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黒髪の狂獣機外伝
蒼の魔手

第六章



 日は沈みかけていた。鬱蒼とした森の中は既に闇が支配しようとしていた。
 その中でもなお、少年の抜き払った剣は際立っていた。
 
 その黒い長剣は、夜に溶け込もうとすらしない、深い闇の色をしている。
 
「使用者の”もっとも強い”と想っているものを形とし、
 力とする魔剣」

 少年は、そう言った。
 では、これは何なのだろう。
 闇に包まれようとする時間、輝くように周囲より際立つ黒剣は……少年のもっとも強いと思ったものは、何だったのだろうか。
 
「俺は……」
 
 少年は長剣を構えながら呟く。目の前の木々の間の闇を見据えながら構える。ルーネには何故だか少年がもっと先の何か……闇の先にあるなにかを見ているように思えた。
 
「俺は”闇”と戦う師匠を助けようとこの意力剣を抜いた」
 
 茂みが揺れ、二体のワーウルフが姿を現す。
 二体は少年へと疾走する。
 先行する一体は先ほど少年に胸を切り裂かれたはずのワーウルフだ。しかしもうその傷はふさがりかけている。動きに鈍さはない。
 少年は踏み込み迎え撃つ。速い。ワーウルフに負けない速さだ。
 先行するワーウルフは、腕を組み少年の剣を防ぐ構えだ。
 続く一体はその脇から回り込むべく進行方向を変える。
 一体が少年の剣を封じ動きを止めたところであとから続く一体がその隙を突くコンビネーション。再生能力の高さにまかせた捨て身の戦法だった。
 対する少年は大上段に剣を振りかぶる。
 
「その時俺は、師匠より"闇"を強いと思ってしまったんだっ!!」
 
 迫り来るワーウルフに対して、真っ向から黒剣を降り下ろす。先ほどはショートソードで腕を半ばまで切り裂いた。長剣とはいえ、少年の腕力ではワーウルフの頑強な腕を断つことは難しいだろう。一撃で仕留めることは不可能だ。そして、剣を止められてしまえばもう為す術がない。

 しかし、少年は一歩も退かない。
 
 柄元の緑の宝珠が輝きを放つ。
 黒剣はよりその漆黒さを増す。それと共に剣の周囲には黒い靄のようなものが広がった。

 まさに闇そのものの黒。

 少年は、 それら、全てを真っ向から降り下ろした。
 後に続く音は、肉を断つ濡れた音でもワーウルフの咆吼でもなかった。
 およそ刀剣には出し得えない轟音。
 地を震わし響くただただ大きく重い音。
 その音のおさまったとき、少年の前にワーウルフの姿はなかった。
 あるのはまるで竜が踏み抜いたかのような陥没だった。それが、べったりと濡れていることのみがそこで何があったかを語っていた。
 
 そこに横たわるのは、断末魔すら許されなかったワーウルフの死。

 残るワーウルフは、あまりのことに一時動きを止める。
 それを見逃す少年ではない。
 踏み込み放った横なぎの斬撃を、ワーウルフは後ろに跳びすさることでかわす。着地と同時にその姿勢が崩れる。まともに立てるはずがない。ワーウルフの右足は、斬撃に断たれていた。
 
 一呼吸の間もおかず、少年は間合をつめる。
 叫びと共に降り下ろされた闇は、ワーウルフの全てを粉々に打ち砕いた。
 
 ルーネはその様を、身動き一つとれずに見ていた。身体を動かすどころか、瞬きすることもできなかった。
 少年の放つ闇は少年の恐怖そのものだった。
 
 (この人は、こんな力を背負っていたのですか……!)
 
 その闇に圧倒され、ワーウルフとの立ち合いをこなしたルーネですら動けないでいたのだ。
 
「俺が恐れていたのは、全てを飲み込み押し潰さずにはおかない、圧倒的な"闇"なんだ……」
 
 荒い息をつきながら、少年は呟く。今まで押さえ込んできたであろうことを、息と共に吐き出すように、呟く。
 ルーネはいつか「夜が恐ろしい」と言っていた少年を思い出す。その言葉の意味していたものは、ルーネには思いもよらない恐怖――知りもしない”闇”だったのだ。
 
「でも……」
 
 ルーネの口は本人も知らないうちに開いていた。いつの間にか呪縛は解けている。
 今は恐怖ではなく、ただ何かを言わなくてはならないと言う切迫した想いがあった。
 
「力のあり方は使うものが決めるんでしょう?」
 
 自然に、当たり前に。ルーネは、そう言葉を紡いだ。
 ああ、そうだ。そうだったのだ。ルーネはもう知っていた。

 手放すことのできない魔力。
 心の奥底にある恐怖そのもの。
 生まれたときから背負ってしまった力。
 絶望と共に得てしまった力。

 どんな力か。
 なぜそんなものを使うようになってしまったのか。
 そんなことは関係ない。
 
 ただ、今ある力を何のために使うか。自分が、何をしたいか。

 それこそが、大事なことだったのだ。
 目の前には、恐ろしい闇がある。黒く深く底知れぬ闇を固めた剣がある。だがそれは少年の手の中にある力だ。それの何を恐れるというのだろうか。
 
 少年は薄く微笑むことで、少女の言葉に答えた。
 ルーネは、はにかむように微笑み、少年を見つめる。
 その時。
 ルーネの脇を突風が通り抜ける。
 その風は、血の匂いを含んでいた。
 
 「え?」
 
 通りすぎるのは、灰色の魔獣。先ほど少年にその腕をちぎられた、ワーウルフだった。
 それが、少年に向かい真っ直ぐに駆けている。

「いけませんっ!!」

 慌てて、構える。
 しかし、ルーネは躊躇した。 
 少年に向かうワーウルフは一体ではなかった。
 先ほど通りすぎたものも含め三体が、三方から同時に少年へと向かっている。
 
(……まだこんなにいたんですかっ……!)
 
 一体は少年が倒すだろう。もう一体もルーネの魔法で足止めくらいはできるかもしれない。しかし、最後の一体はどうしようもない。間に合わない。
 
 その絶望を前に、少年は動いた。
 力の限り、長剣を地に叩きつける。
 日はほとんど沈み、黒く染まる大地。そこから生える、何よりも黒い剣。
 
「沈めっ!」

 少年の叫びと共に、緑の宝珠が暗い、しかし澄んだ輝きを放つ。
 そして、闇の中に闇が広がる。
 地に広がる闇が偽りであるかというように、剣からより深い黒が広がる。
 少年を中心に悪夢のような闇が地を伝わり広がる。
 半径、約6フィート(約1.8メートル)ほどの円の範囲が剣の闇に飲み込まれた。
 その異変に構わず、三体のワーウルフは迫る。
 人の形をした獣の、人ならぬ力強い疾走。

 しかしそれは唐突に止まった。
 
 初めは転んだように見えた。
 つんのめり、そのまま止まることが出来ずに地に着く。しかしその倒れ方が不自然だった。走った状態から倒れたのに、ほとんど前に進まず、まるで立ちくらみで倒れたかのようにその場に倒れたのだった。
 それが、ワーウルフ三体同時に起きた。
 ワーウルフたちは自分たちに何が起きたかわからないようだった。うなり声を上げ、起きあがろうとする。
 できなかった。
 起きあがるどころか、腕を動かすことすら出来ない。
 ワーウルフは少年の広げた闇の上にいる。
 彼らをしばるのは、闇の生みだした圧倒的な重圧。
 体中にのしかかる重みに、骨が軋み筋肉は悲鳴を上げる。
 不審のうなり声はすぐにうめき声に変わった。
 だが、それもワーウルフを仕留めるには至らない。動きこそ封じることができたものの、それだけに過ぎない。
 少年は余裕がなかった。全身にあせまみれで、息も荒い。”闇”を生み出すのに相当な力を使っている。
 この状態は、長くは続かない。均衡が破れれば、結果は明白だ。
 
「やれ!」

 少年の鋭い叫び。
 言われるまでもない。
 ルーネは既に両手を頭上に掲げている。
 両手の内には、魔力の収束……彼女の力の塊が生まれていた。
 今度はワーウルフをひるませるだけではダメだ。倒さなくてはならない。
 もっと強く。もっともっと強く。
 ルーネはまだ使い慣れない魔力を、必死に制御する。
 やがて、それは球の形から棒状にその姿を変じた。
  
「貫いてっ! わたしの魔力……」

 全力で振りかぶり、投げる。
 
「雷の槍っ!」

 その言葉に呼応するように、ただの棒の形に過ぎなかった魔力の塊は形を変じていった。虚空を断つように飛びながら、より速く、より強く進める形へと、自らを変えた。
 
 それは、研ぎ澄まされた槍の形となる。
 雷の槍は、その身を金に輝かせ闇を断つように飛ぶ。
 
 そして、ワーウルフに触れた。
 音はしなかった。
 それこそ暖めたナイフでバターを切るような簡単さで、その魔力の槍はワーウルフの強靱な肉体を貫いていた。
 次の瞬間、殴りつけるかのような轟音が響く。空を破るような雷の音。そしてワーウルフの身体から、無数の光の触手が伸びる。それはのたくり、まとわりつき、一瞬にしてワーウルフの身体を焼き尽くした。

「もう一発っ……!」

 ルーネは両手を掲げようとし……その腕がだらりと落ちた。
 
「えっ?」

 次に、膝が落ちた。
 まるで今まで立っていられたのが嘘のように、手も足も、身体の全てにまるで力が入らない。そのままどうすることも出来ず地に伏してしまう。
 
「あ……あ……?」

 仰向けに倒れた自分の身体。
 目の前には、自分の腕が見える。ぴくりとも動かない腕は、まるで自分のものでないかのようだった。魔力の燐光もない。出そうと思ってもまるで出ない。本当に、自分の魔力を使い切ってしまったようだ。
 ルーネは自分の力を嫌っており、ゆえに限界までその力を使ったことはなかった。だから、本当に力を使い切ってしまったとき、どうなるかなど知らなかった。しかし。
 
(身体を動かすことも出来なくなってしまうなんて……)

 まるで自分の体の中にあるなにかがすっぽり抜けてしまった……そんな感覚だ。糸の切れた操り人形のように、手も足も言うことを聞いてくれなかった。
 
(こんな時に……!)

 まだワーウルフは二体も残っているのだ。
 必死に首を少年の方に向けようとする。
 その動きは、地響きによって遮られた。
 轟音。
 薄闇の中、より濃い闇のわだかまり。
 地に広げた闇を解き、振り降ろす闇でもってワーウルフを砕いた少年の起こした地響きだ。
 これであと一体。
 ルーネが首を巡らすと、少年がいた。
 剣を振り下ろした姿勢のまま、荒い息を吐いている。
 その姿にほっとする。
 しかし、それもひとときのこと。

 少年の姿が消えた。
 
「えっ?」

 視界の中、少年の代わりにワーウルフがいた。
 うなり声を上げ、腕を振り抜いたワーウルフ姿が見えた。
 梢をゆらす重い音。ろくに動かない首を必死にそちらに向けると、木を背にぐったりと座り込む少年の姿があった。
 少年は、ワーウルフに殴り飛ばされたのだ。
 なんとかうめき立ち上がろうとする少年の前に、ワーウルフがゆっくりと歩み寄る。
 このままでは、いけない。
 そう思いながらもルーネの身体はどうしても言うことを聞いてくれない。
 
(せっかく力をどう使えばいいかわかったのに……こんな時に使えないなんて……)

 悔しかった。涙が出るほど悔しかった。
 今までこの力を使わないようにしていたことを悔やんだ。使い慣れていればこんなことはなかったかもしれない。身体が動かなくなることを見越して、なにか手を打てたかも知れなかったのに。
 その時。
 手の中に、かすかな手応え。
 躊躇している暇はない。
 
「行ってっ!」

 祈るような気持ちで叫んだ。手の中のわずかな光に、ありったけの意志を込める。
 声は小さすぎて少年には届きそうもない。
 しかし、届くものはあった。
 魔力の小さな光。
 それは、ワーウルフの前に行くとぱん、とはじけた。
 薄暗い中突然生じた光に、一種ワーウルフは怯む。
 その隙に少年は立ち上がる。
 ルーネには視界が霞んできてよく見えなかった。だが、大丈夫だと確信した。
 続く轟音は地面に横たわる身体全体に響き、やかましく思えた。

(……ああ、これで大丈夫です……)

 もう瞼を支えていることも難しかった。
 ゆっくりと、視界が閉じていく。どちらにせよもう日も暮れかかって真っ暗になろうとしているから、目を閉じても変わらないだろうとぼんやり考える。
 瞼を閉じた闇の中、自分に近づく足音を聞いた。
 苦しげな息使いが聞こえる。
 地面をこする音も聞こえるから、少年が剣を引きずりながら近づいてきてるのだろうと思った。
 
(お互い、疲れてしまいましたね……)

 そんなに離れていなかったと思うのに、ゆっくりとした足音はなかなか近くまで来ない。
 それがどこか待ち遠しく、どこかもどかしい。
 
(あの人も、あの丘にわたしが来るときこんなふうに足音を聞いていたんでしょうか……?)

 そう言えば、少年はいつも自分が来るとすぐに目を覚ましていた。
 眠っていたのは間違いなかったが、今のルーネのように夢うつつに足音を聞いていたのかもしれない。
 あの少年もこんな気持ちを感じていたのだろうか?
 そう考えると、おかしく感じられた。あの無愛想な少年が、こんなふうに誰かを待ってこんな気持ちになっていたなんて、とても、なんというか……かわいく、思えたのだ。
 ルーネは、心の中でクスクスと笑った。
 
 そして、足音が止まる。ルーネのすぐ近くだ。少年が起こしてくれるまで、目を開けるのはやめようと思った。それもまたなんだか楽しく思えた。
 しかし、ルーネを揺り動かしたのは少年の手ではなく、地面からの衝撃だった。
 
(ああ……転んでしまったんですね……)

 ルーネはそう思った。
 しかし、困ったことに少年はたちあがろうとしない。いつまで経っても起こそうとしない。困った。このままでは、本当に眠ってしまいそうだ。
 
(男の人とこんな近くで眠るなんて、ちょっと恥ずかしいですね……)

 それに、いくらワーウルフを倒したと言っても夜の森で眠るのはあまりにも危険だ。
 でも、少しだけ……少しだけ、こうしてまどろんでいたかった。
 心地よかった。
 
 遠く、声が聞こえる。
 自分の名を呼ぶ声だ。

(あれ……名前、知られてしまったんですか?)

 少し悔しく思えた。でも、悪い気はしないとも思う。これでようやく名乗ることができる。
 だが、ルーネはすこし違和感を感じていた。
 聞き覚えのある声だが、少年の声ではないようだ。
 
(なんでジェフの声なんですか……?)

 そのことを不満に思いながら、ルーネの意識は沈んでいった。
 近づくいくつもの足音は、ルーネの耳には届かなかった。


 続く

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