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黒髪の狂獣機外伝
蒼の魔手

第一章


「こんなところでどうしたの?」

 後ろからの声に、少女――ルーネは視線を手元から声のした方、背後へと向ける。
 そこには、一人の女性が立っていた。
 優しげな目元の、どこかおっとりとした感じの、20代前半ぐらいの若い女性だ。

「アム姉さん……」
「……なにか、あったの?」
 
 アムと呼ばれた女性は、優しげに微笑みながらルーネに問いかけた。肩まで伸びた金色の髪がさらりと流れる。
 その言葉にルーネは首をブンブンと横に振る。
 
「いいえ、なんでもありません」
「そう……?」
 
 そう言いながら、アムは目をルーネの手へと向ける。

「……また、使ったんですか?」
「え、ち、違います……」
「うそおっしゃい、ほら」

 アムは、ルーネの手をぐいと掴んだ。
 ルーネの手は、わずかながら蒼い燐光で包まれている。魔力の残滓だ。

「あまり使わないようにしなくてはいけないわよ」
「でも、仕方なかったんです」

 視線を逸らし、ルーネは呟く。
 アムは、そんなルーネを引き寄せ、抱きしめた。暖かで優しい抱擁だった。

「……あなたが正しい使い方をしても、脅える人がいるわ」
「じゃあ、使わないようにしなくちゃいけないんですか? わたしは他人を脅えさせないように、自分の力にずっと脅えなくちゃいけないんですか?」
「違うわ。力は……」
「”なにがあるかではなく、どうあるべきか”……また、そう言うんですか?」

 そういうと、そっとルーネはアムから離れた。名残惜しそうに、宙をかくアムの手。

「わたしには、わかりません」

 そして、ルーネは駆け出した。

「ルーネ!」
「大丈夫! いつものところにちょっと行ってくるだけですから!」

 呼び止めるアムの言葉に振り向きもせず、ルーネは町の外へと真っ直ぐ駆けていった。





 
 
 ルーネは緑の絨毯のような丘を駆け上がっていた。
 ところどころ野草が花を開き、春の優しい風に揺れる。
 日は暮れ始め、柔らかい光の春の太陽はその身を赤く紅く変えてゆく。
 そんな穏やかさの中、逆らうように少女は駆ける。まるで何かから逃げるかのような必死さを感じさせる疾走だった。
 急に止まる。
 ふと、振り返る。
 眼下には彼女の住む町が広がっていた。
 街と言うにはほど遠く、かといって村と言うほど小さくはない、ほどほどの大きさの町だった。
 この丘の頂上に登れば、それが一望できる。
 それを、わずかな時間眺め、ルーネは再び駆け出した。
 
 丘の上には、一本の大きな木がある。
 ルーネの背の何十倍も高い、大きな木だ。丘の上、なぜか一本だけそびえ立っている。
 そこで沈む夕日を眺めるのが、ルーネは好きだった。
 特に、今日のような日は……しばらく、一人でいられるそこにいたかった。
 しかし……。
 
「あ……」
 
 丘の頂上。
 いつもは誰もいないはずの木の下から、煙が上がっていた。
 たき火だ。その前には、誰かが座っている。
 
(誰……?)

 こわごわと、近づく。
 
「ん? 誰だ、お前は?」

 ルーネに気づき、人影が誰何の声を上げる。同時に、音もなく立ち上がる。
 その声は若い。男の――少年の声だ。
 立ち上がるその姿もまた、少年のものだった。
 背丈はルーネとそう変わらない。短く切りそろえた黒髪に太い眉。意志の強そうだか、どこかまだあどけない瞳からして、ルーネとそう年は変わらない――13、4歳のようだ。見覚えのない顔だ。おそらく、町の外から来たのだろう。
 その身を包むのはレザーアーマー(皮鎧)。背には緑の宝珠が埋め込まれた真っ黒な剣の柄が見え、腰にもショートソードらしいものを挿している。冒険者、あるいは剣士のようないでたちだ。事実、そうなのかもしれない。
 この国では、こうした者は珍しくない。
 ただ、この場所にいるのが珍しい。周りに何もない丘の頂上は、街道からも離れていて旅人の気を引くものではない。ルーネのように「夕日を見る」などという特別な理由がなければ、町の人間ですら滅多に来ない場所だった。
 ルーネは、しばし予想外の旅人を呆と眺めた。
 
「誰だって、聞いてるんだけどな」

 ムッとしたような少年の声に、ルーネはようやく言葉を返す。

「あ、あなたこそ誰ですか?」
「聞いているのはこっちの方だ」
「先に答えてくださいっ」
「なんでだ?」
「人に名乗るのはまず自分から答えるのが礼儀です」
「お前自分で何を言ってるかわかってるか」

 少年は、ルーネの方を指さして言った。
 ルーネは自分が指さされるのに不快感を覚えながら、しばし考える。そして、今度は少年の方を指さし返しながら、
 
「あなたみたいな失礼な人に名乗る名前はありませんっ!」
「じゃあ俺も名乗らないよ」

 少年はつまらなそうにそう言うと、そのまま背を向けたき火の方に戻る。
 一方、ルーネの方は言うことをこれ以上言うべきことがなくなって固まってしまった。
 少年は振り返り、
 
「用がないなら失せろ」

 邪魔そうに、手を振り払いながら言った。
 あまりにぞんざいなその言葉に、ルーネは身を震わせ、そして口を大きく開いた。
 
「私はこの場所に用があるんですっ!」
「この場所?」
「毎日ここで夕日を眺めるのが日課なんですっ!」

 ためらい無く言い切った少女の言葉によって、一瞬の沈黙が降りる。
 ややあって、

「妙な習慣だな……」

 あきれたように少年はつぶやいた。
 
「余計なお世話ですっ! あなたこそ邪魔だからどこか行ってくださいっ」

 少年の言葉にさらに気分を害したのか、少女の声は徐々に大きくなっていった。
 
「夕日なんてどこで見たって同じだろう?」
「違いますっ! だから、どこか別のところに行ってたき火でも何でもやって下さいっ!」
「やだね」

 少年の短い否定に、ルーネはとうとうガマンならなくなった。
 自分の大切な場所に勝手にいるこの異邦人を、許せなくなった。
 
「どうしてもそこから動かないと言うのなら……わたしにも考えがあります」
「へえ……どうするって言うんだ?」
「こうしますっ!」

 右手をかざす。
 そして、ぶわりと蒼い炎のような揺らぎ――魔力の光が覆う。
 先ほどジェフの前で見せたものよりずっと大きい。
 
「どうです? ケガをしたくなかったらそこをっ……」

 威勢良く言おうとして、そして、言葉を続けられなくなった。

 空気が変わっていた。
 
 先ほどまでの、沈み行く夕日に照らされたのどかで穏やかな空気ではない。
 触れたら切れそうなほどの、ピリピリとした空気だ。
 なにか一つでも間違えたら取りかえしがつかなくなる……そんな初めて味わう重圧感の中、ルーネは言葉を続けることも、指一本動かすことさえも出来なかった。
 周りは何も変わってはいない。
 夕日に照らされた木も。その長い影も。足下をくすぐる野の草たちも、何一つ変わっていない。いつもと同じだ。
 ただ、目の前の少年だけが変わっていた。別に身構えたわけでもなく、ただその身に纏う雰囲気が変わっていた。それがこの張りつめた空気を生みだしていると、ルーネは直感的に理解していた。
 ルーネは知らなかった。これが、殺気と呼ばれるものであると。
 
「魔導師か……?」

 少年は、独り言のように呟いた。そして。
 ふっ、と。
 少年は消えた。

「え?」

 まず、痛みを感じた。
 魔力をまとう右手が、強い力で掴まれている。
 そして、次に冷たさを感じる。
 首筋に、鉄の冷たさ。
 ルーネは、視線のみを下に動かした。他の部分を動かしてはいけないと直感的に感じた。
 その予感は正解だった。
 視界に写ったのは、少年の顔。
 自分の右手を掴み、いつの間にか抜いた短剣を自分の首筋に当てる、少年の顔だった。
 
「鈍いな……」

 少年は呟き、ぐいと乱暴にルーネの右手を捻った。
 痛い。しかし、悲鳴を上げることも逃げ出すことも出来ない。刃の冷たさが、それを許さない。
 少年はわずかにルーネの右手へと視線を向け、つぶやく。

「ただ魔力が”ある”だけ……意志もなければ術法もない、か。お前、魔導師じゃないんだな」

 ルーネは、何も応えることが出来なかった。恐ろしさに震え出す体をなんとか止めようとするのに必死だった。震えれば刃が突き刺さってしまうかもしれない。そう考えると、わずかな身動きもとれなかった。
 そんなルーネの瞳を、ただ少年はじっと見つめる。鋭い目だ。それが鈍く光り、そして……。
 
「なんだよ、素人か」

 呟くと、唐突に突き放した。
 よろよろと後ずさり、
 
「い、いきなりなにをするんですかっ……」

 消え入りそうな声で、ルーネはそれでも抗議の声を上げた。
 鼻にかかった涙声だった。言葉を発してはじめて、ルーネは自分が泣き始めていることに気がついた。
 足の力が抜ける。止めることが出来ず、そのまま柔らかい下草の上に腰が落ちる。
 ずんという、衝撃。
 それがきっかけとなったのか、あとからあとから涙がこみ上げてきた。そうなると、止まらなかった。
 ルーネは、ついに声を上げて泣き出してしまった。
 少年は、目を白黒させている。こんな事になるとは予想していなかったようだ。

「こ、こら! なんで泣いてんだよっ!?」
「ひどっ……わたっ……わたしっ……」
「別に何にもしてないだろうっ!」
「うそっ…手っ……痛っ……」
「そんな強く掴んでないっ!」
「わたっ……殺っ……殺されそうにっ……」
「そんなつもりはないっ!」

 少年は慌ててまだ手の中にあった短剣を腰のさやに収める。そして、安全を示すように両手をさらす。
 しかし、緊張が切れたのか、ルーネは泣きやむことができない。
 少年はため息をついてガシガシと頭をかいた。

「ゆうっ……えぐっ……ゆうひっ……見たかっただけなのにっ……だけっ……なのにっ……」
「ああもう、ここからどいたやることはできないけど、夕日ぐらい見せてやるからっ! だから泣きやめっ!」
 
 そう言いながら、ルーネに向かって手をさしのべた。
 ルーネはその手を見ると、脅えたように不思議そうに見つめた。

「今度はちゃんと加減するから、大丈夫だ」
「……いいの……?」
「いいのって……だからいいんだってば、ほら!」

 少年が念を押すと、ルーネはおそるおそるその手を伸ばした。右手だ。泣いて魔力の制御が乱れたのか、その手にはまだ蒼い光がまとわりついている。しかし少年は、それが見えないかのように手を取った。
 固い手だった。でも、ルーネには暖かに感じられた。
 少年はルーネを少女を立ち上がらせると、木の下へと歩き出した。
 歩きながら、少女は左手で必死に涙をぬぐっていた。まだ少ししゃくり上げているが、それもおさまりつつあった。
 少年が立ち止まる。ルーネは、顔を上げた。
 目の前には、見慣れた――それでも見飽きない、美しい光景が広がっていた。
 
 町から伸びゆく道が遠く見える山々まで続くのが見える。その山と山の間、今まさに夕日が沈もうとしていた。
 暮れゆく夕日は、遠くに見える山々を影絵のように見せる。そこから続く道も、ところどころに生える木々も、その足から生える長い長い影も……なにもかもが照らし出され、そしてそれらよりより大きな影に飲み込まれようとしていた。
 いままで赤かった空は徐々に紫になり、青くなり……そして、星を抱く黒い夜の空へと変わる。
 
「……へえ……」

 少年が、感嘆の声を上げた。ルーネは少年の方を見やる。
 手をつなぎ傍らに立つ少年の顔は、思いのほか近い場所にあった。
 少年はそっぽを向き、鼻をぽりぽりとかきながら
 
「まあ、確かに毎日見るくらいの価値はあるのかも知れないな」

 と、小さく呟いた。
 ルーネは、まだ少ししゃくりあげながら、それでも大きく首を振り、少年の言葉に頷いたのだった。


続く

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