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黒髪の狂獣機外伝 | ||
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第三章 | 「また、あそこに行くのかよ……」 ルーネが少年と出会ってから一週間が過ぎようとしていた。 いつもの夕暮れ。そしていつものように丘に向かおうとしたルーネを呼び止めたのは、そんな言葉だった。 振り向いた先にいたのは、背の高い少年――ジェフだった。 腕っ節が強く、地主である両親を持つジェフは同世代の子供の中ではリーダー的な存在だ。 いつもちょっかいをかけてくるので、ルーネは嫌っている。 だから、無視して通り過ぎた。 急に早めた足に、腰まで伸びる紅い髪がなびき、耳元に編まれた細い三つ編みが振り子のように揺れる。 「おい、待てよ」 今度は声だけでなく、肩に手をかけて止めに来た。 ため息混じりに振り返る。紅い髪がその動きに遅れ、ふわりと舞う。一筋一筋が紅い夕日を跳ね輝き、涼やかに流れる。 その優美な様に、ジェフはしばし目を奪われていた。 「なんですか? ジェフ」 すこしいらつきの含まれるルーネの言葉に、ジェフははっとしたように言葉を発する。 「おっ、お前……またあいつの所に行くのかよ?」 「別にわたしがどこに行こうと関係ないでしょう?」 ルーネは再び歩き出そうとした。しかしジェフは、ルーネの進む前に立ちその動きを止める。 「あんな得体の知れないヤツのことはほっとけよ」 「……まるで会ったことがあるかのような口振りですね」 そこでルーネは、初めてジェフの顔を見た。頬に青あざが出来ている。まだ痛みがあるのか、ジェフの表情はどこか引きつった感があった。 それで、ピンときた。 「あの人にちょっかいをかけたんですか?」 「う、うるせぇっ」 ルーネの言葉に、ジェフはあからさまに狼狽する。 何があったかは明白だった。 「あの人、本当に強いですからやめといた方がいいですよ」 「……なんだよ、お前強いヤツがいいのかよ?」 「少なくともあなたみたいに弱い人よりはマシですよ……いいかげん、どいてくれませんか?」 ルーネが睨むと、ジェフは視線を落とし……ビクリ、と震えると脇にのいた。ルーネがそのまま真っ直ぐに通り過ぎる。後ろから「ちくしょうっ!」という声が聞こえた。 「まったく、なんなんでしょうね……」 呟き、何の気なしに視線を落とすと、光が見えた。 蒼い燐光。 右手を包む、魔力の光だ。 「いけない……いつの間に……」 軽く手を振る。 それだけで、魔力の光は消えさった。 しばらく右手をぼんやりと眺める。ひっくり返して、指の間を見て、丹念に見る。 そいて、不意にルーネは駆け出した。 歩き慣れた町の外へと続く道を、行き過ぎる。振り返らず、ただただ前へとかけ続ける。 すぐに、いつもの丘が見えてきた。空は紅く染まり始め、高い丘はその大半を黒く塗りつぶされている。 黒い斜面を、駆け上る。 すぐに頂上が見え、いつもの木が見え、そしてその下に横たわる少年の姿が見えた。 「……また寝てるんですね」 安堵したようにつぶやく。 ルーネが訪れると、少年はいつも眠っていた。 ただ、いつもと違うことは、近づくにつれて聞こえてくる声。その苦鳴は、眠る少年の口から発せられていた。 少年は、うなされていた。 顔には汗をびっしりとかき、時折苦しげにうめきを漏らしている。 ルーネは、少年の左腕に目を向けた。 そこには、やや乱れて巻かれた包帯。ルーネが丹念に巻き、少年が乱した包帯だ。 少年は、出会ったときもその傷に苦しんでいたようだった。 「まだ、痛むんですか……?」 心配げに、ルーネは腰をかがめ少年の顔を見る。 苦しそうな顔。 不意に、少年の手が伸びた。 それはルーネの胸の中央に触れ、止まった。 「え?」 突然のことにルーネは反応できない。 胸の中央……心臓の真上に、少年の手があった。 胸が熱くなる。少年の手のあるところから、熱が生じたかのようだ。心臓が早鐘のように早く、そして強く打たれる。こんなに強くては、少年の手に伝わってしまう……そんなことを考えると、余計に動悸が速まるような気がした。 息が、苦しい。声を出すことも出来ない。 ずっと長く続くと思えた、でもわずかな時間。それは、すぐに終わる。 少年の手が、ぐっと強く握られた。不安定な姿勢だったルーネは、その指の動きに押されるように姿勢を崩し、そのまま腰を落とした。 地面に触れるずん、という衝撃が自分の中に響くのを、ルーネはまるで他人のことのようにぼんやりと感じる。 「何も……」 不意に、少年の声。 まだ目を開いていない。ただ、紡がれた声。どこか弱々しく感じられる声だった。 「何も……掴めない……」 悲しむような、後悔するような、少年の言葉。 ルーネは訳が分からない。 ふと、自分の胸元を見る。そこに、少年の手があったことを思い出す。 かあっと、頬が熱くなった。 そのことを意識すると、手は自然に素早く無駄なく動いた。 景気のいい、二重の炸裂音が高く鳴った。 ・ ・ ・ 「一体なにがあったんだ……」 少年はうめきながら、自分の頬をさすった。両頬は、赤く染まっている。その赤は、手のかたちしていた。 ルーネの平手打ちの跡だった。 両手での二連撃の平手打ちは、あまりの速さのため一つの音に聞こえた。その間隔があまりに短かったため、少年の頭は右にも左にも振れなかった。ほぼ同時の衝撃は少年の頭をほとんど動かさず衝撃のみを残したのだった。 結果、少年は軽い脳しんとうを起こしていた。そのためまだ意識がはっきりしていないようだ。 あぐらをかき、頬をさすりながら辺りをぼんやりと見る。 「自業自得ですよ」 慎ましやかな胸を両手で抱くように押さえながら、ルーネは口を尖らせ呟く。 いつもは少年のすぐそばに腰を下ろすのだが、今は少し離れた位置にいる。 「どうせ、わたしの胸には掴むところなんかありませんよーっだ……」 「ん? なんだって?」 拗ねたようなルーネの呟きを、少年が聞きとがめる。 ルーネは手をばたばたと振りながら慌てたように言う。 「な、なんでもありませんっ! それより随分うなされていたようですけど、まだ傷は痛むのですか?」 ルーネの言葉に、少年は視線を左腕に移した。ルーネはそっとため息をつく。 「ああ。いや、この傷はもともと大したもんじゃないし、ほとんどふさがりかけている」 「でも……ワーウルフにやられたんでしょう? 大丈夫なんですか?」 少年は、この町に来るときにワーウルフに出会ったのだと言った。ルーネも最近この辺りに現れるという話は聞いていたが、実際に見たことはなかった。とても強く恐ろしい怪物だと聞いている。 「まあ、な」 だが、少年はこともなげに答えた。 ルーネはその言葉にほっとする。少年は、強い。だから、大丈夫なのだろう。 だが、それでも疑問は残る。 「じゃあ……何でうなされていたんですか?」 「別に……」 「昼間から眠ってるから悪い夢を見るんですよ」 小さな子供を叱るように、おどけた調子でルーネが言う。少年はその言葉にそっぽを向き、 「夜は眠れないんだ」 そう、呟いた。 「え?」 「夜は……恐ろしくないか?」 「な……なにを言ってるんですか? 小さな子供じゃあるまいし……」 ルーネの戸惑うような言葉に、少年は頭を振った。今の自分の言葉を振り払うかのように。 「夜は魔物の時間だ。町から近いと言っても、こんな場所にいれば嫌でも気をつけたくなる。のんきに眠っていられるか」 言い訳でもするかのように、少年は早口にそんなことを言った。 しかし、ルーネはその言葉を意味通りに受け取り、そうですか、と頷いた。 「でも、お昼寝ばかりしていてはお師匠さんが来てもわからないんじゃないですか?」 細い三つ編みを揺らしながら、ルーネは首を傾げそんなことを聞いた。 少年はため息を吐く。 「師匠は俺がどこにいるかはすぐにわかるよ。この”意力剣”があるからな」 少年は脇に置いた剣に目をやった。 真っ黒な柄。その中央に収まる宝珠は、深く澄んだ緑。刀身は、革製の鞘に収まっている。 「初めて抜いたとき、使用者の”もっとも強い”と想っているものを形とし、力とする魔剣――意力剣。師匠との旅の中で、俺が初めて自分の手で手に入れた剣だ。師匠は相手の意を読む力に長けてるから、この剣がある限り俺がどこにいるかなんてすぐにわかるさ」 「へぇ……」 ルーネは感嘆の声を上げ、その魔剣を見た。闇のように黒い柄は、不気味ではあるがそれ以上に神秘的に思えた。 吸い込まれそうなほど深く輝く宝珠も、どこか幻想的に思えた。そうなると鞘に包まれた刀身がどうであるかが気に掛かった。 「どんな剣なんですか?」 「え?」 「抜いて見せて下さいよ」 目を輝かせ、ルーネは言った。 少年はそんなルーネの視線を振り払うように手を振り、呟いた。 「お前には……見せてやらないよ」 「え〜?」 「こいつは無闇に抜くもんじゃない……」 まるで自分に言い聞かせるように、少年は言った。 しかしルーネは 「けちですねっ」 そう、言った。 その子供っぽい物言いに、少年の顔がわずかだがほころぶ。 「だいたい、お前はここに夕日を見に来たんだろう?」 「え? ええ」 「だったら、ちゃんと見てろよ。俺の剣の事なんて気にしてどうするんだよ」 「そう……ですね」 呟き、視線を夕日へと向ける。 今まさに沈もうとする夕日は、空を燃えるように紅く染め上げていた。 「本当に、綺麗……」 「確かに綺麗な光景だけどよ……わざわざ毎日来るほどのものか? ずっと見たら、見飽きちまうんじゃないか?」 「そんなことありませんよ」 そういうと、ルーネはふわりと立ち上がった。 紅い髪がふわりと舞う。夕日に負けないくらい紅い髪は、そのまま空に溶けてしまいそうだった。 少年に、微笑みを向ける。風でも吹けば消えてしまう――そんなことを思わせる、儚い微笑みを。 「この光景が好きなんです。……この時間が、好きなんです」 独り言のよう、少女は静かに言葉を紡ぐ。 「この……時間?」 「この時間、こんな場所に来る人はいません……ひとりでいられます」 「ずいぶん寂しいことを言うんだな」 少女は、両手を上げ、その手を覗き込む。 「わたしはこんな”手”だから……誰ともなじめません」 「そりゃ、魔力ちらつかせて喧嘩売ってりゃ誰ともなじめないだろうな」 いつもと変わらないぶっきらぼうな言葉に、少女に表情が戻る。 「違いますっ! わたしそんなことしませんっ!」 「だって出会ったとき……」 「あ、あれは特別ですっ! わたしはあの力で人を傷つけたことなんて一度もありませんっ!」 そういうと頬をぷうっと膨らましてそっぽを向いてしまった。 少年はその様に、思わず吹き出してしまう。 「ひどいです」 「悪い悪い……でもそれなら、そんなに気にすることもないと思うけどな。魔法を使えるやつは珍しくないし、子供の頃制御がうまくできなくて暴走させちまうやつだってけっこういるぞ」 「この辺では珍しいんですっ。 あなたにはわからないんですよ。……だから、できるだけ使わないようにしているんです」 ルーネは、話ながら夕日へと踏み出す。 一歩、二歩、ゆっくりと。 目を細め、暖かな光と緩やかな風を楽しむように、すこしずつ歩む。 「でも……この時間になら使っても許されるような気がするんです」 ルーネは、かるく前に跳んだ。 そのまま、軽快な動きでステップを刻んだ。踊るように、右に左に跳ぶ。 舞うように、両手を振る。 その両手には蒼い光――魔力の光が灯っている。 光は軌跡を残す。 時に緩やかに、なめらかに 時に鋭く、直線的に。 光の軌跡は消えず、絡まり、複雑な形を為していった。 デタラメで、絡み合い、でもなぜかどこか規則性を感じさせる不思議な線の連なり。 夕日の丘に描かれたのは、それこそ魔法のような光の模様だった。 「昼でも夜でもない、どちらでもない曖昧な時間だったら……わたしみたいな子が、いてもいいような気がするんです」 光の中、歌うように高らかに、少女は言った。 少女は舞う。 手で、指で、次々と紡がれる光の線を楽しむようにステップを刻む。 手から、指から、いつまでも続く光から逃げるようにステップを刻む。 少女の髪は、空の赤に染まるように。あるいは空を紅く染めるように。ゆるやかに、涼やかに。風と光に舞う。夜の闇から浮き上がるように紅く輝く。 蒼い光の軌跡は、夜の近づく紫の空に溶け込むように。ゆるやかに、なだらかに。蒼く輝く。赤い空を切り裂くように、蒼く輝く。 紅と蒼と。肯定と否定と。同化と異化と。 矛盾して調和している、幻想的な舞。 「お前……」 少年の呟きに、少女の動きが止まる。 少女は、首をかしげ少年の言葉を待つ。 「本当に、その力が嫌なのか?」 少女の動きが、完全に止まる。 手の光も弱まり、それと共に光の軌跡も夢のように消えていった。 「どうなんでしょうね……?」 戸惑うように、少女は呟いた。 夕日は沈もうとしている。急速に夜のとばりが降りてくる。 夕日が沈みきる前に、 「でも、嫌なんです。こんなのは、やっぱりない方がいいんです」 少女は呟いた。何かに抗うかのように、強く。 「力は、なにがあるかではなく、どうあるかが大切だ。何が与えられたかじゃなくて、何を得ようとするかが大事だ」 「師匠さんの御言葉でしたか……?」 「ああ。お前は、もっと自分の力を好きになってもいいんじゃないかと思う」 少年の言葉は真剣だった。 ルーネはその言葉に、儚い笑みを浮かべる。 「姉さんも、その言葉と似たようなことを言っていました。……わたしには、わかりません」 「なに?」 「アム姉さんが、あなたに来て欲しいそうです」 夕日に代わり、月の光に照らされる中、少女はにっこりと微笑んで言った。 今までの儚さを振り払うかのような強い微笑みだった。 「今晩は、ごちそうしますよ」 続く |
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