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なくして、なくせなくて
| それは思い出すには悲しすぎ、忘れ去るには辛すぎた 0/少女 少女がいた。 腰まで届く長い黒髪。抜けるように白い肌。清潔な白いワンピース。 年の頃は10をこえたばかりだろうか。 しかし、その顔には年相応の無邪気さも幼さもない。 なにも、ない。 ただ全てが抜け落ちたかのような顔。 茫洋とした瞳、力無い頬。口元も閉じているだけ。 手もまた力無くぶら下がり、足はただ頼りなく立っているだけ。 いつからいたのか、どこからきたのか。 ただ少女がそこにいた。 少女は動かず、動くように思えず、夢のように現実感がない。 それはまるで幻想。まるで一枚の絵。 時の止まってしまったような少女に、しかしわずかながらの変化が訪れる。 かすかに下がる眉。わずかに潤む瞳。 悲しみ。 あらわれたその表情は悲しみ。 しかし少女にはその意味がわからない。どうして自分が悲しいのかわからない。 ここがどこかわからない。 今がいつかもわからない。 自分がなにかもわからない。 なにもなにもなにも、わからない。 少女はなくす。 毎日なくす。 昨日何があったのか、朝目覚めれば忘れている。 明日何を望んでいたのか、朝目覚めれば失っている。 昨日見た夢も。明日に見た希望も。昨日までの後悔も。明日への不安も。 朝目覚めれば、なくなっている。 いつからそうなったのかわからない。 失うようになって、これが何度目の朝であるのかもわからない。 なにもないから、なくなってることすらわからない。 でも、ひとつ。 いつもひとつだけ残っている。 悲しい。 この気持ちだけが残っている。 目覚めた少女にこれだけが常にある。 なにもなにもなにも。 わからないのに、ただ悲しいだけと感じる。 理由なく。覚えもなく。きっかけすらもなく。ただ、悲しみが押し寄せる。 ただ、ただ、ただ。 少女はそこにいて。 ただ、ただ、ただ。 少女は歩き出した。 まるで風にながされるように頼り無く、拠り所無く、意志も無く。 少女は歩き出した。 それはいつもの朝と同じ。 少女の知らない、少女の繰り返す日常。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 1/子猫 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 道の中、猫がいる。 一匹の小さな子猫。真っ黒な毛並みの、小さな小さな子猫。 猫は少女をじっと見る。 子猫はニャアと鳴くから、少女はニャアと答えた。 悲しげに眉を下げた少女が、わずかに微笑む。 だから子猫は、ニャアともうひと鳴き。 少女が駆けると子猫が追う。 たっ、たっ、たっ。 とっ、とっ、とっ。 舞うように、少女がステップを刻む。 風に舞い髪が舞い少女は舞う。 子猫は追う。 少女は笑顔。 子猫はニャア。 楽しい楽しい時間。 楽しいから時間はすぐに過ぎ、楽しいままに陽は沈む。 猫とわかれ少女は歩く。 明るい笑顔で少女は歩く。 翌朝。 少女はそこにある。 何も覚えておらず、なにもわからず、昨日と変わらずそこにある。 いつもどおりに全てを忘れて。 猫と遊んだことを、少女はかけらも覚えてない。 いつものように歩き出し、昨日のように子猫と出会う。 黒い毛並みの可愛い子猫。 子猫はニャアと甘えた声。少女の足に、しなやかにまとわりつく。 しかし少女はその猫を知らない。わからない。おぼえていない。 少女に向けられるのは無垢な瞳。 少女に向けられるのは甘えた鳴き声。 少女に向けられるのは少女の知らない親しみ。 それが、ひどく。少女には煩わしい、 ひどく、ひどく、ひどく。不安で不快でたまらない。 だから乱暴に早歩き。まとわりつく猫を振り払う。 猫はニャアと鳴く。 少女はニャアと答えない。 足を早め、どんどん早め、やがて走ると子猫はすぐに追ってこなくなった。 少女はまた元通り、少女は一人にもどる。 いつもと同じ。そして、いつもと同じように。 その胸に、悲しさだけが生まれてくる。 少女には理由のわからない、悲しみだけが生まれてくる。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 2/男の子 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 着いたのは病院。大きな病院。大きな庭。生い茂る庭の木々。 ぼんやりと眺めた先、視線に気がついた。 男の子が、一人。 少女より少しだけ背の低い男の子。 左目には眼帯、右手には包帯。左手は三角巾でつり下げられ、左脚にも包帯が巻かれている。 白く包まれた、痛々しい姿。 男の子は少女を見ると目を見開いて驚いて、次に微笑み駆け寄ってくる。 「なんだ、大人は嘘つきだ。ずっと会えないなんてウソだった!」 心底嬉しそうに、輝くような笑顔で。 傷だらけの男の子は話しかける。 「良かった。一人になっちゃったかと思ったんだ。父さんと母さんは? どこにいるの?」 少女の知らない少年は、少女の知らない事を話しかける。 少女に理解できない親しさで、少女の知らない笑顔を向ける。 陰にある悲しみを、塗りつぶそうとするかのような必死な笑顔。 その笑顔が眩しくて。 その笑顔が嬉しくて。 その笑顔が暖かくて。 だから。 その笑顔が恐ろしくて。 少女は駆けだした。 駆けて、逃げ出した。 傷ついた幼い男の子は、少女においつけない。 少女は駆ける。どんどん駆ける。 やがて男の子の姿は見えなくなって、少女はようやく一息吐く。 荒い息。胸に残るのは、暖かかった場所から逃げ出した寂しさ、つらさ。 そして、理由のわからない悲しさ。 何もわからぬままに、ただ少女は悲しむ。 翌朝。 少女はそこにある。 何も覚えておらず、なにもわからず、昨日と変わらずそこにある。 いつもどおりに全てを忘れて。 昨日出会った男の子のことを、少女はかけらも覚えてない。 しかし、その胸に。そのとき感じた悲しさだけが残っている。 少女には理由のわからない、悲しみだけが残っている。 しかし、いつもと変わらず少女は歩き出す。 昨日の病院から遠ざかるわけでもなく、近づくわけでもなく。意識すらしないで歩き出す。 少女は男の子と出会わない。 少女は笑顔と出会わない。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 3/子供たち 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 着いたのは公園。公園の中で遊ぶ子供たち。楽しげな声。 シートの上に広げられたのはプラスチックのお椀と箸。 おままごと。 招く手に、誘いの声に、受け入れる笑顔に。 少女はその輪の中に入る。 女の子は二人。配役はおかあさんとその娘。 男の子は一人。配役はおとうさん。 少女は末の娘として食卓に上がる。 砂のごはんに、どろだんご。サラダは葉っぱを、いただきます。 楽しい楽しい、楽しい時間。 少女は微笑む。ほんの少し微笑む。 それは確かに、幸せなとき。 だから翌日も会う約束をして、夕陽の中にさよならを言う。 翌朝。 少女はそこにある。 何も覚えておらず、なにもわからず、昨日と変わらずそこにある。 いつもどおりに全てを忘れて。 昨日おままごとで遊んだことを、一緒に遊んだ子供たちのことを、少女はかけらも覚えてない。 いつものように歩き出し、いつものようにあてもなく、そして辿り着いたのは昨日の公園。 子供たちが声をかける。 でも、少女にはわからない。 ただ眉をひそめ首を傾げ、でも女の子に手を引かれ遊びの輪の中に入る。 少女に親しく語りかける女の子達。 仏頂面で、でも少女が気になって仕方ない男の子。 少女にはわからない。知らない笑顔、知らない声。 いくら話しても昨日のことを思い出さない少女。 でも、子供たちは気にせず少女を誘う。 楽しい楽しい、楽しい時間。 少女は今日も微笑んだ。ほんの少し、微笑んだ。 そんなことが何度かあった。 今日も少女は公園の前を歩く。 子供たちは、遊んでいる。 子供たちは、少女に気づく。 子供たちは、声をかけない。 何度会っても自分たちのことを覚えない少女を、子供たちは気味悪がって無視することにした。 だから子供たちは目を背ける。 でも少女にそれはわからない。だって少女は知らない、覚えていない。 だから。 子供たちは変わらず遊び続ける。 少女など目に入らなかったかのように遊び続ける。 少女は歩き続ける。 いつもと変わらず、どこに向かうでもなく歩き続ける。 なにも、変わらない。 ただひとつ。ひとつ違う。 少女は公園を通り過ぎるのが悲しかった。 どうしてか、どこからか、悲しい気持ちが溢れてきた。 それでも少女は歩き続ける。 なぜならそれが、少女の日常。 少女の知らない、でも少女の慣れ親しんだ日常。 だから少女は歩き続ける。ただ、ただ、ただ、歩き続ける。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 4/跡 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 町はずれ。小さな山の一角の、急なカーブの道路。 真新しいガードレールには、しおれた花が供えられている。 きっと事故でもあったその場所。 少女は知らない。 そこに訪れるのが初めてではないことを。 少女は覚えていない。 そこに訪れるのがもう何十回目にもなることを。 ただ、胸の奥に痛みがある。 切なくつらい痛みがある。 翌朝。 少女はそこにある。 何も覚えておらず、なにもわからず、昨日と変わらずそこにある。 いつもどおりに全てを忘れて。 昨日訪れた場所のことを、少女はかけらも覚えてない。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 5/少年 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 町の中。人通りのない道。そこに、一人。 少年が一人。少女よりほんのすこしだけ背の高い少年がいる。 少年は少女を見ると驚きに目を見開く。 「君は……似てる。でも、そんなはずない。そんなはずない!」 少年は混乱したように声を上げる。 少女はそんな少年を見て戸惑う。 「ねえ、君! 君は僕のよく知っている人に似ているんだ」 少女はそんなことを言われてもわからない。 「君はこの近くに住んでいるの?」 少女は知らない。 「ああ、ごめん。まだ自己紹介もしてなかった。僕はね……」 少年は自分の名を告げる。 少女の知らない名前。少女の知らないはずの名前。 それなのに、少女は震えた。 「君の、名前は?」 聞かれた。答えられない。 だって少女は知らない。だって少女はわからない。 困ってしまう少女に、少年は同じく困った微笑み。 「ごめん。いきなり変なこと聞いて。でも、君はそっくりなんだ。今はいなくなってしまった、僕の……」 その言葉を聞いたとき。 少女は駆け出した。 全力で、精一杯。 走って走って走って、逃げた。 だって。 だって。 だって。 思い出してしまいそうだったから。 少女はそう思い、そして不思議に思った。 自分はなにも覚えていない。 だから、自分はなにもわからない。 思い出す事なんて何もない。思い出すなんてこと、あるわけがない。 だって、自分は――。 胸に手を当て、手をきゅっと握る。 悲しみが押し寄せる。 少女はなにもわからず、ただ悲しみだけがあった。 翌朝。 少女はそこにある。 何も覚えておらず、なにもわからず、昨日と変わらずそこにある。 いつもどおりに全てを忘れて。 昨日出会った少年のことを、少女はかけらも覚えてない。 だから、今日もいつものように歩きだし。 またその少年と出会うとは思っていなかった。 少年は少女に問いかける。 少女は少年に答えられない。 「君は、まさか……!」 少年の言葉に、少女はまた、逃げ出す。 逃げ出して、悲しくなる。 理由がわからない。ないも知らない、おぼえてない。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 6/しゃぼん 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 住宅地。家の前。子供たちが遊んでいる。 ストローの先に、ふくらむ球。 光を跳ねて、光を透かし。 輝き揺らめきふわふわ飛んでく。 しゃぼんだま。 ふわふわ飛んで、ぱちんと弾ける。 子供たちは楽しそうに、ストローでいくつもいくつもしゃぼんを作る。 ふわふわ飛んで、ぱちんと消える。 すぐにゆらゆら次々と、しゃぼんはどんどん生まれていく。 すぐに儚くあっけなく、しゃぼんはどんどん割れていく。 何もわからない少女は。 何も覚えていない少女は。 そんなしゃぼんを一心に見る。 ただただ思う一つのこと。 あんな風に、消えることができたらいいのに。 少女は一心に見る。 生まれては消えるしゃぼんを一心に見る。 少女が一人、そこに在る。 悲しみだけが、共に在る。 7/青年 少女は歩く。 なにもわからないから行く先もなく。 なにも覚えてないから目的もなく。 ただ、ただ、歩く。 そして出会う。 そこには一人。青年が一人。 少女よりずっと高い背。鋭い目をした青年がいる。 まるで少女を待っていたかのように青年がいる。 「悲しそうだね」 青年は語りかける。 鋭い目をした青年は、外見よりもずっと優しい声。 少女は首を傾げる。 青年は言葉を続ける。 「悲しい理由を、教えてあげるよ」 少女の動きが止まる。 青年が手を伸ばす。 細く鋭い目は恐かったけれど、その声は優しく暖かく。 逆らえないほどに優しく、逃げられないほどに暖かく。 何より、言葉が少女を縛る。 だから少女は手を引かれ、青年に連れられていく。 青年と二人、道を行く。 日は暖かく。 風は優しく。 手は暖かく。 そして辿り着いたのは人眠る場所。 暖かな日射しに照らされた、死んだ人の眠る場所。 墓地。 連れられた先は一つのお墓。 お墓に刻まれたのは、名前。 少女には難しい漢字。でも読めるその名前。 その名を少女は忘れているはず。 その名を少女は知っているはず。 心の中に生まれた矛盾に、少女の体が震える。 少女の震えを止めるように、青年が少女を抱きしめる。 後ろから、優しく優しく抱きしめる。 「昔、事故があったんだ」 青年は、ぽつりと語り出す。 「交通事故だ。家族で車に乗ってドライブに行った。はしゃいだ女の子が、運転しているお父さんの手にふざけて飛びついて、事故になった」 少女は震えた。 青年の語る話が恐くて恐くて。 逃げ出したくなるほど恐ろしくて。 でも青年に抱かれてそれもできなくて。 だから、ただ。震えることしかできなかった。 「楽しかったドライブだったのに。女の子に悪気はなかっただろうに。でも、事故になってしまった。……両親は、二人とも死んだ」 少女は青ざめ、震えていた。 なんでなのかわからない。 少女は知らない、わからない。 それなのに、どうしてもこの事故のことを「知っていた」ようにしか思えない。 少女は震え、逃げようとする。 震えることも逃げることも押さえつけるように、青年は少女をぎゅっと抱きしめる。 「ようやくわかった。君に何度も会って、そのたびに君は俺のことを覚えていなくて。初めはどうしてかわからなかった。でも、ようやくわかったんだ」 青年は抱きしめる。 少女を包み込むように全身で抱きしめる。 「事故があんまり悲しすぎたから、君は全てを忘れてしまったんだね。事故があんまり辛すぎたから、それでも悲しいと言うことは忘れられなかったんだね」 少女の震えは止まった。 何もかもが止まった。 だってわかってしまった。 だってだってだって。 自分の中にある悲しみは。 悲しみの「素」は。 思い出すには悲しすぎ、忘れ去るには辛すぎることだったから。 「でも、もういい。もういいんだ」 止まった少女は、青年の言葉をただ聞く。 止まったままに、ただ聞き続ける。 「だってもう、君は死んでいるんだから」 ひとこと。 たったひとこと。 その、ひとことに。 少女は思いだしてしまった。 燃えさかる炎。 ふざけて飛びついたおとうさんの太い手は、マッチ棒のように折れていた。 優しかったおかあさんの首は、おもちゃのように曲がっていた。 壊れてしまったおとうさんとおかあさん。 いびつな形になってしまった二人は、いびつな形のまま炎に呑み込まれてしまった。 炎はどうしようもなく強くて。 鳴き声も呑み込んでしまうぐらい激しくて。 他に何も見えなくしてしまうぐらい赤くて。 何もできないまま、目の前でいままであった全てが終わってしまった。 それは、ひどいことだった。 ひどすぎることだった。 それは思い出すには悲しすぎ、忘れ去るにはつらすぎた 幼い少女には、受け入れることはできなかった。 だから少女は全てを忘れた。 朝を迎えるたびに、幸せになってしまう記憶すべてをなくした。 幸せを覚えていたら、事故の前の幸せだったときも思い出してしまいそうだから。 幼い少女には、失うことなどできないことだった。 だから少女は失わないようになった。 朝を迎え全てを忘れても、悲しみだけは失わないようになった。 悲しみだけが少女と事件を繋ぐことだから。幸せだった頃と繋がる記憶だから。 だから少女はそこに在り、悲しみだけが共に在った。 「もういい、もういいんだ。君は充分苦しんだんだ。だからもういいんだ」 青年の言葉に、止まっていた少女がようやく動き出す。 震える唇からことばをゆっくり紡ぎ出す。 「ごめんなさい……」 それは謝罪の言葉。 「おとうさん、ごめんなさい……!」 失ってしまった父への言葉。 「おかあさん、ごめんなさい……!」 失ってしまった母への言葉。 そして、青年の手をぎゅっと握り返し、 「ごめんなさい……!」 少女はもういちど、謝った。 今まで謝ることはできなかった。 それは事故があったという事実を認めてしまうことだから。 暖かかった父親が。やさしかった母親が。もういないことを認めてしまうことだから。できなかったから苦しかった。できなかったから悲しかった。 そして、少女は。 「あ……」 ひとつ声を漏らし、 「ああ……」 ひとつぶ涙をこぼす。 「あああ……」 つらくても流せなかった涙が。 「ああああ……!」 悲しくても流せなかった涙が。 「あああああーっ!!」 叫ぶ声と共に、とめどなく、流れた。 幾粒もしずくは落ち。幾筋も涙の線が生まれ。とまらない、とめられない。 涙に濡れる少女を。 泣き続ける少女を。 青年の手がぎゅっと抱きしめる。 そのぬくもりが穏やかだから。 少女は嬉しくて泣き続ける。 そのぬくもりは失うにはつらすぎて。 少女は悲しくて泣き続ける。 だからぎゅっと。ただぎゅっと腕を抱く。 少女を包む腕もまた、強く抱き返してくる。 強く、強く、強く。 この場にとどめようとするように。 失った何かを逃さないかのように。 でも、少女の身体は薄れゆく。霞のように消えてゆく。 もうとどめるべき悲しみはなく、少女がとどまる理由はない。 最後に、少女は青年に顔を向ける。 そして、 「ありがとう……」 その一言を残し、少女は幻のように消えた。 後に残ったのは、墓前で自らをかき抱く青年が、一人。 青年は目を閉じ、静かに呟く。 「さようなら、ねえさん……」 その言葉と共に、青年は自分にひとつのことを許した。 今まで流すことのできなかった涙。 大切だった人のための涙。 それを流すことを自分に許した。 風がとても穏やかで。 日射しはとても暖かくて。 それは、そんな日のことだった。 少女が一人、そこに在った。 悲しみだげが、共に在った。 わずかなぬくもりを抱いて、少女は消えた。 Fin
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