ラハムの実験室の一つで、俺は予定されていたテストがなくなったことを告げられていた。 「研究熱心なあんたにしては珍しいな。まあ、たまには休むのもいいさ」 老魔導師はテストのない日もその準備に追われている。それが一ヶ月も続いているのだ。休むのも当たり前だ。 「違う」 しかし、返ってきたのは否定の一言。相変わらず簡潔な回答だった。 「これを見ていろ」 そして指した先には、机の上に置かれた一枚の羊皮紙があった。その表面には魔法陣らしきものが描かれていた。 手のひら大の、二重の円。内側の円の中には何も描かれておらず、外側の円と内側の円の間にはびっしりと複雑な記号が描かれていた。 老魔導師は、手に木製のハンマーを持つと、その魔法陣の中央、何も書かれていない円の内側を叩いた。 響いた音は、羊皮紙を叩いた音でも机を叩いた音でもない。 何か重く濁って、それでいてひどく胸に響く音。今まで聞いたことのない、『この世あらざる』……そう感じさせる、不思議な響きだった。 変化は速やかに現れた。 その魔法陣を中心に、空間が歪んで見えた。 歪んだ空間の色は、名状しがたいものだった。紫と蒼と、そして紅が混じったような、しかしどれも混ざっておらず、その存在を主張しているような……先ほどの音と同じく、言葉にしがたい不気味な色だった。 その変化も一瞬でおわり、後には白紙となった羊皮紙のみが残っていた。 「……今のは?」 「震動起動式魔法陣……俗に『震式』と呼ばれる魔法陣だ」 「……『震式』? で、これはいったい何の役に立つんだ」 「見ての通りあの魔法陣は”叩く”などの行為によって生じる震動によって発動する。その効果は、『空間法則の置き換え』だ」 「置き換え?」 「そう。一定空間を任意の法則を持った別次元の空間とすることができる」 「?」 「たとえば、あの魔法陣を”極端に魔力増幅率の高い”法則を持った空間に書き換えれば、少ない魔力で強力な魔法を使うことができる」 老魔導師の言葉はあいかわらず簡潔で、そして相手の理解を確認しない、マイペースなものだった。仕方なく俺は自分なりに、わかった範囲で解釈する。 「要するに、魔力強化の魔法陣ってことか」 「しかし欠点がある」 「?」 「空間を置き換えた後、その中で魔法を発現しなければ意味がない。しかし、魔法陣が機能してから、置き換えられた空間に新たに魔法陣を送り込むことはできない」 「どういうことだ?」 「今のままでは何の役にも立たないということだ。だから今日はその解決法に当てる。場合によってはしばらく実戦テストは行わないかも知れない」 「そう、か……」 よくわからなかったが、なんにしてもしばらく暇になるらしい。 ・ ・ ・ 俺は、城の張り出しで荷物を広げていた。 いつも持ち歩いている、冒険用の装備品だ。虫干しもかねて、たまにこうして整理を行う。状況によっては命を繋ぐものだ。メンテナンスは欠かせない。 天気のいい昼下がり、わずかに吹く風さわやかだった。 ふと、後ろからの足音に気づく。 軽く、そして不規則で乱暴な歩み。歩くことにまだ慣れず、そして歩くこと自体をどこか楽しんでいるような足音は、思った通りフィーだった。 戦闘時の動作はやたらと鋭いくせに、こういうところは外見相応の子供だ。 両手には、その小柄さに不釣り合いなほど大きなかごをがおさまっていた。そのかごを占めるのはねじられた布−−−どうやら、洗濯物らしい。 「こんちはー」 どこか抜けた挨拶を、あくまで元気な声でする。俺は手を振って応えた。 「洗濯物干すけど、いい?」 小首を傾げて聞く。その動作にあわせて、涼やかに黒髪が流れる。 「ああ、かまわんけど、俺の荷物はいじるなよ?」 「うん」 言うが早いか。 風が、鳴った。 そして、城は着飾られた。 白や紺や、黒や青。その多くは、ベッドのシーツやテーブルクロスと言った面積の広いもので、所々に衣服などの小さいもの。それらが整然と並び、古びた城を着飾る。 歴史ある荘厳な雰囲気を持った城は、一転してひどく所帯じみた外観となった。 フィーの方を見る。いつの間にか髪は足下の長さまで伸び一度床に着き………そして、ずっと先まで伸びている。一瞬にして空を洗濯物で埋めるなんてことを、こいつは自分の髪でやってのけたらしい。目を凝らすと、柱や建物の各所の出っ張りに糸のようなものが見える。フィーの髪だろう。 それにしても、いくら便利と言っても自分の髪の毛を洗濯紐代わりにするとは。 洗濯をしているのは知っていたし、その様を見たことはあった。しかし、こんなやり方は初めて見た。 「今日は、いい天気だから。……月に一度の大洗濯の日なの」 俺の疑問に気がついたように、フィーは答えた。 この城で現在生活しているのは三人。日々の生活の中で出る洗濯物などたかが知れている。だから今干しているものの大半は、普段は使用していない、城の前の持ち主が残したものだろう。 古びているわりに城が荒廃していなかったのは、フィーの掃除と洗濯のたまものだったのか。それにしても……。 「お前、こんな干し方したら暇じゃないか?」 フィーの髪は伸縮自在だが、それでも伸ばすことのできる長さに限界はある。洗濯物を干している間は動けないはずだ。 「大丈夫」 そう言って取り出したのは、3冊の本。どうやら心配の必要はないらしい。 「へぇ、お前字が読めるのか」 フィーの(外見上の)年齢で本が読めるぐらい字に精通したものとなると、貴族の子供か魔導師志望の子供ぐらいだ。数字と、あとはせいぜい店先に並んでいる品物の名前でも読むことができれば日常では充分だ。かくいう俺も、冒険者になることを志すまではろくに字も読めなかった。 ふと本を見る。三冊のうち二冊は、表紙からすると子供向けの童話らしい。もう一冊は……。 「これは……?」 俺には全く読めない言葉だった。日常では見かけることのない字体だ。しかし、俺のもう一つの日常では見なれたものだ。それは……。 「魔導書だよ」 フィーはこともなげに答えた。それは、少なからず俺に衝撃を与えた。 魔導書。 言うまでもなく専門書である。これを読めると言うことは、それなりの知識と能力が必要だ。この見た目幼い少女がこんなものを読めるとは……。そう言えば、初めて会ったときも魔法を使っていた。 「すごいな、読めるのか」 俺は驚きを素直に言葉に表した。その言葉に、フィーははにかむように笑み、 「フィーは……生まれたときから読めたよ」 そう、答えた。 フィーは魔導兵器だ。おそらく実験用に『魔法を使える』という『機能』も付加されていたのだろう。 少し、気まずい。 しかし、それに気づいたか気づかないのか、フィーの言葉は続く。 「でもね、魔導書も好きだけど、こういう本の方が好き」 そうして取り上げたのは、デフォルメされた竜が表紙に描かれた、子供向けの本だった。タイトルは「竜騎士の闘い」。よくありがちなタイトルだ。 「騎士様がね、いろんなところを旅して、最後には竜と闘うの。それで、お姫様を助けるんだよ」 目を輝かせて、語る。 「なんだ、もう読んだことがあるのか」 「うん。でも、面白いから何度も読んでるんだ」 そう言うと、本を開いた。そして、食い入るように見始めた。よほど面白いのだろう。俺は、邪魔しないように荷物の整理を再開した。 「ねえ……」 だいたい整理も済んだ頃、フィーが話しかけてきた。 「”この空は、どこまで続いているんだろう?”」 唐突な質問。返答に窮している間にも、フィーの言葉は続く。 「”わたしはそれを見るために、旅を続けるのだ”」 いつもと違う言葉遣い。そして、フィーの手の中の本を見てようやく合点がいく。どうやら、「竜騎士の闘い」の最後の一節らしい。 「ねえ……どこまで続いてるの?」 「どこまでって……どこまでも、だろう?」 俺は曖昧に答えた。 そしてフィーと二人で空を見上げる。 雲一つない青空は、目にしみるぐらい蒼く、そしてどこまでも広がっていた。 どこまで、か……。確かにそんなことを考えたときもあった。そして、空の果てまで行こうと思って、そこまで辿り着けると信じて、故郷の村を出た。 ……あれは、もう何年前になるだろうか。そして、手段であったはずの”闘い”が、目的になってしまったのはいつからだっただろう? こうして、青空を見上げなくなったのは……いつからだっただろうか……? 「行ってみたいね……」 フィーの言葉に、我に返る。 俺は何を考えていたのだろう。ガキじゃあるまいし、今になってこんな事を考えるとは。 「行けばいいじゃないか」 ごまかすように、そんなことを口に出していた。 その言葉に、フィーは哀しげな表情でもって応える。 それで気づいた。フィーは老魔導師ラハムのつくった魔導兵器だ。自分で自由に旅に出ることなどできまい。 気まずくなってしまい、俺は荷物の整理を再開した。整理と言ってもほとんどはおわり、あとはバックパックに収めるだけだった。 「これ、なあに?」 フィーの声。俺のしまおうとしていた金属の筒に興味を持ったらしい。 「これは、カイロだ」 「カイロ?」 「この中には火をともせるようになっていてな。洞窟なんか入ると寒いから、わりとよく使うな」 「これは?」 「痺れ薬だ。やっかいな魔物が出たときは、剣に塗りこんで使う」 「じゃ、これは?」 「ただの鉤突きロープだ。洞窟探索には必需品だな」 フィーは次々と質問してくる。俺はその都度応えていった。フィーの表情も和らぎ、すこしほっとする。 「? これは……?」 不思議そうな顔。その視線の先には、複雑な紋章が描かれた、一枚の羊皮紙。 魔法の巻物だ。魔法が使えるフィーには、これが特殊なものに見えるのだろう。おそらく、フィーにも読めないであろうこの巻物は。 「これは……奥の手だ」 「奥の手……? これ、なんて書いてあるのかわからないよ。魔法の巻物みたいだけど……」 「そうだ。とても古い、特別な魔法がかけられた巻物だ」 「特別な魔法?」 「簡単に言えば、時間移動の魔法だ」 「えっ……す、すっごいっ!」 時間移動の魔法は、現在では失われた技術の一つだ。魔法を使えるフィーが知らなくても無理はない。何しろ、この巻物に書かれている紋章は、現在の魔法では全く使われないものばかりだと言うことだ。 「すごいって言っても、一回しか使えないし、移動できるのも未来に向けてだけ。それにしたってどのくらい未来にに移動できるのかもわからない。100年先か……ひょっとしたら一分後にしかいけないかも知れない」 「? それじゃあ、何に使うの?」 「どうしようもなくなったときだ。 打つ手がないピンチの時、これで自分が脱出するか……それとも、相手が一人だったらこれで未来へ飛ばしちまうか、だ」 それでも、この巻物の価値は高い。この効果を知るためだけでも大枚をはたいたし、売れば数年は豪遊できるだけの金が手にはいるだろう。これをむかし洞窟の中で見つけたときは飛び上がらんばかりに喜んだものだ。だが、結局売ることはできず手元に置いていた。……一生使うことはないかも知れないが、まあそういうものだ。 荷物をしまうのも再開する。フィーの質問に答える毎にしまっていったから、残りは後わずかだった。 「こういうのを使って、ラングスは冒険してきたんだね……」 「まあな……」 夢見るようなフィーの視線と声に、俺は曖昧に答えていた。冒険は、この少女が憧れているような綺麗なものではない。この前受けたゴブリン退治の『冒険』も、さまざまな思惑の絡まった、後味の悪いものだった。 そんなことを思いながら片づけを続けていると、ついに最後の一品となった。しかしそれは、見覚えのないものだった。 「この箱……なあに?」 箱を見回すと、横から突き出たねじ回しが目に付いた。それでようやく思い出す。 ねじ巻きを5、6回ほど回すと、箱はもの悲しいメロディを奏でだした。 「わあっ!? ラングス、音が出たよっ! 箱から音が出たよっ!?」 「鎮魂歌だ」 「ちんこんか?」 「死者を弔うための曲だ」 これは、死霊除けのアイテムだ。と言っても特に魔力などが籠もっているわけではない。ただ死者を慰める音楽を奏でることによって、死霊を近づけない、あるいは死霊の力を弱めるという触れ込みのオルゴールだった。 何かの役に立つかと思って買ってみたものの、今まで使う機会はなかった。実際、使ったところで対した役には立たなかったろうが。 「わあ、わあ……」 フィーは、感心したように箱を覗き込んでいた。そのオルゴールは安物だったが、中にはそれなりにちゃんとした飾りが彫ってある。音も悪くない。 「気に入ったか?」 「うん! うん!」 フィーは何だか興奮していた。 「これが……音楽なんだ……」 そうだった。フィーはこの城からほとんど出たことがないらしい。出たとしても、この間のようにせいぜい近くの森までだ。そして、歌を知らないとも言っていた。これが音楽というものに触れる初めての機会なのだろう。 「じゃ、それやるよ」 「えっ!? いいのっ!?」 「あんまり役に立つものでもないしな。気に入ったのなら、やるよ」 「わあ、ありがとうっ!」 言うが早いか、フィーは俺に抱きついてきた。その身体は、驚くほど軽く、そして柔らかかった。 「わっ、こらお前っ」 「うれしいなっ、うれしいなっ」 「こら洗濯物落ちそうだぞっ!?」 洗濯紐の元であるフィーが動いたために、城の壁面に干された洗濯物は大きく揺れている。 「ありがとうっ、ありがとうっ!」 俺の言葉が耳に入らないように、はしゃぐフィー。満面の笑顔。 晴れた日の昼下がり。 こう言うのも悪くないなどと、俺はのんきなことを考えていた。 このときの俺は、こんな時間がずっと続けばいいなどと、柄にもないことを考えていた。 |
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