「……好きです」 その言葉は意外なほど簡単に出た。 誰もいない体育館。明かりの届かない暗がりが恐い。しんとした空気が冷たい。誰もいない静けさが、重い。 そんな場所。そんな場所で、それも体育館奥の舞台の上で男の子と向き合うなんて言うお芝居みたいなシチュエーションで、引っ込み思案のわたしからそんな言葉が出たなんてそれだけでひとつの奇跡みたいだった。 でも奇跡なんかじゃない。 言わなきゃいけなかった。 だって、明日にはお別れしなくてはならない。目の前にいる彼も、わたしも、この学校を卒業する。そうしたら、きっとお別れ。 だから、わたしは。胸においた両手をぎゅっと握って、なけなしの勇気を振り絞って顔を上げる。 目を逸らさず答を聞くために。
『彼はいじわるだから……』
おそるおそる見上げると、いつもの彼のむすっとした顔があった。 どきん、と心臓が高鳴る。いままでだってドキドキしてたのに、顔を直に見るとやっぱりもっとドキドキしてしまう。 いつもと同じく、彼は睨むようにわたしのことを見つめる。 そして、無言のままわたしへ一歩、踏み出す。な、なにするんだろう。 と、そのまま。私の横を抜けて、通り過ぎてしまった。 「ふえ?」 なにも言わず行っちゃう、の……? どういうことだろう。でも、考えるまでもない。 ふられた。 ふられた、のかな。はは、そうだよね。やっぱりそうだよね……。 足音はわたしの後ろにまわって、そこで止まって……。 「はひゃんっ!?」 いきなりわきの下になにかがっ!? 見るとそこには彼の手があった。 「え? あ、あのぉ?」 む、胸の近くに彼の手があってどきどきする。でも触られたら困るところには触れなくて、でもわきの下ってなんだかむずむずして……ど、どうしよう? でもどうする間もなく……彼は一気に私の身体を持ち上げた。 わたしは平均から比べるとかなり背が低いほう。具体的には整列するときはいつも先頭、席替えするときは優先的に一番前に席決定――ごめんなさいクラスで一番背が低いです。軽いです。 それでもこんなに軽々と持ち上げることが出来る彼はやっぱりすごい。スポーツ万能と言われているのは伊達じゃない。 わたしを持ち上げたまま、彼はツカツカと歩むと舞台の端まで歩く。そこで停止。 ふと下を見ると舞台の高さプラス持ち上げられた高さで、体育館の床はとても遠くに見えた。 あの、その……恐い、恐いよっ! 高いのだめーっ! 「うーわーひゃー」 な、なになになにーっ!? この人はどうしてこんなことするのーっ!? 「恐いおろしておろしてーっ!」 手足をばたつかせるけど、彼の両手はすごく力強くてしっかりしててビクともしない。 泣きそう。 「元気だな……そんなに落ちたいか?」 近い。声すごく近い。み、耳元から聞こえる。い、息当たってる……!? 「わーっ、わーっ」 ああもうどうしたらいいんだろう。どうしようもなくて手をグルグル足をバタバタ…… 「わかった。落ちたいなら落ちよう」 ……この人、何を言ってるんだろう……? かえって混乱しすぎて落ち着いたのか、自分勝手に動き回っていた手も足もピタリ、と動きを止める。 そしたら、それを合図にしたみたいに。本当に。 落ちた。 「〜〜〜〜〜〜っ!?」 落下は一瞬だったはずなのに、すごく長く感じられた。 どすん、という衝撃があって、でもわたしの足は最後まで床には着かなかった。 舞台から飛び降りる前と同じ。彼に持ち上げられたまま、わたしたちは体育館の床の上に立っていた。 すごい。二人分の体重を支えたんだ、この人……。 「悲鳴ぐらいあげろ。つまらないやつだな」 そんなひどいことをいいながら、彼はようやくわたしを降ろしてくれた。 足がついた。立たない。 さらに降ろしてくれた。 ひざがついた。力が入らない。 さらに降ろしてくれた。 おしりが床に着いた。冷たかった。 わたしは驚きのあまり立つこともできなくて、座り込んでしまったのだ。でも、ちょっとホッとする。 そんなわたしの後ろから前へ、彼がゆっくりと歩いてくる。歩く震動がお尻に直に伝わってきて、なんだか変な感じ。 彼は端正な顔を不機嫌で染めて、やれやれといった感じで肩をいからせて。 でも、 ぽん。 頭に乗せられた手は優しくて。 「……大丈夫か」 かけられた声はぶっきらぼうだけど暖かくて。 じっと向けられる瞳は鋭いけどどこか優しく感じられて。 わたしはそれだけで、なんだかとろけてしまいそうになる。 いつも。いつもそう。この三年間、彼はいつもあんな感じでわたしをからかっては、こんなふうにわたしの心を奪ってしまう。 わたしは彼に恋している。 いじわるされたあとなのに、いつもいつもそのことを思い知らされてしまう。 この瞳で見つめてもらえるなら、どんないじわるされてもいい……そんなちょっと変なことを考えてしまう。 わ、わたしおかしいのかな? でもそれは彼のせいだ。彼がいつもわたしのことをおかしくするんだ。 そんなわたしをじっと見ながら、彼は口を開く。 「おまえって頭なでるとエッチしたあとみたいな満足げな顔するよなあ」 ……はい? はじめ彼の言うことが理解できなかった。 ちょっと考えて、でも信じられなくて。でも他に解釈のしようもなくて。 「なに言ってるのーっ!?」 と両手を振り上げて抗議すると、彼はすごくいやらしく笑う。 いやらしくって、えっちってことじゃなくって……ああもうあんなこと言うからそっちのほうに考えがいっちゃう……! そんなわたしの悩みもよそに、彼はクックッ、といやらしく……じゃなくてええっと、いやみったらしく! 笑うと! 「……ああ、笑ってる場合じゃない。俺は怒ってるんだぞ」 なんて言って、またムスッとしてしまう。ジロリ、とわたしの方を見ると、 「お前いきなり告白なんてしてるんじゃねぇよ」 なんてことを言ってくれます。 あの、このひとは乙女の一大決心をどう思ってるんでしょう? 「どうしてそんなことするんだ?」 「だって、だって……」 「制限時間5秒。答えられなければもう一度楽しいことしてやるぞ? カウントスタート。5・4・3……」 わ、はやい! はやいよっ! 考えてるヒマなんてないっ! だからわたしは、 「あなたのことが好きだからっ!」 なんてことを、体育館中に響くような大声でさけぶしかなかった。なかったの。恥ずかしいけどそれしかっ! さすがにこれには彼もいっしゅん呆気にとられた。わ、この人のビックリした顔みるなんてもしかしたら初めてかも。 「そ、それはさっきも聞いた。でもなんで今日なんだ?」 「だって……! 明日は卒業式でしょっ!? ば、バカじゃないのあなた」 「バカはお前。お前がバカ。バカでバカでバカバカだ」 こ、この人。乙女心をわかってくれません。むしろ踏みにじってくれました。 泣きそうです。あ、涙こぼれてる。うえ、本格的に泣きそう。 「泣くな」 「そんな……」 「こらえろ」 「うぐ……」 なんとかこらえようとする。あ、がまんできそう。そうだよ、今この人の前で泣くなんて悔しいもの。ここはこのままガマンガマン……。 「今のお前の顔、イクの我慢してるみたいですげえやらしい」 「わーんっ!」 ひどいーっ! さっきまでガマンできそうになったのにこんな! こんなひどいこと言われたらガマンできないよーっ! わーたーしーの、どーこーが、そんなにやらしいのーっ!? もういろんな気持ちが吹き出して、それがぜんぜんとめられなくて。ぜんぶぜんぶ涙になって、ぜんぶぜんぶ泣き声になって体育館に飛び散った。 すごく恥ずかしくて、すごく情けなくて、すごくすごく悲しくて……。 で、わたしをそんなにしてしまった張本人は何をしたかと言えば…… わたしを、やさしく抱きしめてくれた。 「うぐっ……うっ……?」 驚いて泣きやんだけどえづくのは止まらない。えぐえぐ言うわたしに、彼は静かに語りかける。 「だからお前はバカだって言うんだ。俺は成績優秀、スポーツ万能だぞ。お前の入る学校に受かるなんて簡単なんだ。お前俺の進学先も知らなかったのかよ?」 「うぐっ……言ってくれなかったぁ……」 「ホントバカだな。同じ学校に受かったなんて俺がお前に言ったら……その、なんだ。恥ずかしい、だろ?」 この人なんだかわたしでもわかるぐらい矛盾したこと言ってる気がするぅ……。 でも、でもこれって……。 「だから卒業してもいっしょ。まだいじめてやる。だから追いつめられたみたいに告白なんてするんじゃない」 そして、彼はすこしだけ離れる。彼の手はまだわたしを抱きしめていて、顔と顔が触れそうなほど近い。 真っ赤だった。初めて見る、彼の照れて真っ赤になった顔。 「だいたい困るんだよ。すげえ困る。明日卒業式のあとにかっこよく告白しようとしていた俺の計画はどうしてくれる? だからもう一度言ってやる。……お前はバカだ。本当にバカだ。」 そんなことを言った。 ああ、この人。そうか、そうなのか。 なによ、人のことさんざん悩ませておいて。この人は高校生にもなって、小学生みたいに「好きな女の子にいじわるする」なんてことやってたんだ。 なによ、それ。 すごく悩んだのに。おとといは友達相手に告白の練習して、昨日の夜なんてほとんど眠れなくて。 すごくすごく悩んだのに。 こんなにこんなにあなたのことが好きなのに。 それなのに、それなのに……あなたはわたしのことが好きだったっていうの――? …………あれ? ウ、ソ。 すごく。嬉しい。うわ、嬉しい。どうしようどうしよう? 目の前にあるのは大好きな人の顔。いつもわたしをこまらせていた人の、照れて困った顔がある。 その顔を見てるともっと嬉しくなって…… 彼を困らせてみたい。 ふと、そんなことを思いついた。なんでかわからないけど、どうしたもそうしたくなった。 今の彼はいつもと違った隙だらけ。だから簡単。 彼の頬。いつもむっつりとした頬に、そっとそっと……唇で、触れた。 「!?」 彼はとてもびっくりした。その顔がおかしくて、クスクスと笑うと、彼は期待通り困った顔をする。 今まででいちばん困った顔をするものだから。 わたしは、とても、とても、とても……幸せだな、なんて思った。 了
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