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黒髪の狂獣機

第六章「黒の破壊者」


 ルーネは魔導師ギルドで名を知られる程優れた魔導師だ。
 準備に時間がかかるため本来は魔法の武具や防具、あるいは大規模な儀式に使われる紋章記述式魔法。この術式を通常ではありえない程の速さで発動させ、そして雷の呪文を好んで使うことから「雷光手」との異名を与えられていた。

 だから、そのときも即座に反応することができた。

 崩れ落ちてきた”導きの塔”の外壁の一部。そのまま落下すれば広場に密集している何人もの人々をつぶしかねないその巨大な落下物に対して、両手をかざす。
 手袋をはずしている暇はない。
 あふれ出る魔力に、弱い封印の力しか持たない手袋はちぎれとんだ。
 冷たい夜気にさらされ、なお冴え冴えとした蒼い燐光を放つ指。それらが閃くと、虚空に精緻な紋章が現れた。

「猛れ、雷の腕っ!!」

 叫びにも似たルーネの呼びかけに、魔法陣は起動する。
 荒れ狂う雷は、瓦礫をこなごなに砕き散らした。
 中には大きな破片もあったが、砕けないままに落ちることを考えれば微々たる物であった。
 しかし、雷自体の轟音と外壁の破砕音、そして降り落ちる破片は人々はより大きな混乱を招いた。

 (……これは、仕方ありませんね……)

 あたりの様を見ながら、ルーネは冷静に周りの状況を把握した。
 この状況下で冷静でいられるのは、ルーネが魔導師であり冒険者であることが大きい。しかし、それだけではない。
 目の前にはラルフの背中がある。
 広場の隅にいたため、ルーネの背後は壁だ。そして、魔法陣を描こうとしたとき、ラルフが体を張って彼女を守った。そのためルーネは魔法陣を描くことができたのだった。もし広場の混乱の中にいたら、たとえ”雷光手”の異名を持つ彼女であろうともああもうまく外壁を破壊することはできなかっただろう。

 (……大きな背中です)

 ルーネは、混乱のさなかにありながら穏やかなものを感じていた。

 (でも、和んでいる場合ではありませんね)
 
 上を、見る。
 ”導きの塔”は、その最上階を失っていた。先の光の奔流で最上階の半分が吹き飛び、そしてもう半分の大半が地に崩れ落ちた。それもルーネの雷によって砕かれている。

「フィーッ!」

 ラルフの叫び。
 それに応えるかのごとく。
 ぶわりと、塔の頂上から黒く広がるものがあった。たゆたい広がる黒髪は、間違いない。フィーのものだ。
 
「封印が解けたのですね……」

 あるいは、解いたのかもしれない。そうでなければ、あの破壊の中で生き残れなかっただろう。
 そして、黒髪は跳んだ。
 その広がりのまま、まるで空を飛ぶかのように夜空に舞っていった。
 
「どこへ行くんだ……」
「あの方向は……あの光の放たれた場所……?」

 未だ夜空に残る魔力の残滓を感じ、ルーネは推測した。
 
「くそっ!」

 群衆の中を、ラルフは無理に突き進もうとする。
 しかし、混乱した人々の動きの中、満足に動くことはできない。
 それでも強引に進もうとするラルフに、ルーネがしがみつく。
 
「待ってくださいっ! フィーを追うつもりですかっ!?
「当たり前だろっ!」
「あの光は魔法でしたっ!」
「だから何だっ!?」
「あんな高出力の魔法を放つ相手に素手で立ち向かうつもりですかっ!?」

 街の重要物だけに、塔は結界が張られていた。それは決して弱いものではなく、祭りのさなかでも魔法に対する防御力は健在だった。並みの呪文なら傷すらつけられなかっただろう。しかし、あの蒼い光は威力を減ずることなく塔を打ち崩したのだ。
 
「だがっ……急がないとっ……守るって、俺は守るって約束したんだっ!」
「だったらなおさら落ち着いてくださいっ! こんな状況で自分を見失ったら、あの流れに巻き込まれますよっ!」

 広場は、混乱のさなかにあった。
 街と、そして今夜の祭りの象徴である”導きの塔”の破壊。そして続く雷による落下物の破壊。二つの破壊は、広場にいた人々を恐慌に陥れた。
 笑い声と歓談で満たされていた広場は、今や悲鳴と怒号が支配している。
 逃げようとする者。どこに行けばいいのかわからず、辺りを見回すばかりで動けない者。呆然と破壊された塔を見上げるもの。泣き叫ぶ子供。子を呼び続ける親。他人を押しのけてでも逃げようとする者。
 全ての者の表情を占めるのは、恐怖と混乱。
 広場の端とは言え、こうしてこの場に止まることすら難しい状況だった。下手に巻き込まれれば命すら危ういかもしれない。

「ぐうっ……」
「まずはなんとしても宿に戻って装備品を整えましょう」

 フィーの行く夜空を仰ぎ見る。
 喧騒の中、月だけが冷たく静かな光で輝いていた。
 
「……急ぎたいのは、私だって同じなんです」

 ルーネは、ぎゅっと固く拳を握った。





 フィーは夜空を駆けていた。
 家々の屋根を魔導兵器としての脚力でもって蹴り、跳ぶ。
 ”髪"を煙突や屋根の縁にかけ、、引くことによって加速する。
 高く、速く、光の元へと駆けていく。
 地を走れば、逃げ惑う群集に巻き込まれる。
 高くなければ、二発目の魔法に建物が巻き込まれてしまうかもしれない。
 速くなければ、三発目の魔法を放つことを、許してしまうかもしれない。
 だから、より高く。
 だから、より速く。
 フィーは駆ける。
 
 (どうして……)
 
 あの時。
 ようやく”導きの塔”の最上階に着き、”紅の導宝珠”に触れたとき。……自分の未来を垣間見たとき。
 突然の予感に、フィーは”髪”を広げた。
 ルーネの言葉のとおり、その気になれば封印は簡単に解けた。
 わけもわからず体を包むように”髪”を巻き……衝撃と轟音。降り注ぐ瓦礫。
 それらすべてを”髪”によって何とか防いだ。
 音が止み、つかの間の静寂に髪を解けば、目に入ったのは降るような星空だった。
 綺麗だと思った。
 
 (どうしてだろう……?)
 
 意識せず、”髪"が広がった。
 ”髪”を広げるということは、フィーにとって常態であり、同時に臨戦態勢でもある。しかしこのときは、不思議とごく自然に意識していた。……自分が、戦闘態勢にあると。
 ふと、足元へ目を向けた。
 喧騒。怒号。混乱。
 塔の下は、そういった類のもので占められていた。
 その中には、塔に入る行列で一緒に笑った商人たちがいるはずだ。
 あのときは、笑顔だった。。
 思えば、フィーがこの街に入ってから見た表情はみな穏やかなものだった。
 祭りを楽しみにするもの。”導きの塔”に、希望に眼を輝かせるもの。
 そんな表情だった。
 いま、それは失われていた。
 そして、跳んだ。行くべき先はわかっていた。
 
 (どうして、今まで”思い出さなかった”んだろう?)
 
 跳んでからわかった。
 自分の向かう場所に何がいるか。
 意識を取り戻し、初めて戦った敵。
 わけもわからず戦い、そして勝てず、逃げるしかなかった強敵。
 
 倒さなきゃ、いけない。
 
 わけもわからず、しかしどこか確信を持って。
 フィーは夜空を渡る。
 
 ・
 ・
 ・
  
 それは、轟音と共に現れた。
 
 そしてそれを見ていたのは、宿直で門の見張りをしていた魔導師だけだった。
 祭りとは言え、夜も更けはじめたこの時間にそれも人の訪れることの少ない北門を警備していた彼は、退屈を感じていた。まだ若い彼は、祭りの日に自警団の警護の順番が回ってきたことを不運に思い、暇を持て余していた。門に備え付けられた詰め所を出て、ぶらぶらとして退屈を紛らわせていた。
 だから、突然現れたそれに、彼が最初に気がついた。
 
 全体の印象を一言で言えば、角のない甲虫のようだった。

 ずんぐりとしたいびつな丸みをもった巨大な体を、虫のような4対の足が支えいている。左右には、巨大な丸太のような腕――いや、間接のないそれはまるで砲身のようだ。丸い身体の上にはこれまた小さな丸い球状の固まりがのっかており、位置からすると頭のようだった。
 それら全てが黒い。その光沢は金属のようだったが、全体がまるで高熱にあぶられたかのように微妙に歪んでおり、全身に禍々しい印象をもたせていた。
 祭りの出し物にしては異様だと思いながら、それを調べようと近づいたとき。
 それが、太い腕を振り上げた。
 
 次に視界を占めたのは青白い光。耳を占めたのは轟音。そして、暗黒が意識を満たした。
 
 目を開けると、星空があった。
 意識を失ったことを自覚しながら、身を起こした。ジャラリと音を立てて胸元からなにかが落ちた。防御魔法の込められた護符をつけていたことを頭の隅で思い出しながら、前を見る。
 70フィート(約21メートル)ほど先に、巨大な黒い甲虫がいた。
 10フィート(約3メートル)に達する巨大なもの。門の前に現れたそれは、今全身から熱気を発し周囲の空気を歪ませていた。心なしか、その全身が一段と歪んだように思えた。
 門はなくなっている。門には警護用の詰め所があったし、近くには木も生えていたが見あたらない。詰め所には、彼の同僚がいたはずだ。
 それらがみな、ない。
 ふと、後ろを見る。
 遠くに見えるのは、街の中央。祭りの明かりに照らされた”導きの塔”。子供の頃から見慣れたそれが、今まで見たことのない姿をさらしていた。
 ”紅の導宝珠”がおさめられているはずの、最上階が……ない。
 直感的に、目の前にいる”もの”が全ての変化を引き起こしたと思った。
 状況のわからないという不安と混乱は、怒りによって塗りつぶされた。
 
「全てを凍てつかせる氷の精よっ!
 我が呼びかけに集え!
 集い形をなし力となれっ!」
 
 朗々と呪文を叫ぶ。
 魔導師の前に、一抱えはある氷の固まりが生まれる。

「貫く力となり
 凍える力となり
 うち砕く力になり
 目の前の敵を滅ぼせっ!」
 
 魔導師は、目の前のものを指さした。
 それに従うように、高速に氷は虚空を駆ける。
 呪文の詠唱とゼスチャアによって発動する詠唱式魔法。
 小家程度なら凍らし砕くことのできる、彼の扱える最強の氷系魔法だ。
 
 その進む前に、銀色のコマのようなものが現れた。
 拳大の銀色の円錐。その頂点から細い銀色の糸が出ており、それはどうやら黒い甲虫と繋がっているようだった。
 それが氷の魔法の前、宙に浮かんでいた。
 ”銀のコマ”が底面を氷の魔法に向ける。

 激突する。

 魔導師は、氷の魔法がその”銀のコマ”をはじき飛ばし、目の前の黒い甲虫を凍りつかせる瞬間を思い浮かべた。
 しかし、次に起こったことは魔導師の想像とかけ離れていた。

 氷の魔法が消えた。

 ”銀のコマ”に触れた瞬間、消えてしまった。
 
 続いて響いたのは爆音。
 
 ”銀のコマ”がその頂点を中心に展開し、そこから爆炎を吐き出したのだ。
 
「俺の魔法を吸収して爆発に”変換”しやがった……?」

 魔導師は呆然と呟いた。
 魔法を防ぐ手段というのはいくつか存在する。しかし、基本となるのは「魔力で魔力をうち消す」――つまり、放たれた攻撃魔法に対して、それ以上の魔力を持った防御魔法で防ぐという方法だ。
 しかし、”銀のコマ”が行ったのは魔法を強引に吸収して爆発という形で無理矢理処理してしまうという乱暴な方法だった。彼が思いつきもしない、未知の防御法だった。
 
 黒い甲虫が、こちらを見たような気がした。
 目もない頭部に、目のような二つの球がある。それらが動き、自分を”見た”ような錯覚を覚えたのだ。
 そして、黒い甲虫はこちらに腕の先を向けた。
 目の前の、そして”導きの塔”の破壊をもたらしたであろう、いまだ熱気を立ちのぼらせる、その腕を。
 魔導師は、死を覚悟した。
 
「だめーっ!!」

 突如響いたのは、声。そのどこか舌っ足らずな感のある高い声は、少女のもののようだ。
 魔導師は声のした方――後ろに振り返った。
 
 そこには月。
 その月を覆うように伸びる幾条もの黒い線は、空中にある影から延びている。
 その影は、小さく、人の形をしていた。
 あの声を発したのがあの影だとすると、あれは少女でありいくつも伸びる黒い線は少女の髪であるようだ。
 わけがわからない。
 そして、また目だけでなく耳もわけのわからないものを感じた。
 それは異音。
 その影から聞こえた音は、今まで聞いたことのない、ひどく深く響く”異音”だった。
 そして、彼は強力な魔力を感じた。
 少女から放たれたのは炎の魔法。強力な炎の魔法だった。
 それは一直線に黒い甲虫に向かい……そして、今度は二つの”銀のコマ”に阻まれ、二つの爆炎に”分解”された。その爆炎一つ一つが、彼の放った魔法を”分解”したそれより大きかった。

 
 黒い甲虫が、その腕を少女に向けた。
 放たれたのは青白い光。桁違いの魔力を秘めた、強力な魔法の光だった。
 光が放たれると同時に生まれた衝撃に、魔導師は吹き飛ばされ、地面を転がった。
 衝撃を感じようやく止まる。背に壁を感じ、それで止まることが出来たようだ。
 見上げる。
 まだ放たれた魔力の残滓は残っていた。夜空を立つような光の線と、それにまとわりつくように散らばる光の粒子。
 彼は、少女の姿は探した。
 あった。それもひどく近かった。
 
 目の前に、少女が降ってきた。

 自由落下ではあり得ない高速で、少女は目の前に降りてきた。
 魔導師は、自分の周囲の地面に少女の髪が突き立っているのを見た。
 髪を引いて落下速度を増し、魔力の光をかわしたようだ。
 
 少女は地に降り立つ。
 すさまじい落下の衝撃音が響……かなかった。
 代わりに聞こえたのは、あの異音。
 先ほどの異音と同質だが、その遙かに大きい異音だった。
 少女の足下には、魔法陣があった。
 二重円と、円と円の間にいくつもの複雑な模様をもつ魔法陣は、その魔導師の初めて見るものだった。
 それが歪む。ゆらゆらと、まるで空間そのものが歪んだように、魔法陣は歪んだ。
 魔導師はそこから唐突に巨大な魔力が生じるのを感じた。
 
「行けぇっ!!」

 少女の声。
 そして、魔法陣にはじき返されるように少女の身体が魔導師の方に跳んだ。
 かろうじて、魔導師は受け止めた。骨が軋み、体中が悲鳴を上げる。魔法を扱えるがゆえにあまり鍛えていない魔導師の身体に、二度に渡る衝撃は大きなダメージを与えていた。
 しかし、受け止めた身体は軽かった。驚くほど強力な魔法を操るのは、やはり声の印象通り少女のようだった。
 しかしそのことに驚いている暇はなかった。注意は少女の放った魔法にいく。
 少女が放った魔法は、不可視の衝撃波だった。
 それこそ、小山ぐらいなら砕いてしまいかねない強力な破壊力をもった魔法だった。

 地を砕きながら進むその巨大な魔力を迎えうつのは、5つの”銀のコマ”。

 5つもあれば、どんな強力な魔法も分解されてしまうだろう。魔導師は、漠然と5つの爆炎に”分解”される様を思い浮かべた。
 
「砕けろっ!!」

 腕の中の少女が叫んだ。
 その声に呼応するかのように、衝撃波に変化が起きた。
 一つの大きな固まりだった衝撃波が、無数に分かれたのだ。
 5つの爆炎が生じ、いくつもの衝撃音が生じた。
 ”銀のコマ”が受け止めきれなかったいくつもの衝撃波が、黒い甲虫に激突したのだ。
 その衝撃は、黒い甲虫をの巨大な体を倒し、地につけた。
 
「よしっ!」

 少女が一声上げて立ち上がった。
 魔導師は、立ち上がった少女の姿を見た。
 その背丈は5フィート(約150センチ)にも満たない。その小さな身体から伸びる髪は異様に長く、そしてまるで意志を持つかのごとくうねっている。
 
(人間ではないのか……?)

 魔導師は、漠然とそんなことを思った。
 少女は駆け出そうとして……ふと、振り返った。魔導師の方を見つめる。
 その顔は、魔導師の抱いた印象とは異なり、あどけない子供のものだった。
 ただ、その大きな黒い瞳が、悲しげな色に染まっていた。
 
「ごめんなさい……」

 消え入るような声でその一言を残すと、風のように速く少女は駆けていった。街の外へ。
 魔導師が呆然としていると、今度は轟音が注意を引きつけた。
 その爆発にも似た音に目を向けると、そこは黒い甲虫が倒れていたはずの場所だった。
 そこにはもう、何もなかった。
 
 魔導師は、何もわからないまま、そのまま意識を失った。
 今度は、夜明けまで目を覚ますことができなかった。

 
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